千田好夫の書評勝手

無力感と孤独の終わり

ベルリンの壁が崩れたのは、1989年11月だ。その時、はじめはひそかに後にはおおっぴらに失われたものがある。それは、共産主義への郷愁や核技術やロケットではない。それは、旧社会主義陣営が唯一資本主義陣営より優れたものだった。人間集団の歴史性や文化の違いを尊重し、どんなに人口が少なくとも「民族」として認めあうことだった。それを私に教えてくれたのは、沖縄出身の青年だった。「返還」前に子ども時代を過ごした彼は、日本からきた観光客にバスのなかから珍しいものを見るかのように見られた経験を話してくれた。そして「もし、ソ連や中国なら沖縄は少なくとも自治区として扱われるはずだ」と言った。私はその言葉に衝撃を受けた。それまで旧社会主義陣営をそのように考えたことはなかったからだ。それ以来、マイノリティがどうすべきか、どう扱われるべきか私が考える際の一つの指標になった。

もっともこれは建前にすぎず、旧ユーゴや旧ソ連の内戦の惨状は、それが本心からのものではなかったことを示していた。しかし、たとえ建前にせよ、長い共産党独裁の時代をへてなお各民族はアイデンティティを失わなかった。そのことにこの建前が有効だったのは驚きだ。日本にも少数民族、あるいは沖縄のように歴史的文化的に独自な地域が存在する。しかし、戦前はともかく、戦後は日本に住む人々は単一民族とされ、彼らの存在は無視されている。断固として同化を拒否する在日朝鮮人は、一般日本人からの差別と右翼からの攻撃にされされている。アイヌの人々は江戸時代から続く圧制と差別のなかで、自分たちを日本人とは違う民族であるということを言うことはおろか、考えることさえ抑圧されてきた。旧社会主義陣営の建前からすれば、アイヌも沖縄もその独自性を政治的制度的に尊重されてしかるべきなのに。

その抑圧とはどういうものかは、上記の本に詳しく書かれているので是非直接読んでほしい。この本はダム建設で問題になった二風谷が舞台だ。そこで筆者は様々な場面で次のような言葉に出くわす。「アイヌなんて呼ばれたくない。みんな日本人だろう」言っている人は明らかにアイヌの人だ。そう言われても筆者は、自分は「日本人」であり、彼は「違う」と確信する。なぜか。筆者の考えはこうだ。

1997年に旧土人保護法が廃止され「アイヌ文化振興法」が施行された。しかしそれは、アイヌの人々が望んでいたものとはまるで違って、日本人のイメージする「アイヌ文化」を表現する人のみをアイヌとして持ちあげるようになっている。逆に言うと、それに当てはまらない人は「日本人」であるとさえ考えられるようになる。もちろん、新法がこういう状況をつくったのではなく、明らかにしただけなのだが。

たとえば、自分が「日本人」であるということは、アメリカに行けば強烈に意識させられる。何もかもが日本とは違うからだ。そこで、アメリカ人から日本の伝統文化を質問される。しかし、それについて質問者のアメリカ人より自分は何も知らないことを思い知らされ、赤面してしまう…。アイヌの人達は日常的にそういう状況にされされているのだ。

このようなアイヌの現実と向きあったとき、実は「日本人」こそ内実のない存在であることに気づかされる。他者を他者として受け入れず排除しつづければ自分を規定するものは、「〜ではないもの」としか表現できなくなる。「アイヌではないもの」「朝鮮人ではないもの」「障害者ではないもの」「女ではないもの」…。

筆者は、「本書の執筆は自分を克明に見つめる作業であった」という。見つめた結果どうなのかは知りたいところだが、この本の主人公ともいうべきアイヌの思想家、貝澤正の次の言葉をどう受けとめるのか。かつての侵略戦争で中国人を殺したことを自慢するウタリ(アイヌ同胞)に対する「利用されて侵略されていながら、醜いことを醜いと思わなかったわけさ、アイヌ自身が」という怒りを。

この激白は日本人自身にも当てはまるように思える。どんなに人口が少なくとも「民族」として認めあう建前は決して古証文になりさがったわけではない。日本民族を含めた日本の各民族がお互いの社会を認めあい、尊重しあえる関係を法的に(憲法レベルで)確立することが求められている。問題は、日本民族がそれを自らの課題と思えるかどうかにかかっている。ひいては、それがアジア各民族に対して「反省しても反省してもまだ足りないのか」といらだつ日本人の無力感と孤独を終わらせることになるかもしれないのだ。