共生共学は「受益」ではなく基本的人権である
学校教育法施行令22条の3に該当する障害のある子どもが、普通の学校にはいるのは違法である可能性がある。それでも就学運動ではいれるのは「本来養護学校に行くような子どもさんも例外的に普通学校へ行っても、それは法律違反にならないだろう」(1978年4月11日、衆議院決算委員会文部省答弁)という、法制度運用上の「お目こぼし」があるからだ。たいがいの交通違反には目をつぶる警察の姿勢と同じだ。
行政権力と市民の基本的人権が釣り合ってこそ、社会的契約としての法が機能するが、行政当局のさじ加減(裁量権)に対しては「受益」ということはあっても権利・人権はなじまない。この構造を、私たちはもっとよくつかみとって、変えていかねばならない。
学校教育法施行令は政令であり、学校教育法の運用を定める規則で、それ自体裁量のカタマリだ。これまでの就学運動は、このさじの加減の問題だ、という総括が文部科学省から出されてきた。それが、学校教育法施行令22条の3の改訂問題だ。
たとえば、介助員や車いすの必要な子は設備面で問題なければ普通学校入学可、対人関係に問題のない知的障害のある子も可。しかし、重複障害のある子、日常的に医療的ケアの必要な子、行動障害で対人関係に問題のある子は不可。いわば「さじ」をちっちゃなスプーンに替えるけど先はとがってるよ、てなわけ。
これに対して、当然にも多くの人が怒り10月18日、11月10日と連続して集会がもたれた。しかし、このとんがり具合は前から予想されていた。1997年7月に出された、特殊教育の改善・充実に関する協力者会議の第一次答申には、「小、中学校の通常の学級において指導を受けることが適当で歩行が不自由な子供のためには、エレベーター、スロープ、専用トイレ等の設置を進めている」というくだりがあり、「知的障害がないこと」が条件と読め「新たなランキング」になると、北村さんが警告していた。
さらにこのとんがりの本質は、「第二の義務化」であると全国連絡会事務局は警告していた。2000年11月7日に協力者会議の中間報告を、新聞各紙はいささかセンセーショナルに伝え、「可能な限り普通学級に通えるようにする」などという見出しが踊っていた。しかしその中身は、障害の基準は見直すが、就学指導を乳幼児期から卒業まで一貫させ、分離特殊教育の維持・充実が狙いであると、事務局は指摘した。
私は、対応が遅れたことではなく、「新たなランキング」に対する受動的な動きを危惧する。これでは、反撃の力のあるところはいいが、孤立無援の親子はひとたまりもない。裁量権への矮小化を拒否し、新たな共学をどうつくるのかを議論し、行動すべき時だと思う。実際にインクルージョンの学習会を呼びかけても、こんな熱気に包まれることはない。
しかし、1999年の金沢での全国連絡会交流集会の統合教育分科会では、制度として統合教育を求める要望が非常に大きく、東京などと違ってそれこそ熱気があった。それに対して棚ぼたはけしからんという反応が一部にあった。子どもが学校へはいるのに闘いがあるべきだ、という感覚には驚く。棚ぼた、大いに結構。私も、すんなり地域の学校に行きたかった。このような「障害児がいなくても当たり前」という、彼我ともにある感覚を変えていく必要がある。
それには、「障害児が教室にいるだけで、自然に関わりが生まれるなどというほど、人は優しくはなく、例外としての統合の集積によって分離制度そのものを崩せるほど、現実は甘くはない」ことを、まずしっかり総括することだと思う。この大谷さんの言葉は、私の経験も含めて、これまでの運動の経過をすなおに見つめれば、全くその通りに思える。「例外的に…入学を許されるというのではなく、そもそも地域の子どもはすべて同じ学校で学ぶという原則を、法律のレベルではっきりと宣言する必要がある。」なぜならば「隔離、分離、排除は人権侵害であり、差別であるということである。これを共通の認識としない限り、共生は似て非なるものにいつでも転化してしまうおそれがある。」
つまり、共生共学は「受益」ではなく基本的人権であることをまず確認すること、その上で設備改善、医療的ケアなど個別のニーズに応えること、それが22条の3の改訂に対する私の要求である。