千田好夫の書評勝手

分離はいつまで続くのか【その2】

さて、4巻本目の『「ゆっくりおとなに」知的障害のある子どもたち』はどうか。

この巻も、3の「ひとりひとりの歩みで」と同じように、養護学校へスクールバスで登校する風景から始まる。両方とも、徒歩通学が当たり前の普通学校から見るとかなり印象的な場面だ。授業の様子も異様だ。まずプレイルームで1・2・3年合同の音楽の授業。学年を越えて授業をすることはとてもいいのだが、普通学校の普通学級ではまずありえない。そして解説は言う。「低学年の目標のひとつは、たくさんあそび、たくさんからだをうごかすことです。」そんなにいいことならどうして普通学級でもやらないのかと思ってしまうが、それは大人の受け取り方で、「ああ、このひとたちは僕らとは違うんだ」ということだけが読む子どもに焼き付けられてしまう。その上で、行われる交流教育。7月1日は隣の小学校から「あそびにきてくれる」日だ。今年度2度目だという。自己紹介しあってから一緒にプールに入る。たまにしかこないから自己紹介が必要だ。それでうちとけられるのかどうかはわからないのに、「思いっきりたのしむことができました」と解説は言う。

知的障害の養護学校では、中学になると「宿泊学習」と「通学練習」が始まる。宿泊学習とは、養護学校の中に畳をしいた和室があり、そこで自分のことは自分でできるのか確かめるため学習だ。ハイキングの後、夕食の買い物をし、炊事(といっても、作るのはデザートだけで、主食は出前)、花火、入浴、就寝と一通りやる。これも普通学校でもやったらおもしろいと思うが、どうしても「この人たちだから必要だ」という臭いする。

そして通学練習。中学部1年になると「通学も一人でできるように、練習します」「いつまでもスクールバスでかよっていては、家と学校のだけのくらしになって、社会にふれることができません」。4つの区から集められたからこそスクールバスが必要だったのに、なんという言われ方だろう。もともと自分の地域の学校に入っていれば、先生や親が後からついてくるような通学練習は必要ないか、あるいは小学校低学年のの早い時期に終わっていたものだ。養護学校の紹介が終わると、3の「ひとりひとりの歩みで」では普通学級に通っている障害のある子が登場した。4でも、普通学級に行っている子が紹介される。ところが4では、肝心の普通学級の様子が出てこない。その学校から取材を拒否されたのかもしれない。その代わりに忘年会や公園で遊んでいる風景が出てきて、「わかろうという気持ちがだいじ」と解説がつく。そして「よっちゃんは、ゆっくりであるけれど、いろいろなことを、確実に身につけています」確かに、よっちゃんたちは何事も「ゆっくり」にみえるし、ゆっくりであることが悪いわけではない。ただ、どの子の「発達」も外見と中身は大違いであることを指摘しなければ、本当に成長が「遅い」かのように誤解されてしまう。

たとえ、寝たきりで外部との接触がほとんどないような障害者であっても、20歳になれば20歳の大人としての生活感覚を持っている。赤ちゃん言葉に敏感に反応(拒否)し、外出となればジーパンではなく背広を要求する人もいる。要求しない人は表現ができないだけであって、算数ができないとか動作がゆっくりだとかということとは全く別に、心の「生活年齢」を確実に重ねているのだ。そこを尊重することがその人の尊厳を確保することだと思う。

わからなければいけないのは、「この人たちはゆっくりおとなになる」ということではなく、分けたところではよかれと思う手だてが別の意味を持ってくることなのだ。3の「ひとりひとりの歩みで」では養護学校と普通学級が対比され、違いを確認できた。ところが、4の「ゆっくりおとなに」ではそれができないばかりに、知的障害についての見方が養護学校でのあり方に傾いてしまったのである。

つまり、1・2の視覚・聴覚障害の場合には、分けられたところでの見方に疑問がなかった。しかし、3の肢体不自由と4の知的障害では、編集者がそこに疑問を持ち養護学校の外に出てみたものの、取材の仕方の違いで印象がまるで違うものになってしまったのだと思われる。

これをヒントに「今後の特別教育の在り方について(最終答申)」をみると、この中に国立久里浜養護学校を「自閉症」専門にしようという構想があることの意味が分かってくる。「障害の種別を越えよう」という答申の中であっても、分離に慣れた目で見続ければ、白を黒と言っても気がつかないのである。分離教育への内外の批判に押されて、文部科学省が分離障害児教育を特別支援教育と名前を変えても、実質は変わらないのだ。

この国の教育の分離はいつまで続くのだろうか。