千田好夫の書評勝手

健康って何だ?

芙蓉社の歴史教科書が問題にされたが、今の生徒たちにあてがわられている教科書は、歴史教科書だけではない。算数や国語、理科だってどんなことが書かれているのか、みてみる必要がある。そこで、今回は保健体育。私の引っ越し先の港北図書館に、新着図書で入ったほやほやの、学研「新中学保健体育」、2005年1月20日「検定済み」だ。

自分の中学時代のはどんなだったか。テスト前にあわてて読んだくらいで覚えてはいないが、モノクロで、中身も身体や病気の医学的な説明と、学校で教わる体育の説明だけだったように思う。だが、この「新中学保健体育」は全く違う。まず、大きい。B5判で、しかもカラフルできれいな本だ。

目次を見ると、保健編が、1、心身の発達と心の健康 2、健康と環境 3、傷害の防止 4、健康な生活と病気の予防。体育編が、1、スポーツを楽しもう 2、スポーツで生活を豊かにしよう、の6章立てでシンプルだ。だが、中身は非常に濃い。第1章では、関係性の中で「自分らしさ」を見つけていくことの大切さ、第2章では環境問題と循環型社会の構築が、わかりやすく述べられている。「これらのことに積極的に取り組み、さまざまな生き方、考え方にふれて、自分らしさを築き上げていきましょう」「わたしたちも環境に負荷をあたえていることを自覚し、地球にやさしいライフスタイルを実践することが必要です」

妙に語り口が丁寧すぎるのが気になるが、大人が読んでも参考になることがたくさんある。おすすめの一冊だ。特に「健康とは」という「コラム」での次の文章などはどうだろうか。

「WHO憲章では、『健康とは身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、単に病気や病弱でないことではない』と定義しています。この定義の重要な点は、健康を身体面だけではなく、精神面や社会面までふくめてとらえているところです。しかし、実際には多くの人は何らかの問題を抱えており、完全に良好な状態である人はほとんどいません。一方で、病気や障害などをかかえていても、スポーツや芸術などに取り組んで、生き生きと生活している人たちが大勢います。その人たちを健康でないということには、少なからず抵抗を感じることでしょう。

最近では、病気や障害があるなしではなく、一人ひとりが生きがいを持ち、充実した毎日を送ることといった「生活の質」が、健康の内容として重視されるようになっています。(後略)」

「へえ!」と思われる方も多いと思う。ちなみに、同じ学研の国語大辞典第二版で「健康」を引くと、一〈名〉[病気の有無などから見た]身体や心の状態。二〈形動〉[身体や心の状態が]すこやかで元気のよいこと。丈夫で病気などのないこと。達者。

雲泥の差とは、こういうことをいうのだろう。(岩波の広辞苑では、「すこやかなこと。達者。丈夫。壮健。」とだけある)

「新中学保健体育」の「健康」のこの説明は完璧に近い。実にいい。しかし、残念なのは、「絵に描いた餅」に終わっていることだ。それは、8割方、著者たちや学研のせいではない。この教科書の口絵の写真には、車いすの障害者がなんと二つも出ている。一つは「自分の能力を最大限に発揮」というキャプションのついた車いすレースの写真、もう一つは「だれもがスポーツを楽しむことができる」という車いすバスケットの写真だ。ところが、教科書本文では、何もこれについて説明がない。わずかに、この「コラム」の文章で「なるほど」とうなずけるのみだ。これは、現在の日本の教育体制が、障害のあるなしで分離するのが建前なので、ある程度障害の重い障害児が同じ空間に生きていないという現実の反映なのだ。ここでは、障害者は生きた関係性の一部ではなく、「教材」にすぎない。

さらに、著者たちの2割方の責任を指摘すれば、「スポーツや芸術などに取り組んで」いない平々凡々たる障害者は「不健康」なのかという疑問が新たに湧いてしまう点だ。これはあげ足とりでは決してない。もっとも、このことも分離教育のなせるワザには違いない。著者たちも、この教育体制の申し子なのだから。