2000年 無着邦彦介助者会議報告
2000.12 やっぱり引越しは大変!! でも、今度は長く安住できるかな?
この12月に、約2年間住んだ柿の木ハウス2号を引っ越す事になりました。今度の住所は八雲2丁目19-5。そう、邦彦さんの実家は目と鼻の先にあります。誰だって引越しをして環境が変わるとなんとなく落ち着かなくなるもの、まして邦彦さんにとって特別な思い入れのある聖地(生地?)がすぐ側にあるというのは複雑な心境のようです。
引越しの前に臨時で介助者会議を開き、想定される事態に備えて(邦彦さんが不安で落ち着かなくなる)、予定にこだわらないで柔軟に対応しよう、本人の気持ちを尊重しようなどの確認をしてその日を迎える事になりました。前日は廃品回収と臨時バザー、当日も邦彦さんは廃品回収を終えてからの合流とハードスケジュールの中敢行され、「今度の家は新築だからね」(オーナーは長沖さん)の言葉に心弾ませ、お約束通りに布団袋にしまった布団を引っ張り出して潜ってみたり(おいおい、これから運ぶんだって)、お茶目な一面を見せながらも上機嫌でよく働いていました。夜8時くらいになんとか目途がつき、打上げとお祝いを兼ねて外食に出掛けてそこでもいい感じ、ほっと一安心の一日を無事終えることができました。
さて、翌日。新柿の木ハウス初めての御飯炊き(御飯を炊くのは邦彦さんの日課なのです)。ところが勝手が違って、ふきこぼれてしまうとなかなか再点火できない。そして「あれはどこ?」「まだ箱の中!」、そう台所と邦彦さんの自室はなんとか整理がついたものの、まだ荷造りした物はすべてが開ききれていなかったのです。だんだんストレスが溜まり始めて、その夜は気分転換に洋志くんとお散歩へ。
次の日の朝、福祉工房へ出掛けて帰宅すると夜は週に一度の駒沢大の安田くんとお泊りの日。いたずらはするものの嬉しさ半面食事を済ませ、機嫌もそこそこにお布団へ。けれどやっぱり気持ちが落ち着かないのかテンションが上がっていく。結局その夜は実家に帰ることにしたのですが、そこで邦彦さんは悩み始めました。みんなの予想に反して、すぐさま帰るという風ではなかったのです。「べつに邪魔者扱いするわけではないんだよ」との言葉に意を決して戻っていきました。
さらに翌日、福祉工房から戻ってきた邦彦さんと柿のたねでじっくり話し合いました。まだ荷ほどきを終えていない新しい家は充分に受け入れきれない状況にあること、だから邦彦さんには申し訳ないが片付けるまでの数日実家に遊びに行って欲しい、予定外に帰るのは邦彦さんが悪いのではなくむしろこちらの責任で申し訳ない、堂々と行ってきていいんだという旨を伝えると、見る見る顔色が変わって上機嫌になりその後のスケジュールについて話が進みました。
邦彦さんには引越しをする前、実家が近いからといって勝手に遊びにいってはだめだよと話していました。その中で、彼は不安な気持ちを抱えながら自分の家は柿の木ハウスという思いが強く、随分葛藤していたようです。事前に柔軟な対応をしようと相談していましたが、介助者の側もどこか安易に実家へ戻ればいいという対応はしたくない、という思いがあり、結果としていたずらに邦彦さんの気持ちを引っ張ってしまったのかもしれません。でもなによりもあらためて感じたのは、数年前の邦彦さんなら実家に帰ってもいいという話におそらく二つ返事で同意したでしょうが、今の彼にとって柿の木ハウスでの生活はとても大きく位置付いているということでした。また洋志くんはもっと早く判断してあげられればよかったと悔やみ、邦彦さんに謝ったと言っていました。この間介助者会議を重ねる中で、介助者の側もそんな邦彦さんの思いに気持ちを馳せ、共有化でき始めていることも大きな実りなのかもしれません。邦彦さんとその周辺の関係、共同生活という形の自立生活は確実に根付いてきたなとちょっぴり自画自賛したできごとでした。
いままでは短期契約でなかなか腰を据えることができませんでしたが、今後は長期的展望が期待できそうです。特定の人物に依存しがちな邦彦さんにとっても少しずつではありますが、広がりと深みを見せ始めています。これからもいろんな課題や局面には遭遇する事になりそうですが、みんなで楽しく、いきいきと自立生活を続けていこうね、邦ちゃん。
(チェリー)
2000.10 無着邦彦さんの日常日記?介助者日記?奔放記?
