千田好夫の書評勝手

旅行は自由だ

旅は人の心を自由にする。見知らぬ風景、見知らぬ人々、ちょっと変わった食べ物。人は異郷にあって、自分自身を再発見する。つかの間の解放感。まるで、パソコンのリセット、一枚の真新しいカンバス。だから旅は名所旧跡でなくて結構、金と時間さえあればいつでもオッケーだ。

近頃は車いすでもだいぶあちこち行けるようになってきた。改造自動車、車いす用トイレのついた高速道路、罰則はないとはいえ一応バリアフリー法もあり、新しい大きな公共的建物にはスロープやエレベーターが標準でついている。手続きは面倒だが、新幹線や飛行機はなんとか乗れる。ここまで来るのに30年はかかった。(しかし、公共の建物で、学校だけは相変わらずバリアフル。まるで障害をもった保護者はいないかのようだ。「共に生きる」をめざす人々の間にも「それでいいんだ、その方が関係が作れる」という人もいてあきれる)

旅行会社のいくつかのパンフレットには、車いす対応のツアーが載っている。秘境ツアーはさすがにないけれど、世界中のこれはという都市には行ける。もう日本は高齢社会になっているので、ビジネスとして有望な分野だ。その中でニューヨークのカーネギーホールで「第九交響曲、歓喜の歌」を歌うというのがあった。企画した豊島区の「地域福祉研究会ゆきわりそう」のパンフレットを見ると、「今、私たち平和のために歌う第九コンサート」と銘うった、障害者とサポーターを含めて200人以上と言う大がかりなツアーである。カーネギーで歌うというのも奇抜だが、ただ集まって行くのではない。この5月に行く予定で、障害者に歌いやすいように第九を編曲し、去年の7月からレッスンをしてきた。この大がかりさと用意周到さには驚く。

ちょっと興味をそそられるが、これではお祭りの海外遠征だ。旅行とは言えない。だから、旅行したい人にはグランドキャニオンやサンフランシスコへのオプショナルツアーが用意されていて、半分ぐらいの人がコンサートの後そちらに向かうようである。もちろん、お祭りで悪いわけではない。「第九を歌う」という共通の目標があるのだから、介助するとかされるとかの役割を超えた人間関係が生まれるのは確実である。

だが「旅」にこだわるならば、非日常を持ち込むのではなく、非日常に出会うのが楽しみである。ユージーンのお祭りに出くわしたときには、感激したし発見もあった。オレゴンの人たちは、外国人の障害者に対しても誰に対しても、人なつこく親切であった。日本のお祭りでは「邪魔だな」とけげんな顔で見られるのが落ちだから、それは新鮮であった。なおかつ、お祭りの会場には仮設の普通トイレと一緒に車椅子用の大きなトイレも設置されていた。邪魔にされることに慣れていたからだろうか。私自身が障害者でありながら思いつかなかったことだった。大学にエレベーターを要求したことはあったが、お祭りの会場に車椅子用トイレの設置を、という要求をしたことはなかったのだ。

いずれにしても旅はやがて終わる。コンサートも終わる。そこで得た感激や発見を、日常性を変えていくバネにできれば真に幸せである。