2002年 無着邦彦介助者会議報告

2002.11 ガイドヘルパーで浅草へ!それから…

はじめましてです。僕はこの機関紙にかかせていただくのは、初めてです。

無着さんとのお付き合いの始まりは、もう3年(?)くらいになります。

改めて思い返すと、色々なことがあったなぁと思います。

その中で、今年の10月に初めて、クニさんと日中まる一日お出かけすることになりました。

目的は、クニさんの希望により浅草でレストランへ、という事になりました。

私はホームヘルパーをしていて、一日一緒に過ごすということはなく、工房へお迎えに行き、柿の木ハウスに帰り晩御飯をクニさんと作り、夜の泊りの人がハウスにつくまでの4時間を一緒に過ごすというのが、普段の過ごし方です。

そのお出かけの前は関係的に、あまりよくなく(結果的には自分の向き合い方の問題だったのですが…)なにかを伝えてくれているのは、クニさんの勢いや興奮から伝わってくるけど、どうしたらよいのか、分からなくてよくお皿を割られたりしていました。いろいろ悩んだ時期もあり、桜原さんに相談したりしました。そういった経過の中で、僕自身の仕事も忙しくなり風邪を引き、こじらせ、クニさんの所へも、ご無沙汰になりました。

そして、体調も良くなり久しぶりに、介助に入ることになりなした。

浅草に行く!というのは、自分の中では、一大イベントで、僕は埼玉県に住んでいて浅草なんて、24年間(24歳)で、2回くらいしか行った事がありませんでした。上段で書いたように、このような状況の中で見知らぬ場所で、大丈夫かな?と、不安だったのですが、当日ハウスに行ってみると、クニさんは上機嫌で待っていてくれました。しかし咳を少ししていたのが気になりました。

クニさんは慣れたもので、渋谷の駅もグングン進み、乗り換えも問題なく、あっという間に浅草へ着き、いきなり、レストランを発見!いつもよりも声は小さくて、以前レストランにいった時は、えらい事になってしまって、今回はどうかなと思ったのですが、メニューを見ながら、クニさんと、目玉焼き付きがいい、とかエビフライ付きがいいとか、いいながら、ワイワイ決め、あとは、ハンバーグを黙々と待っていました。ハンバーグがくるや否や、あっという間に食べてしまって、クニさんを待たせてしまいました。

その後というと、浅草の右も左もわからない僕は、クニさんのおもむくまま、歩き、途中ハトに二人でえさをやり(クニさんはあまり楽しげではありませんでしたが)とにかく歩きました。どこ行くの〜?という感じで後をついていきました。クニさんは何か目的があるようで、ズンズン進み、「何か探してる?」と聞くと、キンつば!と言い二人でキンつば探しをしました。(実はクニさん道迷っていたのかも・・)そしてキンつばを買い、浅草もそろそろ飽きてきたようで、声も大きくなりました。しかし時間もたくさんあるので、東武動物公園に行く?と声を掛けると「帰る!」「帰る!」の連続で仕方なく帰りました。

帰り少しゴホゴホしながら帰宅し、あとは昼寝で終わりました。

それから、何度か介助にはいらせてもらいましたが、妙に自然なんです。

後々考えると、クニさんに対する自分の向き合い方が、付き合い方が、クニさんとの間で出来たのかなと思います。

一緒に考え、一緒に悩み、一緒に解決することを、今までクニさんとしてきたかな?と考えると、してなかったと思います。

この一日浅草を知らない僕は、クニさんに問いかけ、悩み、お互いで、歩み寄れるところまで話せたなと思います。

このことを、忘れるとか、忘れないではなく、自然に自然にと、行きたいと思います。

これからもクニさんよろしくお願いします。

(舘野正廣)

2002.10 無着邦彦介助者会議報告

こんにちは、介助者グループ一員のかないひろしです。よく邦彦氏には「ひ・よ・しくん」と叫ばれております。あっ、決して今流行りの「ら」抜き言葉ではなく、「ら・り・る・れ・ろ」が言えないラリッタ人ではありません。わざとです、わ・ざ・と。

