2005年 無着邦彦介助者会議報告

2005.07 タケノコ狩りに行ってきました

〜無着邦彦介助者会議報告番外編〜

6月25・26日に野沢温泉にタケノコ狩りに行ってきました。タケノコ狩りと言ってもネマガリタケ(根曲がり竹)の芽です。背よりも高い藪の中にもぐりこんで取ります。それも斜面を下っていきます。

行ったのは無着さん、福田さん、豊田さん、魚永さん、私という少数精鋭(?)。いつものように、宿の主の高橋さん(お客です)が待っていてくれました。私たち5人にその高橋さん、高橋さんの友人の松本さん、民宿のご夫婦の計9人でタケノコ狩りに出発です。当日は、野沢温泉とは思えない、東京とほぼ同じような暑さでした。

もう、3度目の無着さん、福田さんは慣れたものです。福田さんは一人でどんどん奥に入っていきます。無着さんは、最初は藪に入るのに躊躇していましたが(本当はこういう場所は好きじゃない、これでおしまいと言ったとたんに藪から出て行くスピードは目を見張るものでした)、その後は「あそこにあるよ」「根元からポキッと採ってね」と声をかけると「ポッキと折る」と言いながら、次々に採っていきます。

さて、今回が初めての、豊田、魚永コンビはなかなか苦戦していました。「怖〜い!」遠くから声が聞こえます。藪と斜面のきつさで立ち往生している模様。藪の中に入ってしまうと姿はほとんど見えません。なので時々「**さんいる〜」と、お互いに声をかけながら進みます。

「邦ちゃんのが一番大きい、くやしい!」タケノコ狩り名人の民宿のおかみさんに言われて、自慢げな無着さん。「さすが慣れたね〜。」藪を出てきたところで、今日一番の収穫を手に皆で記念撮影をした時の一コマ(私たちがカメラを忘れたので、宿のカメラで撮ってもらったため、ニュースには載りません)。

採ったタケノコは近くの人造湖のほとりで調理します。まず、全員で皮剥きです。「あ、先っちょ、折っちゃった。」「そこがおいしいのに〜」「誰だ、こんな中途半端に終わらせているのは」「そこ、口ばかりで手が動いてないよ〜」。大収穫を前に(今回は久々の大収穫と高橋さんも言っていました)、いつ終わるのか、結構たいへんな作業が続きます。でも、先に楽しみがあるためか、無着さんもせっせと剥いています。やっと終了。

剥いたタケノコは固い節を取って、味噌汁に入れます。お湯に入れ、緑がかった色に変わる瞬間がとてもきれいです。そうそう、皮付きのまま火にかけて焼タケノコにするために、太いのは先によけておきました。

さて、ここで宿の人が調理してくれる間は一休み。湖一周の散歩、座ってビール、それぞれ楽しみます。湖のほとりは風が涼しく別天地。おにぎりや味噌きゅうり、おでんなども並びピクニック気分満点。味噌汁ができる前に、みんなに止められるほど食べ始めた豊田さんに対し、ビール以外一切手をつけようとしない無着さん。味噌汁にかける情熱です。味噌汁ができあがったとたんに飲み干し、おかわりする〜! 本当においしそうに食べる無着さんに、楽しみにしてもらえてうれしいと、宿のご夫婦、高橋さんも満足げ。

このくらいの少人数で、みっちり過ごすと、それぞれの個性や生活もよく見えてきます。他人とのかかわりの中で過ごすこと、新しい体験をしてそれを自分の中で消化していくこと。いろいろな課題がお互いに見えてくるような気がします。タケノコ狩り先輩の無着さん、福田さんが、初参加の人に気を使っているのが見えたのもほほえましかったです(無着さんが助手席を豊田さんに譲った!)。

(サトコ)

2005.02 言動の根底に思いを馳せることが大切

〜邦彦さん流のコミュニケーション手段〜

はじめて私が無着さんと会ったときのことです。私は知人に誘われて柿のたねに行ったのですが、それまで障害者とのつながりもなく話したこともありませんでした。実際は話したことがあったのかもしれませんが、記憶に残るほどのつながりがなかったように思います。

柿のたねに行くと無着さんが大声で櫻原さんに話しかけていました。最初私には無着さんがなにを話しているのかわかりませんでした。早口で単語を聞き取れなかった部分もあったのですが、聞き取れる単語をつなぎあわせてもなにを意味しているのかわかりませんでした。そのときも無着さんはいつもの口癖の「(単語)+持たない」と話していたのだと思いますが、なぜそれが「持たない」だったのか理解できなかったのだと思います。この「持たない」は無着さんの口癖のひとつですが、これにもいろいろな使い方があるようです。

あるべきものがあるべきところにないとなんとなく落ち着かないけれども、なにがいつもと違うのかわからないことがあると思います。無着さんは物の位置とかにこだわりがあり、そういうときに「(単語)+持たない」ということがあります。そういうときは無着さんがそのものについてなにか言いたいのだと思って、なにが言いたいのか考えます。

また無着さんは道順とか手順とか予定にこだわりがあります。細かなことでもしっかり予定をたて実行することは無着さんでなくても自閉症の人には大切だそうです。いつもの道を歩くときにも「白い道路持たない」とかよく聞きます。これは白い道路のほうを通っていく予定だということを伝えてくれているのだと思います。

そのように明確になにかを言いたいのではないこともあります。街をあるいていて「赤い花持たない」とか話しかけてくれます。なにか意図があるのかもしれませんが、そうでなくても「赤い花があってきれいですね」とコミュニケーションをとろうとしていただいているのだと思います。

特に障害者の話を健常者が聞くときに、この意味があるかないかを判断してしまうことがあるように思います。しかし意味がなくてもなにかを意図して発言しているはずです。意味がなくてもなにかを意図して発言することは健常者にもあることで、違いがあるのは聞き手が意図を汲み取るかどうかだと思います。私自身も柿のたねで無着さんと話さなければ障害者と話すときに意味がないことを話していると無意識に判断していたと思います。

無着さんと話していると健常者と障害者でも言動の根底にはなにがあるのかを思いやらなければならないという当然のこと気づかされます。

(吉田隆希)