2001年 無着邦彦介助者会議報告

2001.12 (番外編)福田孝広自立生活を決意!

日頃から先輩邦彦さんをなにかと意識している孝広くん。以前はよく自分で予定を立てては柿の木ハウスに泊りにきて、介助者ノートをチェックしながら邦彦さんに関するネタを仕入れていました。彼が興味を示すのはだいたい邦彦さんの失敗話で時折それを揶揄しています(こらこら性格悪いぞ、お前)。そんな時はもちろん注意しますが、私たちも邦彦さんの介助をする上で、介助者どうしの情報交換という名目で話す場面が結構あります。孝広くんはそんな時も耳をそばだてて、興味深々で情報収集しています。

知的障害者の自立支援を考える時、どうしても出てくるプライバシーの問題。情報を共有化していかなければ、木目細かいケアはなかなかできないし、でも本人にしてみれば誰彼構わず知られたくない事だって当然ある。例えば邦彦さんが福祉工房でどうやって過ごしているかを本人に尋ねても、よほど機嫌のいい時でないとなかなか話してくれないし、通所時間内に私が外で彼を見掛けても大抵無視されてしまいます。自閉症の人の特徴として場面場面の使い分けがはっきりしていて、邦彦さんの場合も工房での顔、実家での顔があり、柿の木ハウスの生活の中でも介助者によって邦彦さんのアプローチはまちまちです。情報交換とプライバシー保護の線引きはとても難しいものがあるのです。孝広くんの指摘で改めて考えさせられます。常にこの事を意識していないとついつい流されがちになってしまう。邦彦さんからしたら「そんなことここで言うなよ」という思いはきっとあるはずです。逆に今度は孝広くんから「俺の悪口をここで書くなよ」との声が聞こえてきそうです。そうやって考えると何も書けなくなってしまいますが。

さて、孝広くんのことですが邦彦さんの生活に興味を示し、この秋に洋志くんと出掛けたピープルファーストの大会で刺激を受けて、ついに自立生活宣言をしました(柿のたねホームページ―掲示板にて)。本人にとっては一大決意なのですが、やっぱり不安もあって、私たちが「じゃあ宿泊体験いつからにする、アパートも探さないといけないね」などと話を振ると、ウーと声を発しながら緊張して「孝広パニック!」。

本人も書いているように来年は30才、少しづつ準備をしていきましょうか。孝広くんは朝のオフィス清掃から柿のたねの仕事を経て夕刊配達まで、働くという点では充分クリアしているので障害者年金等を加えれば、経済的にはなんとかなりそう。一番大切なのは孝広くん自身の気持ちの整理と、家族との関係の取り方かな。そこはやっぱり時間をかけていくしかないようです。その中で彼にとってどんな支援が必要なのか見極めながら個人プログラムを作っていかなければなりません。

おーい、孝広。来年早々にはやっぱり宿泊体験始めなきゃだめだな。心の準備はできてきたかい。それじゃ最後に孝広くん自身の思いをここで書いてもらいましょう。

孝広の自立生活への道

孝広くんが30歳で自立生活を始めます。恵比寿のビルのお掃除や新聞配達や仕事をしています。柿の木ハウスで来年2月くらいに宿泊体験をします。航空券や新幹線切符、タクシー券、バス券、オレンジカード、イオカード、パスネットがほしい。夕御飯や朝御飯を食べたらお風呂の後歯を磨いて寝ます。着替えを忘れずに。孝広は宿泊体験の時に自分で御飯を作ります。メニューはドライカレーや焼き饂飩を作ります。来年はピープルファーストin熊本大会です。多分11月くらいです。熊本大会は自立生活で話をします。スキーも夏合宿も大バザーもバーベキューも参加します。ピープルファーストは洋志君が参加します。

(福田孝広)

う〜ん、やっぱりまだ具体的なビジョンはなかなかわかないよな。でもこの決意表明を書き終えた孝広くんは書いた内容を私の後ろで口にしながらご機嫌モードです。

来年の今頃はほんとに自立生活していることを目指して頑張ろうね、孝チャン。

(チェリー)

2001.11 大学祭で介助者募集のチラシまき

去る11月3日の祭日の日、邦彦さん、孝広くん、洋志くん、私のむさくるしいカルテットで、大学祭巡りに出掛けてきました。行ったのは明治学院大学と上智大学。目的はもちろん介助者開拓。

まずは近い所からということで明治学院大学(白金祭)へ。目黒駅で洋志くんと合流しタクシーで乗り付け(でもみんなでバスに乗るより安いんだよね)、いざボランティアサークルを目指してGO!