さて、そろそろプロローグ。先月末はバザーが柿のたね一大イベントだったわけですが、その前日準備に私は携帯電話から買えるようになった馬競走!そうです馬券を買いながら運び込みや商品陳列といった作業を黙々とこなしておりました。売り物の電化製品ラジオを聞きながら…。そしてついに最終レース。このまましょぼい成績で前日準備を終えるのかぁ。悔しさと諦めと未練がカオス…しかし、勝利の女神は私に微笑んだぁのだ。いつも笑っていろよ。なんて冷静な突込みをしつつも来ましたよ〜!万馬券!キャハほ〜い、とな。あっ、へたな競馬コラムになりつつあるがこれが大いなるプロローグさ。

その余勢をかって、とある日曜日に邦彦氏との夕飯に出たおかず、それは秋の味覚の王道といえばそうです、あのマイタケです。ちっがーう、マツタケです。きのこのこ・のこ・げんきのこ・えりん〜ぎ・まいたけ・ぶなしめじ〜なんて歌が聞こえてきそうですが(読者の皆さん知ってるかな?東急ではよく流れてるさ)ひっさびさの邦彦氏の炊く炊き込み御飯!やったぜ、バンザイマツタケ御飯。その週は氏にきちんとお話して水加減と味付けは自分(ひろし)に任せて、と。いつもは米洗いから炊くまで終始するのであらかじめきちんと伝えておくことが必要だったりもする。ほぼ一週間かけて話しておいたためか、いざ本番になっても水洗いして漬けてからはざるに米を上げたり味付け水加減といった作業はスムーズに進む。結構量はあったのでとりあえず豚汁にもマツタケを入れてみたりした。そしてメインの炊き込み。ここで氏の職人技が光りまくりです。オイラが「もうそろそろいいかもよ」と少し不安になりつつ話すとそれはガンとして受け入れない。ま、氏の好きなようにやってもらうしかないなとその時は思ったのだが、しかし炊けてびっくり。火加減というのかよくわからんが、うまく炊けてる上にお焦げもまたうまい。そして香りも際立ち。まさに絶妙。あぁたまらん。ほんとに美味く炊けてる。多めに炊いておいたのでハウスの暁子さんや柿のたねのチェリーにも食べてもらおうよと二人で話し、その日は二人とも大満足の夕飯終了。そして翌日その話を伝えたら朝にはもうダメになってたみたい。。。うーん、幻のマツタケ御飯となってしまったのね、と。そんなにアシが早いのかなぁ?勉強になりました。

そしてもうひとつ、今だから暴露。その前週に国産のマツタケを買い楽しんでいた私は万馬券効果も薄れ、当該週には国産までは無理でした。ごめんな、邦彦さん。カナダ産で。来年こそは国産のマツタケでニッコリ笑おうな。これは、邦彦氏に言えなかった…秋である。季節を春夏秋冬と何かしら楽しめるのでやっぱりこれは面白いぞな、もし。

(ひろし)

2002.9 無着邦彦介助者会議報告

知的障害者のガイドヘルパー講座がいよいよ始まります。この半年間ずっと中身について検討する作業をおこなってきましたが、そのなかで、あらためて邦彦さんとの付き合い方、向き合い方などについていろいろと考えさせられました。

特に柿のたねで過ごす時間の関わり方は、柿の木ハウスでの介助やガイドヘルパーと違って、いっしょに仕事をする同僚という要素が入ってきます。そこではどうしても邦彦さんが望む介助のあり方とのギャップが生じてしまいます。

邦彦さんは何をするにしても自分としっかり向き合っていてほしい、という思いがベースにあります。けれど柿のたねでは必ずしもそうならない場面がよくあるのです。例えば邦彦さんは電話があまり好きではありません。先日も福祉工房から戻ってきて、最近はまっている冷凍うどんを火にかけたところで電話が掛かってきました。私は話をしながらジェスチャーで火を消すよう伝えたり、受話器を手でふさいで声をかけたのですが、邦彦さんはフリーズして固まったまま。結局電話が終わった時にはうどんにお汁が残っていない状態でした。そういうことがあった後は必ずテンションが上がり大きな声になってしまいます。その時の私のセリフは「柿のたねで電話に出るのは仕事なんだから仕方がない」。確かにその通りなのですが、それがわかっていてもそうせざるをえない邦彦さんの思いはどこに行ってしまうのでしょうか?

