千田好夫の書評勝手

「希望」がないところでは「欲望」もない

以前、「旅は人の心を自由にする」と書いたが、おもしろい小説にも同じような働きがある。見知らぬ他者の創作世界のなかにあって、人は自分自身を再発見する。旅行と違うのは、場所の移動とそれほどの金を要しないことくらいか。よい小説と時間さえあれば、いつもツアーはオッケーだ。

物語は、日本の一人の少年がパキスタンでゲリラとなり、実際に銃を持って活動していることが外国メディアを通じて伝えられ、日本中を衝撃が走るところから始まる。マスコミはすぐに少年を無視するようになったが、「ここにはいじめがない」という少年の発言に中学生達が敏感な反応を示す。全国の中学生の6割が学校を抜け出し様々な騒動が全国で起こる。それらの元中学生達はインターネット上にいくつもサイトを立ち上げ、やがてそれらが相互にリンクし巨大な一本の流れになっていく。それが現在の日本の長期不況の経済状況と絡み合って思わぬ展開を見せる。大人社会の虚飾にうんざりした中学生達は、インターネットビジネスで成功すると、独自地域通貨「イクス」を発行する自治体を北海道で運営していく。文字通り日本国から「脱出(エクソダス)」して準国家まで元中学生達がつくってしまう。

話のおもしろさと雰囲気はあの「吉里吉里人」に似ている。しかし「吉里吉里人」は奥州藤原氏の隠し財宝をもとに東北の小さな村が独立国家形成を企てるという荒唐無稽さを全面に押し出していたのに対し、「エクソダス」はインターネットと不登校を二本の軸として2001年から2008年までの非常に近い未来にありうることとして設定されている。それは、元中学生のリーダー、ポンちゃんの次のような発言に表される、現実の日本社会に対する批判に裏打ちされて説得性を帯びている。「順応すべき大人の社会に規範となるべきモデルがないのが問題なわけで、フリースクールでは解決できないっす」「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」

だが、現実味を持たせただけ、小粒に仕上がっている。筆者は、介護保険制度が始まって間もないにもかかわらず崩壊寸前であることを指摘し、不況下で少子高齢化社会となりつつある日本社会を揶揄しているが、障害者の問題がすっぽり抜けている。言わせてもらえば、「規範となるモデルがない」「希望がない」とは、若くして年金や生活保護に頼る生活を強いられる障害者にはとっくにおなじみの問題である。やっと健常者が障害者に追いついてきたのかと、ほっとするくらいだ。

反面、市場経済を軽蔑しつつそれに寄生する形で「希望の国のエクソダス」の運営が成り立っていくという構図は、根本的な解決能力を欠くものとして設定されていると受け取れる。話の最後にポンちゃんが「僕たちには欲望がない」と自己批判のような分析をしているが、「希望」がないところでは「欲望」もないわけで、「希望の国のエクソダス」が実はもろいものであることが暗示されている。しかし暗示は暗示であって、国家エゴに押しつぶされてしまった「吉里吉里国」よりも存在感の薄いものとなっているのは否めず、警告になっていない恨みが残るのだ。