いや、なかなかな賑わい。誘惑もいっぱい。ふと見ると孝広くんは早くも模擬店でグルメツアーに没頭している。気が付くとすでに3品目。確かに腹ごしらえは必要だよな。でも僕たちの目的は別の所にあるのだから…。まあいいか。孝広くんは本当に楽しそうにしているし、邦彦さんもふらふらとしながらも機嫌は良好だ。なにより多少声を張り上げても回りもそれほど気にも留めていないみたいだし。

とりあえず、手話ダンスをしているグループに声を掛け、その後、学祭実行委員に声を掛けてボランティアサークルを紹介してもらう。クリームシチュー(お決まりだな)の出店をやっていたのでチラシを渡して、話しこみながらシチューも購入。しばらく散策して、明治学院を後にする。

次の目的地は上智大学(ソフィア祭)だ。う〜ん、なんか華やかだな。私と洋志くんはとりあえずパンフレット購入。ここには「わかたけサークル」があって顔見知りがいっぱい。まずはそこに向かう。古い学舎を抜けてサークルの教室へ行くといきなり「無着くん!」と声が掛かる。邦彦さんが通う東が丘福祉工房でボランティアをしている学生さんだ。女の子に声を掛けられて邦彦さんははにかんでいる。「あなたさっきまでと態度違うじゃないの!」。周囲をみると、あらあら邦彦さんの同僚たちも遊びに来ていて、いきなりリラックスムード。じゃあ彼等に任せていいかって洋志くんそれはだめでしょう。彼らも今日は忙しいんだから。

「あっ、阿貴ちゃん久しぶり」。佑紀ちゃんの学校介助をやってくれていた中村さん。彼女と話をしてとりあえずチラシを配ってもらうように頼み込む。このあとやる演劇まで少々時間が掛かるということなので、またまたここでも腹ごしらえ。降り始めた雨の中、邦彦さんのリクエストでカレー屋さんを探す。お腹も整ったし、時間もたったので再び教室へ。ちょうど演劇が始まるところ。4人で中に入りしばらく観賞。孝広くんも邦彦さんも静かに見入っている(西遊記をアレンジしたサークル紹介)。

けれどやはり邦彦さんはちょっと飽きてきたのかトイレ通いが始まり、そのうち洋志くんと一緒にお散歩へ。残された私と孝広くんは観賞を続けていると洋志くんより緊急事態発生!の電話が。あにはからんやしっかりと撒かれたようだ。仕方なく孝広くんには後で迎えに来るからここで待つように伝え、捜索活動開始。一応サークルのメンバーに邦彦さんが戻ってきたら引きとめておいてもらうようお願いし、キャンパス内をまわる。う〜んいらっしゃらない。こりゃ、もうここにはいないなと駅まで戻ってみると、案の定雨に濡れながらオートバイの前で邦彦さんがたたずんでいる。すぐに洋志くんに連絡を取り、孝広くんを連れて駅まで来るよう指示をして待つこと十数分。雨に濡れながら駆けてくる洋志くんと、傘をさしながらゆうゆうと歩いてくる孝広くん。

結局そのまま帰路につく一行。まさか雨が降ってくるとは知らなんだと、私たち3人が濡れているのを横目に「お前等雨具携帯は当然だろ!」と言わんばかりにしらっとした顔をしている孝広くん。やっぱりどたばた珍道中になる中、ただ一人準備万端グルメロードを満喫し、演劇鑑賞を堪能し、大満足。「あんたはエライ!」

日頃一生懸命働いている孝広くんにとっては最高の休日になったようです。なにしろ一週間以上前から毎日のように「11月3日は上智大学祭!」と連呼するくらい気合が入っていたのですから。

はぁ、それにしても疲れた。何とか反応があるといいなと願うばかりの1日でした。

(チェリー)