邦彦さんの難しいところは、上記のような場面で何事もなく待つことができることもあるという点です。それが周囲の評価として「あなたはできるのだから、我慢しなさい」という邦彦さんに対する見方につながっていきます。今日できたからといって、明日同じようにできるとは限らない、そのことが周囲から理解されにくい。知的障害者の人と付き合う上で一番伝えにくい、マニュアル化することのできない部分です。

こちらとしても、なるべく冷静に対応しようと心がけるようにはしているのですが、仕事がたてこんでいたり、精神的にゆとりのない時はつい怒鳴り返してしまうこともあります。それが逆効果だとやってしまってから後悔するのですが、まさしく後の祭り。邦彦さんと同じようにわかっていてもそうしてしまうのですからあまり偉そうなことは言えた義理ではありません。

この状況を変えていくには、邦彦さんがいるときは彼と向き合いながらできる仕事に専念するとか電話などの事務仕事は同僚の島田さんに極力任せるといったことが必要なのでしょうが、毎日のこととなるとなかなかそう都合よくいきません。私との関係に依存するのではなく他の人ともじょうずに付き合ってほしいなと思ったりもします。それにやっぱり柿のたねで仕事をしている時は邦彦さんのことばかりに集中できないことも理解してほしいのです。

そうなると結局、お互い多少のストレスは感じながらも協力してやっていくしかないのかな。まあ職場なんてそんなものだろうと思うし、邦彦さんに余裕があって待てるときはそれにのっかって、駄目そうな時は素直にあきらめて仕事の手を休める。なんだか邦彦さんをダシにしてサボるなよという声が聞こえてきそうですが…何事にもゆとりが必要だなと思う今日この頃です。

(チェリー)

2002.8 なんだ、海好きだったんじゃない!!

毎年、行く前には「田牛海岸いついく」「いつ、花火する」「いつ、すいか食べる」と楽しみにしている夏合宿。でも、実際に海に行くと、壁の花ならぬ、シートの置物状態で、海に入ろうとしない無着さん。

ところが今年は違った!

1日目に琴絵さんが「邦ちゃん、海に入ろうよ」と誘ったら、すぐたちあがり、海辺へすたすた。さすがに泳ぎはしなかったけど、水中を歩き、波打ち際に座りこむ。波が来ると波におされて、足の向きが変わる。それを楽しむように、右足を波にのせてフワフワ。からだをクネクネ。

いやー、海でこんなに穏やかな顔しているのはじめて見たよ〜。

そのうち、海岸に流れ着いたアラメ(海草)掃除に私たちが熱中していたら、一人で水に入っていくところも発見。皆が見ているとわかると、てれてやめそうなので、しらんふりしていると、楽しそうに遊んでいるようす。

確かに行く前から、「海に入る」とは言っていたのですが、それは毎年のこと。いつもだと皆に入るって言ってたのにどうして入らないの?と言われつつ、ガンとして動こうとしないのに…。どういう心境の変化なのか、本人に聞いても答えてくれないのですが、最後の日には事前に言いながらやってなかった、「お砂に埋まる〜」も達成し、春から楽しみにしていた海を今年は満喫できたようです。

最近、工房でたびたび駒沢公園のプールに行って、プールを歩いているらしく、それで慣れていたのではとか、水の中に入ると涼しいことを実感したのではないかとか、行く前に麗子さんに「アトピーが治るから、海につかってくるように」と厳重に言われたなど、いろいろ説はありますが、ま、彼が子どもの頃、無理に海で泳がせて、海嫌いの原因の一つをつくったかもしれない私としてはちょっとほっとしました。

でもね、琴絵さんや私が海に行こうと誘うと行くのだけど、男の人が誘うと行かないんだよね。というか、海に入ったとき、知り合いの男性が声をかけると帰ってきてしまう。海嫌いの原因は私じゃないね。きっと。

(さとこ)

2002.7 夏を乗り切るために!

先日のベッカム誕生秘話の反響は大きかったなぁ。洋志くんの軽快な文章に、邦彦氏の様子が浮かび上がってくるのか、あちらこちらからベッカムの話題が聞こえてきて、結構この通信も読んで頂いているのかとあらためて感じました。中にはいつもかたい内容なので、たまにはこういう話もいいとの声も。私が書くとついついそうなってしまうのかと、ちょっぴり反省もしました。

そのベッカム邦彦氏は、Wカップ終了とともにブームが去ったのかいつも通りの髪型にもどってしまいました。特にあの髪型を維持するには、まめに散髪をして整髪料で固めなければならず、毎朝あわただしく起きて工房に出掛ける生活ではままならず…。介助者がゆとりをもって起床すればいいだけでもあるのですが。

あまり知られていませんが、邦彦氏は結構髪型にこだわりがあります。毎日風呂から上がると鏡の前で丹念にドライヤーを掛け、にんまりしています。時間にして5分、長い時は10分くらいかな。その時の表情はなかなか悦に入っていて、さすがナルシストぶりを発揮しています。

風呂上りには夏定番のビールで乾杯。まあ一年中飲んではいますが。これは介助者によって様々でまったく飲まない日もあるようです。特に泊りまでの時間を引き継ぐ、つなぎ介助の人は、一緒にお風呂に入らないことが多いので、それも理由の一つみたいです。けして私が強要しているわけではありません。実家ではまったく飲まないそうですが、場面によっていろんな顔を使い分ける邦彦氏ならではという気もします。たまに「へえ、邦彦さんビールなんか飲むんだ」という声を耳にしますが、私からすると(*_*)状態。健康管理に気をつけて、ほどほどにしていますので、その点はご心配なく。結構おとなの自立生活を満喫しています。

最近少し落ち着いてきて、わりと話も通りやすくいつも笑顔が絶えない邦彦氏ですが、年齢とともに睡眠時間が短くなってきて、特に朝が早い。日によっては、5時頃お目覚めになって「シャワーかける〜」と隣に寝ている介助者を起してくれます。半分寝惚け眼で、風呂場の鍵を開けると介助者は再び布団の中へ。大抵はその後すぐに部屋に戻って、また布団に入るのですが、時々魔が差したようにいたずら心が芽生えてくるようで、そうっと一人で台所へ行って、いろんな物を袋に詰める、しばる、縛る。そんなこととは露知らず夢心地の介助者は、朝起きてびっくり仰天。鍋が、おひつが、あっ、ヘアムースまでが何重にも袋詰めされている。口あんぐり状態。その横で満面の笑みを浮かべる邦彦氏。「だってお前起きてこないんだもん」と言わんばかり。これは夜の寝入り端にも時々やってくださいます。そりゃ確かに介助者はきみに付き合うのが仕事みたいなもんだけど、お願いだから、夜は寝ようよ。

来年は40歳になる邦彦氏。いったいその元気はどこから沸いてくるのと、同い年の私などは思うのですが、やはりいたずらをして寝不足の次の日は、工房や柿のたねでうつらうつらすることも。

以前、知的障害者の人は極端に子どもじみているか、老け込むかで、年相応の中年があまりいないよねという話を聞いたことがあるが、邦彦氏を見ているとそんなことないでしょ、と思う。いろんな刺激を受けながら結構日常生活を堪能しているためか、しっかりと今の年齢を生きているのではないだろうか。

でも邦彦さん、他の介助者の時に寝貯めをして私の時に遊ぶのはやめようよ。お互い年なのだからいたわりあおうよ。体力勝負の介助は若者に委ねようよ。

体力に自信のある若い方、是非ぜひ一度柿の木ハウスで無着さんと付き合ってみませんか。退屈させない自信はあります。月に1〜2度で構いません。

よろしくお願いします。

(チェリー)

2002.6 デビット"邦彦"ベッカム誕生秘話

みなさん、こんにちは。たびたび登場している介助者ひろしです。

いやあ、1ヶ月にわたるワールドカップも王国が面目を保ち、無事終了。ドイツGKのオリバー・カーンをオーウェンじゃなかった応援していた私としては、ホイッスル後の表情がとても切なくなりました。皆様の周りには静けさが戻ってきましたか?本当は、まだまだワールドカップ熱が熱い頃にお届けしたかったのですが、すみません私一人のために通信発送が遅れましたことをここにお詫びしたいと思います。

さて、タイトルにもあるように、ベッカム様が柿のたねに降臨しました。「あのベッカムが来たの?!」なんて、思う読者はいないと思いますが邦彦氏がベッカムヘアになりました。

さる、6/21日の金クラで高橋家の皆さんに「そうだ、邦ちゃんベッカムヘアにしたら?かっこいいよ!」の部分のうち恐らく「カッコイイ」だけ聞いていたに違いない。その日泊りの私は翌朝寝坊だけはしないように細心の注意を払いつつ寝坊。だめじゃん。もっさいまま実家へ送り来週こそはと決意する。