2001.9 無着邦彦介助者会議報告

みなさんお元気ですか?先月は紙面の都合でお休みしたのでちょっぴりお久しぶりのご報告です。

邦彦さんは最近絶好調です。ひところ落ち気味だった食欲も盛り返し気味で、お腹が少々(?)出てきたことに目をつむればかなりいい感じ、周囲にも平和な空気が漂っています。

この2ヶ月邦彦さんの周りで起こったトピックスをいくつか拾い上げてみると、まずは私事ではありますが、チェリーの緊急入院!毎日のように顔を合わせていた私が盲腸をこじらせて三週間のリタイア。この間の体制確保で周りがあたふたとする中、当の邦彦さんはうるさい奴がいなくなったとばかりにどうやら羽を伸ばしていたようで、代わる代わる介助が入ってくれる状況に結構ルンルンしていたそうです。なにせ病院嫌いの邦彦さんは、たかが盲腸と考えていたのかお見舞にも来てくれず(別にいいけどさ)、でも考えてみると柿のたねができてからこんなに長い間顔を合わせなかったのは初めてかもしれません。

けれど復活して初めてのお泊まり介助の日、並べて敷いた布団の中からじーと私の顔を覗きこんで安心したかのようにムフフと笑って寝てしまった邦彦さん。「なんだお前案外いいやつじゃん、一応心配してくれてたのね」と思わせてくれる一幕でもありました。でも殊勝な態度は一日だけだったなぁ。

邦彦さんだけでなく私たちにとって病院にはどうもいいイメージがなく(まあ当たり前ですが)、このまま帰ってこないんじゃないかとつい不安になってしまう。とりあえず私は無事生還したので今後ともよろしく。

それから夏休みを利用して、アメリカから邦彦の大好きな祐子ちゃんが帰ってきました。突然現れた祐子ちゃんに、どうした訳か最初ははにかんだ態度を取っていて、それが端から見ているととてもおもしろかった。その後の邦彦さんの機嫌のいい事といったら、私と洋志くんはこれを“祐子ちゃん現象”と言ってよろこんでいました。ちなみにしばらく介助から遠ざかっていた利ちゃんが復活した時もやっぱりおんなじような態度を見せていて、暁子さん曰く「邦彦ってカワイイ奴だよね」。私もまったく同感でした。

その祐子ちゃんが滞在中に、大阪の「そよ風のように街に出よう」(リボン社)から、邦彦さんの自立生活について泊り込みの取材がありました。自分が主役になれるシュチュエーションに最高の幸せを感じる邦彦さんは、これまた御機嫌でした。新しい柿の木ハウスに引っ越してから大勢で食事をする機会が減っていたのですが、久しぶりにテーブルをみんなで囲んでわいわいガヤガヤ、楽しい一日になりました。けれどやっぱりマイペースの邦彦さんは食事を終えるとその日泊まり介助の中田くんを伴なってさっさと部屋に入ってしまいました。しばらくはみんなの事が気になっていたようですが、やがて眠ってしまい、その後登場したお母さんとは顔を合わせず終いでした。宴会はその後夜更けまで続いていました。

その他夏合宿や15周年などもあり、盛り沢山だったこの夏。邦彦さん自身も環境に慣れてきたせいかとても落ち着いた日々を過ごしています。みなさんもぜひ一度柿の木ハウスに遊びにいらしてください。もちろん新規介助者大歓迎です。邦彦さんとじっくり付き合うには今が一番いい季節かもしれません。これから秋の夜長をいっしょに過ごしてみませんか。

(チェリー)

2001.7 無着邦彦介助者会議報告

新しい柿の木ハウスの生活もようやく落ち着いてきた感のある邦彦さん。この頃は本人も介助者も安心して生活しています。

この連載もスタートして以来早一年が経とうとしています。この間邦彦さんの生活や柿の木ハウスの様子、駒沢大学のボランティアサークルからの介助体験報告などを掲載してきましたが、今回は邦彦さんの健康管理について書いてみようと思います。