そして、6/29(土)に再挑戦。ちゃんと寝坊せずに連れて行きました。床屋にて

「ベッカムヘアにしてください。先週金曜日に彼とは相談済みです」

「べっかん〜」

「飴じゃないんだから」

床屋さん(奥さん)「あはは、ベッカムね。やるわよ」

小1時間ほどして、完成。スクッと立ち上がりソフトモヒカンの完成ナリ。

床屋さん(奥さん)「今日は、ほんと静かねぇ」

と褒められ。

「邦彦さん、ほんと、かっこいいわ。男のオイラから見てもかっこいいと思うよ」

と、褒められまくりで相当ご満悦(その表情が浮かぶ方は“通”浮かばない人は付き合ってみると面白いかもしれません)一度見る価値ありです。

そして、実家に戻り

「あらぁ、オホホホホ、すごいわねぇ。ちょっとお父さんお父さん!」

「お”〜、あのサッカーの人だねぇ、すごいねえ」(リアクションでモヒカンを)

と、このようにワールドカップは世代を問わずだったことを実感した瞬間でもありました。相変わらず、声は大きいもののご機嫌な月を過ごしたのではないでしょうか?

しかし、一方私含め介助者にとっては気もそぞろに邦彦氏に懇願したおしてTVにかじりつくありさまで、その点では氏の要求にどこまで応えられたかと言うと定かではないが、一応の理解を示してくれたのではないのかな。どうしても、一方的な解釈や確認を取ったと言っても押し付けになりがちなものをどうやって氏と共有するかが今のオイラの課題でもあるし、悩んでいるところでもある。

ま、今月はこんなところで失礼いたします。

(ひろし)

2002.5 ほめる・叱るということ

先月号でさとこさんが書いた歯医者さんでの出来事。確かに邦彦さん、叱られることはあまたあれどほめられる機会が少ないですね。ほめられてもいい場面も結構あるのですが。

知的障害者の方と付き合う時、ほめることが本人とのコミュニケーションをスムーズにする有効な手段だと思います。初めて付き合う場合でもきっかけを作りやすい。一方で叱るというのはなかなか難しい。どうやって叱ればいいのか、そもそもある程度関係ができていなければ他人をそうそう叱ることなんてできない。

ではほめるのは簡単で、叱るのは難しいかといえば、じつはどちらも案外難しいのです。双方に共通しているのは、本人を評価するということ。そしてその行為は上下関係ができやすい。

誰でもほめられればうれしいし、叱られれば辛い。でも必要以上に大袈裟にほめられると、かえって嫌な気分になるし、自分でも悪いことをしたなと思っている時は素直に聞けるけど、良かれと思って取った行動が裏目に出てしまった時などは叱られることに反発心を覚えることもあります。知的障害者の場合、そういったことに反論できない場合が多い。判断は介助者(周囲の人)にゆだねられることになります。本人たちが取る行動の状況判断をきちんと見極められないと正当な評価はできない。問われるのは本人ではなく、介助者の姿勢なのです。

邦彦さんや孝広さんのケースに例を取ると、以前孝広さんは箱に入った食器などの提供品の外箱をほとんど捨ててしまったことがあります。確かに箱はずいぶんくたびれていましたが、やっぱり箱に入っていた方がいいものもありました。この時私はつい頭ごなしに怒鳴ってしまいました。孝広さんは叱られた事で、パニックを起していましたが、もう少し丁寧に接するべきだったと反省させられました。そう彼は良かれと思ってやった事だったので、なんでなんだと感じたことでしょう。

 邦彦さんの例では、普段大きな声を出す邦彦さんに注意をしますが、あまり何度も繰り返されると、ついこちらも怒鳴り返してしまうことがあります。介助者にゆとりがないとありがちなことですが、大きい声を注意するのに自分が大声を出していたら、説得力はありません。

一方で邦彦さんは廃品回収や発送作業などでは、とてもよく働いてくれますが、毎日の仕事としてあるわけではありません。普段は彼なりの拘りもあって好きな仕事と興味を示さない作業がはっきりしています。それがうまくはまると成果に結びつきやすく、邦彦さんも大いにほめられるのですが、そうではない場面では気も散漫になり、いわゆる叱られる行動につながりがちになります。彼が自分を活かせる環境をどう作れるかで、彼に対する評価も変ってくると思います。ただ日常の中でなかなかそうできない私自身の努力不足を反省すると同時に、そのことだけに集中できない現実もあります。

また、ほめる時には相手に対して敬意を持つことが大切です。けして相手をこども扱いしないこと。歯医者さんの話にも出てくるように、事実関係を正確に伝え、その上でよかったことをきちんと評価する。時には多少オーバーにほめることが必要な場面もあります。たとえば歯科治療の時のように本人が不安を感じている場合などです。けれど、それが日常化してしまうと、却って相手を見下すことにもなってしまいます。

ほめることも、叱ることも、ただそうすればいいというのではなく、その意味を考え、何を相手に伝えたいのかがはっきりしていないと、彼らはとまどってしまいます。やはり基本はどれだけきちんと相手に向き合えるかということなのです。

それでも邦彦さんを見ていると、たとえべたべたでもほめられるとやっぱり機嫌はいいようです。あんまり御機嫌取りもどうかと思うけど、お互いそれで気持ち良く生活できるならいいかな。

(チェリー)

2002.4 なんだ1時間黙っていられるんじゃない

今まで邦彦さんはお茶の水にある日大歯科に通っていましたが、予約が先までうまっていたり、遠いこともあり、そうそう行けませんでした。そこに都立大跡地の心身障害者センターの歯科診療所ができ、最近は頻繁にそこに通っています。

2回ほど、その治療に私も付き添いました。家からは歩いて5分以内、その間「都立大歩いて行く」「持たない」など大声で繰り返しながら歩きます。もちろん待合室でだって、話しかけてきます。当然、他に待っている人がいれば嫌な顔をされる位の声量で…。

ところが、ところがなのです。診療室の中に入って、診療台に乗った邦彦さんはまったく違うのです。先日の治療も歯石取りでしたが、1時間かかりました。その間、じっとしていて、たまにそれも小さな声で話すだけなのです。

なぜ? ここで静かにできるなら、他の時だってできるはず。私たちが見習うべきことはあるのでしょうか?

まず、診療所には穏やかな時間が流れています。明るく、清潔な室内で、まだ患者が少なく、ゆったりとできる、今のところ歯医者独特のあのキーンとした音も聞こえません。

そして、何よりも医師、歯科衛生士さんたちの態度にヒントはありそうです。「無着さん。今から右の上の歯石を取りますからね、10数える間我慢しててくださいね。」「いーち、にー、……(途中、すごく長い数字も含まれながら)…じゅう」「はい、無着さん良〜く我慢できましたね、偉かったね〜。ほら、これがばい菌だよ。無着さん見えるかな、この黒いのがばい菌の塊」「ばいき〜ん(邦彦さん)」「これが歯についていると、歯茎がはれて痛くなったりするからね。これを取って歯をきれいにしようね。無着さん、もう10我慢できるかな?」「1・2・3…」「わー、ほんとにえらいね。今度も我慢できたね。無着さんえらいね〜」……。この調子でおだやかな会話が続きます。

当然ながら、本人にとって痛いときもあるようで、口の明け方が小さくなったり、手が口の方に上がってきたりします。その時も「無着さん、もうちょっと大きく開けて」「無着さん、手は下だよ」と声がかかると、その通りにします。

ちょっと恥ずかしいくらい丁寧な、語り&誉め言葉なのですが、会話を聞いていると、

  1. 何をするのか時間経過、目的も含め説明する
  2. 結果を目に見える形で示す
  3. できたことをオーバーに誉める

で成り立っているようです。言ってしまうと当たり前の、簡単なことなのです。が、自分たちの会話を振りかえってみると、それぞれできているのか疑問です。特に最後の「誉める」という行為が邦彦さんの日常にほとんどないことを実感します。考えてみるといつも邦彦さんは叱られています。(ま、実際、叱られるようなこともするのですが、)でもできたときに誉めているかというと、そういえば誉めてないよね〜と反省。

ということで、今月の介助者会議で介助者の目標は何でも「ちゃんとできたときは誉めよう」ということになりました。誉めてもらって嫌な気持ちをする人はいないもの。この位はできて当たり前と私たちが思っていることを見なおすよい機会かもしれません。

でも、実は治療が終わった後は、長時間おとなしくしていたストレスか、もっと大きな声になるんですけどね。

(さとこ)

2002.3 本人と介助者の関係

先月の報告では健康管理と本人の意思について書いたが、今回は自立生活を支える上で邦彦さんと介助者の関係について考えてみたい。

邦彦さんは言葉では表現せず、行動で示すことが多い。その行為には必ず背景があり、何らかの理由があるが、それはなかなか理解されにくい。そしてその行動が社会の規範から外れる時、当然のように周囲はそれを制止しようとする。