邦彦さんとは日常的な会話でコミュニケーションをはかり、その点で支障をきたす事はほとんどありませんが、健康管理についてはなかなか難しい部分があります。基本的に邦彦さんは怪我をしていたり、痛いという事をあまり言いたがりません。以前手の指先が表疽になった時も介助者が気付くまでずっと隠していたり、例えば疲れが溜まって腰が痛くなることもあるでしょうが、その事を言葉に出して表現しません。最近妙に不機嫌だなと感じたり、ちょっとした仕草にぎこちなさを感じて介助者が注意深く観察していてわかる事が多いのです。怪我などの場合は外見に表れてくるので、まだよいのですが、腰痛や体調不良などは周りで気付くまでそのままになってしまいます。

一方で「具合が悪い」と本人が口にする事もあります。邦彦さんにとってこの表現は怪我や痛みとかではなく風邪や熱があることを意味しています。そう言われると介助者はとりあえず熱を計ったり様子をうかがったりするのですが、本当に調子が悪いのか、単なるサボタージュなのか(風邪で工房を何日か休んだ後休み癖がついたこともあります)の判断に窮してしまいます。

邦彦さんもそろそろ成人病を心配しなければいけない年齢になってきました。現在もちょっと目立ってきたお腹周りを何とかしようとスリム化計画を実行しています。柿のたねから柿の木ハウスまでこれまではバスを利用していたものを今は30分程の道のりを介助者と一緒に歩いています。また毎日飲んでいた炭酸飲料を何日かに一度にしたり、食事制限をしたりすることもありますが、あまり規制に走りすぎると邦彦さんのストレスは溜まっていく一方になるので様子を見ながら対応しなければなりません。

ク―ラーを一晩中かけていたり、お腹を出して寝ていると寝冷えをして下痢をしてしまうこともあります。そのため介助者は毎日邦彦さんとの攻防を繰り返したりもしています。

健康に対する自己管理は誰でもおざなりになりがちですが、知的障害者にとってのそれはなかなか難しいと改めて考えさせられたりしています。

介助者も邦彦さんと一緒に体調管理に気を付けながら早く涼しい秋が来ないかと首を長くしている今日この頃です。

(チェリー)

2001.6 無着邦彦介助者会議報告

読者の皆さんコンニチハ。介助者の一人「ひろし」です。今月は私が担当ということでよろしくお願いいたします。

今月の邦彦さんの様子はというと、「早く、介助者とお休みになりたい」という欲求がかなり強く、(本人も疲れ知らずということではなくそれなりの年にはなっているから当然っちゃ当然です)それができない場合に起きる数々の出来事が介助者を振り回された一ヶ月だったように思います。

以上のことが今月決まったことなのですが、それまでは、一人でできるから任せる。というのを改善しようというのが今回の介助者会議での決定事項です。

邦彦さんは基本的に自分で身の回りのことはできるのです。が、その時の調子によってそれが出来なかったりする。それを促していくのが介助者としての大きな役割なのですが、介助者もまたそれが様々な環境の中で出来ないこともある。その時、邦彦さんにどう伝えていくか。また、どう伝えるべきなのか。

この間の出来事の中で改めて邦彦さんに「伝えていく」ということが重要だということに気付かされましたし、介助者としてそれが出来きれなかったかもしれない。

今月から来月にかけて以上のことにはよく注意しつつ、接していこうと改められるのもまた介助者会議という場なのかもしれない。

さて、先月のページ担当の「さとこさん」が知的障害・精神障害の犯罪報道について触れていましたが、大阪市池田小学校の事件が直後にあるという偶然。あの事件の報道を見た時に「怖いな」と思ったのがまず「残虐さ」と容疑者の言動による「誤解」でした。ここで「残虐さ」についてはあえて書きませんが、「誤解」の部分については触れて起きたいと思います。

この事件の報道に関していえばやはり一方的な感じがしてならない。多くの知的障害者・精神障害者がそのような事を起こさない(起こせない?)という事実を後に回して「精神障害者」が罪に問われないのはおかしいとか報道されてしまう。結果として社会の中で彼らに対する偏見が助長されていく。ちょっと前にあったことで言えば、邦彦さんと買い物へ行っている時に、前を歩いていた人が後ろを気にしつつ走って去っていった。大きな声だったとは思うけれども、走って逃げることはないでしょう。