邦彦さんと二人きりの時にそういったことがあったときは、介助者の側がかなり意識していない限り介助者の価値観を押し付けることになってしまう。ある程度付き合いが長くなってくると近況や寸前のできごと、近々の予定などから何に拘っているのか想像ができるときもある。が、見過ごしてしまうこともあるし、関係が浅いと難しい。また介助者自身に余裕がない時など、介助者の側がむきになってしまうこともある。

またそのような行動が集団で出た時、ともすると「みんなで」非難してしまう場面もある。たとえ自分に非があっても、周りからやいのやいの言われたら、誰だっていい気持ちはしない。制止するはずが、かえって邦彦さん自身のテンションを上げてしまう。介助者会議でもこの問題については何度も話し合い、例えば集団でいる時注意をするのは一人にしようとか、必ず誰かがフォローに回り本人を追い詰めないようにするなど技術的に解決できることについては共有化してきた。

しかし、人間関係は画一的にはいかない。邦彦さんは特定の介助者に対してする要求やいたずらが決まっていたりする。ある介助者は必ずハヤシライスを作ると思いこんでいたり、風呂に一緒に入るのはこの人と決めつけ、その内容や時期によって相手が代わりながら邦彦さんと付き合う個々それぞれに自分の断片をぶつけていく。介助者は邦彦さんの生活の一部を共有するに過ぎないので、介助者のジグソーパズルを組み合わせるように生活が成り立っていく。日々のようすは介助者ノートを通して引き継いでいるが、必ずしも的確に伝わるとは限らない。そこで邦彦さんにとって、複数の介助者との関係を橋渡しするコーディネーターが必要になる。今は日常的に長く付き合い、同年代でもある私がその役割を担っている。邦彦さんとの関係を計る上では、その時々の間合いの見極めが大きな要素を占めるのだが、なかなかうまくいかないことも多い。

そんな私に対して邦彦さんは怒りや甘えなど様々な表情を見せつけてくる。時にそれは他の介助者には向かない鮮烈な場合もある。「お前長いこと付き合っているのだから俺の気持ち解れよ」ということなのだろうか。むき出しの感情をぶつけられ、受け留めきれずそのまま返してしまうこともある。

以前アラスカのピープルファースト世界大会で知り合った知的障害者T.Jモンロー氏の「邦彦さんにとってはよき理解者が必要だ」という言葉を思い出す。長く付き合っているうちにお互い影響を与え合うことは多い。邦彦さんの生活を支えていく上で私は本当によき理解者になれているのだろうか?

私たちは邦彦さんが自立生活を始めるときに、選択の幅を広げることが本人の意思を尊重していくことにつながるだろうという話をしてきた。「今はお前と付き合いたくないからこっちと仲良くしとこ」みたいな関係を、邦彦さん自身が選べる条件があってもいいのかもしれない。介助者は理解者にはなれても母親のように抱え込むことはできない。むしろ多様な価値観の中で、誰もが邦彦さんと正面から向き合える関係を整えていくことが、彼にとっての社会性を広げていくことになるのだと思う。

(チェリー)

2002.2 健康管理と本人の意思

邦彦さんが自立生活を始めてから、早いものでもう7年半が経とうとしている。この間2度の転居があり、出会いと別れがあり、それなりにいろいろとあった。柿の木ハウスでの生活にもだいぶ慣れてきたが、本人も介助者もまだまだ試行錯誤の連続で、先月の報告にもあった予定の伝え方など、本人の調子やタイミング、介助者の側の都合などでずいぶんと考えさせられる場面も多い。

難しいという点では、健康管理の問題も介助者会議のテーマとして毎回議題にあがるが、なかなか整理されきれていない。最近では運動不足のせいか、お腹周りに恰幅がついてきている。まあ年齢的にも多少は仕方がないが、対策として以前は柿のたねからバスで帰宅していたが、現在は柿の木ハウスまでの約2kmの道のりを毎日歩いている。それでもなかなか解消には至らない。そこでいろいろと規制が入るのだが、本人のこだわりや介助者個々の判断の違い、なにより邦彦さん自身の意思の尊重をどう受け留めるかなど様々な要素が発生してくる。

正直に言えば夕食のメニューなどはカロリー計算に基づいて献立が考えられることはほとんどない。その日介助に入った人の決めたメニューが食卓に並ぶことが常で、もちろん邦彦さんに何が食べたいか尋ねたりもするが、バランスよく食事をするところまでは考えが及ばない。なるべく油を少なめにしたり、野菜をたくさん食べるように心がけたりはするが、どうしても片寄りがでてしまう。前の日に何を食べたか、食欲はどうだったかなどの情報は介助者ノートを見てから知ることが多いので、すでに買い物を済ませて帰宅すると考えていたメニューが前日と同じになってしまうこともある。

邦彦さんのこだわりということで言えば、彼は御飯の上に汁物をかけて食べたがることが多い。もちろん毎回という訳ではないのだが、これをだめという介助者もいればたまにはいいと対応する人もいる。邦彦さんの方も絶対こだわる時もあれば指示を受け入れてやめるときもある。だめだという介助者は、流しこんでよく噛まない、食べずに遊んでいることが多いなどがその理由で、逆にいいという介助者は食欲がない時など自分もお茶漬けをかき込んだりすることがあるという。なんでも管理に走れば、本人の意思は通りにくく、まかせておけば健康を崩すことにもつながっていく。またこの時、自分でやったことに責任を持って最後まで食べるよう指示をすることもよくある。確かにその通りなのだが、介助者がその事にこだわってしまうと客観的状況判断ができなくなてしまうこともある。何事も適宜なのだ。でも言うは易く現実は難しい。

邦彦さんは一連の行動の中で相手との距離を計っている事が多い。なので、現状ではあえて統一基準を作らず個々の介助者の判断に任せている。マニュアルに囚われすぎてもつまらないし、いろいろあるから付き合っていて楽しくもある。

さてと、もう帰ってごはんにしようか?邦彦今日はなに食べたい?

(チェリー)

2002.1 予定を伝えることの難しさを痛感の巻

読者の皆様、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

私事ですが、新年早々・・・しかも夜中に「あけおめ〜」「ことよろ〜」と着信あり。ってそこまで省略化が進んでいたのかぁ。と感心することしきり。でも、意味通じてしまうんだな。みなさまはどのようなお正月をお迎えで?さて、さて今回の介助者会議報告はその正月挟んでの出来事と会議の報告を少々。

正月前の邦彦氏はやはり「おせち」が気になるようでしきりに「おせち食べるぅ」を連発。ま、連発はいつものこととはいえ、季節感が入るといつもと違う感じです。年末の大型連休は誰にとっても楽しみなものでウキウキしてましたさ。そして、正月明けて4日の金曜日。毎年その日は私が介助に入るのだが、邦彦氏も大分満たされたのか調子は良さそう。ホッとする私。邦彦氏は柿のたねの金クラでたらふく飲んで食って寝て、翌日はチェリーとハウスでお泊りご飯炊きさワクワク。かと思いきや、予定では実家コース。

邦彦氏自身の予定は先に書いたようなコースだったのにぃ。という思いがあったのでしょう。実家から戻ってきてからは、まさに「君たち。これから思う存分付き合って頂くわよ」とばかりに、常に向き合ってないと怒鳴る。声にとげがある状態だったり、普段なら受け入れることができるような話でも受け入れることが難しかったりして、つくづく「予定」をちゃんと伝えてないとこうなるということが身に染みて判りました。

介助者会議では、今月の目標や普段の付き合い方などが話されているのですが、今月の目標は「常に一緒に行動する」に決まりました。簡単なようでなかなか難しい場面があったりするけど、これをやらんと前に進まんので覚悟を決めてやりましょう今月は。

今回のことで言えば、やはり介助体制に無理があった部分もあり、そのことで邦彦氏を振り回してしまう結果となり、それが調子を下げてしまった原因のひとつであることは確かにあった。だから、予定が立たず無理そうだと判断した時はどうするかをこれからの課題に挙げて取り組んでいきたいと思いました。

やはり、こういった事があるとどうしても邦彦氏自身の意見や意思と言うものが周りの人間達の状況によって消されがちに、また左右されてしまう。かといって介助体制が整っていない現状では仕方がないのか?やれる範囲でやればいいと思う時もあるけど、やはり一度やると決めたからには踏ん張ることも必要だよね。今年一年かけて、介助者をもっと増やす。これが、ここでの最大目標だな。

(ひろし)