確かにその人からしてみれば「知らない」というのがとても大きくて、「怖い」という感覚になったのもわかる。しかし、その時声を掛けるわけにもいかずそのまま釈然としない思いだけが残った。そうする背景にはその人のまわりに障害者がいなかったということもあるのかな。また、逆になにかいやな思いをさせられたとも考えられるし…。

ほんとそういう気は使わずに過ごせるようになりたいものである。

(ひろし)

2001.5 無着邦彦介助者会議報告

このコーナーで話題になってきた、本人とのコミュニケーション、介助者を増やすこと、以外にもう一つの大きな問題として、近隣との関係(地域との関係に置き換えても良い)という問題があります。

障害者全般に言えることでもあるのですが、周囲の理解に大きな格差があります。例えば今までに、障害者と個人的に付き合ったことがある人と、まったく付き合ったことがない人ではまったく違うでしょう。最近話題になったハンセン氏病に対する偏見のように(上告しないという決定、本当によかった!久しぶりにテレビの前でジーンとしました)、無作為に、あるいは故意に流された情報、作られた意識をもとに、個々人に出会ったことがない人は理解します。自分と違う、自分の生きてきた世界にはなかったことに対する違和感は簡単に排除とつながってしまいます。

知的障害、精神障害の場合(伝染病の場合もそうでしょう)、単に違和感ではなく、自分の身への危険とつながっていく意識があります。これは、理解できない、だから何をするかわからないという感情が背景にあり、それに「犯罪」報道における知的障害者・精神障害者の描き方などが拍車をかけているように思えます。

具体的な話に入りましょう。今まで無着さんが実家を出てから暮らした3軒の家のどこでも、近所とのトラブルがおこりました(おまわりさんを呼ばれたり、区の公害相談係に訴えられたり…)。原因は大きな声ということになります。それも単に大きいというだけでなく、言っていることが理解できない、言葉として聞こえない、という点が「不安」を引き起こしていると考えられます。前の2軒では「裏」の家からの苦情でした。つまり、姿が見えないところで、自分の感覚では理解できないことが起きているということが、不安を増幅してしまう…。

何かわからないできごとが起こった時、その原因がわかるまで不安がある、これは日常の感覚で言えば、理解できることでもあります。でも、それが排除ということになると違ってきます。ではどうすれば良いのか?これが自立生活の長年のテーマでもあります。

公式的に言えば、理解してもらうために努力する、ということになり、柿のたねの活動はまさにそれでしょう。障害者が地域の中で生きていくことを日常のレベルで理解すること、それは障害者が抽象的な存在としてではなく、個として見えるようにしていくことだと思います。

でも、日常の生活の、ただでさえ順調とは言えない日々の生活の中で、なぜ、障害者の側だけが努力しなければならないのか? という問題がつねに頭をよぎります。個々人、行政、地域、マスコミすべてのレベルで、偏見をなくし、理解していくことが必要なのではないでしょうか。最近、女性向けの漫画の中に、障害者や、障害児を育てている母親が主人公のものが増えてきています。こんなところから少しずつは変わっていくのかなと思いながら、「出ていけ!」との留守電を聞かねばならない時はちょっと鬱になります。

(さとこ)

20014 無着邦彦さん介助者会議報告

今回は外来で介助を支えてくれている駒沢大学ボランティアサークルのメンバーに感想を書いてもらいました。夏には新2年生との世代交替が予定されていますが、それ以後も是非顔を見せてほしいですね。

出会いからの月日

「ようこちゃんどこかえる?」

昨年度は、週に1度、火曜日にいつもこの言葉を邦彦さんから聞いていた。最近では、邦彦さんに会えないときが続くと、元気なのかな?と、ふと考えたりする。出会ってから、一年以上もの月日が流れた。順風満帆な日々がずっと続いていたわけではないが、その逆風が、邦彦さんとの距離を少し縮めてくれたと、私は信じたい。

(3年 平川 洋子)

邦彦さんと出会い、1年以上たちました。この長い付き合いの中で、邦彦さんのいろいろな面を見たような気がします。頭にきたことや、驚かされたことなどさまざまですが、自分にとって貴重な経験であったと思います。苦手だった料理も心なしか上達したかもしれません。これからも楽しく過ごしていきたいと思っています。

(3年 安田 宏規)

邦彦さんとの付き合いもだいぶ長くなってきました。まだまだ飽きることはないのですが、初めの頃の緊張や疲労感はなくなり逆に楽しみな時間を共有できるようになってきたと思います。今年は忙しく去年のように頻繁には会えないと思いますが、またよろしくお願いします!

(3年 伊藤 詩織)

邦彦さんと過ごし1年以上になりますが、すっかり仲良くなった気がします。いつもいたずらに悩まされ、楽しく過ごしています。そしてこれからも邦彦さんとよく話をして分かり合っていきたいです。いつでも元気な邦彦さんであることを願っています。

(3年 鹿山 慎夫)

僕等が邦彦さんの介助に参加してから、早いもので1年以上経ちました。しかし、1年経った今でも邦彦さんは僕等の知らない部分をたまに覗かせることがあるので新鮮味が尽きることがありません。これからもよろしくお願いします。

(3年 中田 康介)

時間と経験がとても大切だということをあらためて感じさせてくれます。初めの頃は邦彦さんの早口の会話についていけなかったり、不安と緊張が顔色に表れていた駒沢のみんなが、今ではすっかり邦彦さんと打ち解けているようです。わざといたずらをして自分に関心を向けようとする態度は困ったものですが、みんなから逆襲を受けて叱られている邦彦さんはうれしそうにしていることが多く、心のキャッチボールがしっかりとできているようです。時々変化球を投げて返すのが璧に傷ですが…

あなたもぜひ、邦彦さんと一緒に時間を過ごしてみませんか?

(チェリー)

自立生活報告&介助者募集のお願い

いやぁ、春ですね。いい季節になってまいりました。草木が芽吹く頃というのはとかく気持ちがふわふわと浮ついてくるもの。邦彦さんもそろそろそんな時期に入り始めたかなという気がします。

最近の邦彦さんはとかく目が離せない。正確にいえば気が離せない状態だ。ちょっとした隙にあれこれといたずらをかましてくれる。こちらが何かに集中していてふと気が付くとそこらの物がコンビニのビニール袋に入れられて何重にもこぶ縛りされていたりする。例えばいっしょに風呂に入っていて、邦彦さんが先に上がり、後から押っ取り刀で出て行くと台所で5つくらいの玉子が浮いたどんぶりを目の前に置き「卵焼き作って〜」。今食事を済ませたばかりじゃないかと思うのだが無駄にしても仕方がないので言われるままに作ると「あした食べる〜」じゃあ今割るなよ!と言いたくなる。

そんな時の邦彦さんの目はやんちゃな輝きを放っている。今年で38歳になる大人に向かってやんちゃもないだろうと思うのだが、叱られている時もへらへらとしている事が多い。当事者としてその場面に居合せるとなかなか辛いのだが、ちょっと引いてその光景を眺めているとついほくそえんでしまう。どうも構ってほしくて仕方がない、だからちょっといたずらしちゃおうかなという感じなのだ。それもたいてい邦彦さんがお気に入りの相手であることが多い。

視界から離れていても意識がちゃんとつながっているといたずらはぐっと減る。未然に防ぐという意味合いにおいても有効だ。なにかやる前に止めるとその事にそれほど執着はしない。むしろ「やべーばれた」という顔をしてウフフと笑ってごまかす。

一口に障害者の自立生活といってもそれぞれに様々な困難さを抱えている。知的障害者の場合、自分の思っていることをうまく相手に伝えられないというもどかしさは相当なストレスを抱えるだろうと思う。邦彦さんはできる事とできない事の境界線がとてもあいまいだったりする。バイオリズムの波によって、本人もまわりも本当に大変な時期もあれば、介助に入っていてもほとんど何もすることなく終わる日もある。そのあいまいさが介助者の慢心を生み、また邦彦さん自身を理解しづらい存在にしてしまう。一通りの身辺自立ができるかと思うと、思わぬところで引っかかってしまう。ものすごく集中して仕事をこなしている時もあれば、まるで何もしなくなる時もある。それが周囲の人間から見ると、できるのにやらない=わがままと受け止められる事も往々にしてある。

身辺自立にしてもいろんな作業にしてもできるにこしたことはない。最初からできないものと既定してしまえば邦彦さんは少なくともわがままとは思われない。けれどそれは本人の自己実現の可能性の芽を摘むばかりでなく自分たちの心の中で障害者像を作り上げる事になり、それがより一層邦彦さんの持つ障害に対する理解を難しくしてしまう。

邦彦さんはいつもベースに不安を抱えているような気がする。何をきっかけに、どういう時に不安が押し寄せてくるのかといったバイオリズムの波は、季節やいろんな事象といった周りで理由付けしやすいものだけでは推し量れない部分が確かにあるが、その行動の一つ一つを相手に確認するという行為にはっきりと表れてくる。そしてこちらが及び腰で付き合っていたり片手間に相手をしているととたんに見抜き、上記のいたずらにつながっていく。自分の方をきちんと向いていてほしいということなのだ。その表現方法がとても人間くさい。叱られることを理解した上で「わかっちゃいるけどやめられない」。こちらとしては「わかっているならやめてくれ」となる。介助者たちは個々反省を繰り返しながらもっと他に表現方法はないのかと頭を悩ませているが、本人はどこ吹く風でそのやりとりを楽しんでいるふしがある。かくして、トムとジェリーのようなどたばた劇が柿の木ハウスで繰り広げられている。

付き合うほどに奥深く、スルメのように味のある邦彦さんとの生活にあなたも是非参入してみませんか?

(チェリー)

介助者会議録

前号でもお知らせしていましたが、無着邦彦さんが暮らしている柿の木ハウスは昨年12月に引っ越しました。新しい家は八雲2丁目、そう邦彦さんの育った地域です。実家とはホンの10分くらい、彼の通った10中の学区内です。

今度が柿の木ハウスPart3ということになるのですが、今までの家は借家でした。借家はほとんどが短期貸しで、長期に貸してもらえるところは、たいてい取り壊しの予定があり、それまでならというような条件付でした。Part2は当初7年間貸してもらえるはずでしたが、結局1年で予定が変わり、追い出されることになりました(結局2年半住みました)。このように借家では落ちつかないということで、ついに自前で家を作りました。

実際、引越しの前後に邦彦さんはかなり精神的に不安定になります。新しい環境へ移ることの不安、そして新しい環境に慣れるまでのイライラ、確かに誰もが経験するものですが、彼の場合はそれを個人的に解消する方法が見つからないようです。だから周りの人間にいろいろ要求することになります。

今回の引越しも、今まで見たことがないほど不機嫌でした。たとえば、引っ越した後、他の住人や、介助者もどこに何があるのかまだ把握していない時期も、彼はいつもと同じように「紅茶、飲む」、「(介助者)ノート、書いて」と問いかけます。が、紅茶どこ? 介助者ノートどこ? 周りはバタバタ。邦彦さんのイライラはつのります。こんな時は、今までの辛かった体験までいろいろよみがえってくるようで、その結果、パニックを起こしてしまうこともありました。

そんなこんなで、家の中が落ちついて、どこに何があるかみんなが把握するまで、数日実家に帰ることにしました。場合によっては、実家に避難することも必要と介助者会議で話したばかりだったのに、みんな忘れてました。ごめんなさい。介助者自身が忙しく、余裕がなくなると、本人の気持ちを考えることを忘れてしまいます。これも今回の引越しの教訓でしょう。

さて、今はどうかというと、どん底の不機嫌から、今度は底抜けの上機嫌に移行しました(なので、これもまたにぎやかで、家の中でスキップしています)。2年ぶりくらいに大好きな大ちゃんが介助に入ったときなど、もう本当に笑いが止まらないという感じでした。「ほどよい機嫌」というのが、なかなかないなーと嘆くのは介助者側の論理でしょうね?

でも私には家のオーナーという顔もあるのです。だから近所と関係ができるまでは、なんとかおとなしくしていて、という気分です。そう、新居は私と私の職場の友人で建てました(それぞれ完全に独立していて、2世帯住宅のような形)。私の持ち分は独立した部屋が5つ、つまり5人は住めるようになっています)。今、住人は4人で、一部屋空いてます。すこし(かなり?)にぎやかですが、住んでみたいという方はどうぞ言ってください。

みなさん、新しくてキレイな間に遊びにいらしてくださいね。風呂と台所はかなり広くて良いですよ。

(さとこ)