はじめまして、無着邦彦さんの介助者の顔としては初めての寄稿でございます。ほぼ毎月ゴーストライターとなっているかないひろしです。別に名前を売っているわけではありません。
さてさて無着邦彦さんの日常生活はいかがなものかな?と気になる人も多少いますでしょう?この間、駒沢大学ボランティアサークルの方々からスタートしたこのコーナーも4回目。そろそろ邦彦さんの語録集にも飽きてきたことでしょうから日常生活「いたずら篇」を今回はお送りしたいと思います。
どんないたずらが読者の皆様は思いつきますか?邦彦さんのいたずらはというと、人の目が離れた瞬間に行われるもので
例えば「トレペ∞(無限大)」これは何かと申しますと賢明な読者ならお気づきかと思いますが、ひたすらトイレットペーパーを便器に流す→詰まらす→あふれる→介助者ため息一言→「またか。トホホのホ」
例えば「終わりなき洗濯」洗濯終了のブザーとともにまたも最初からスタート…途中で止めればと思う読者もおりますでしょう。しかし現実はというとそのときの介助者はぐっすりお休みに…賢明な読者ならもうお気づきでしょう。そうです夜中です。洗濯機の側からしてみれば朝までノンストップの拷問です。そこで起きればいいものを私かないひろしは起き(れ)ません。グー
例えば「風呂の栓抜き」賢明な…もういいか? え〜言葉の通り風呂の栓を抜いてくださるのです。ありがたいことにこれから入るゾという時に…。クソー。
例えば…もういいか。ま、こんな具合に悪さをしてみたり時には試してみたりして介助者との距離を量ることもしばしば、そんな時の邦彦さんの表情はとても豊かで…豊かと書くと表現はいいが要はしてやったりという表情がありありで言葉尻も弾んでいるのがわかる。
「ウケケケケ〜ウハハハハ」
と高笑いの時はたいてい何かしら行った後の笑い声。そんな声を聞くたびに
「何やったんだ?」
と、ドキドキ。ま、目を吊り上げて怒るよりはその方がいい時もあるしいたずらモードも度が過ぎなければいいのだが、それがすぎると
発見する→介助者が怒る→邦彦さんも怒る→それに対して介助者もまた怒る
このような図式になる。エスカレートしていくだけでお互いに消耗し、いいことなんて何一つありません。その場の空気を読みながら次に起こしそうなアクションを未然に防ぐというのも邦彦さんに必要な介助者の仕事だったりもします。
ただ、3年くらい泊まり介助に入っているけれどもようやくわかり始めたところですし、またこのいたずらも楽しむくらいでないと勤まらないことも最近わかり始めた新しい発見です。
これからもどうぞ邦彦ワールドに付き合ってくださいね。じゃ、来月のチェリーさんにバトンタッチ!
(ひろし)
2000.9 邦さんと話そう!
邦彦さんは、いろいろなことを問いかけてくる。早口で、何を言っているかわからない時もあるし、初めて聞く人には意味不明の質問も多い。しかも、大きな声で何度も何度も同じことを聞いてくる。大抵は、相手が辟易してしまい適当に流して聞かれたり、「しつこい!」と怒られてしまったり、無視されてしまったりする時だってあったりする。
他者と会話するということは、人には大事なことだと思うし、少なくとも私が人と話している時にそういった態度を取られたら、とっても悲しい。
多くの言葉を持たない邦彦さんにとって、同じ言葉の繰り返しではあっても、一方的な質問であっても、それは他者との会話(コミュニケーション)であり、彼にとってはとても大事なことなのだと思う。
バカな例えで怒られてしまうかも知れないが、オバケのQ太郎の弟のO次郎みたいな感じなんじゃないだろうか?たとえ同じ言葉の繰り返しではあっても、イントネーションや言葉の機微の違いで、言っている(伝えたい)ことが違うんじゃないだろうか? …などと思ったりする。
ともあれ、行間を読み取るのがとても難しい人なので、非常にとっつきにくいのは確かだし、先にも書いたように早口で、何を言っているかわからない時もあるし、初めて聞く人には意味不明の質問も多い。
そこで、先月の補足といった感じで、彼との会話を充実させるための簡単な説明を以下に書こうと思う。
- 「合宿いついく?」
- 〜毎年恒例の柿のたね夏合宿に、いつ行くのか?ということ。『こんど』『夏になったら』などと答えている。
- 「すいか食べた?」
- その夏合宿で食べたすいかの事。「いつたべた?」『なつ』「どこでたべた?」『田牛海岸』
- 「(あした)どこいく?」」
- (翌日の)予定を確認している。わかる範囲で次の日の予定を。
- 「どこ歩いていく?」
- 毎朝、福祉工房に行く送迎バスの乗り場まで歩いていく道のりの事。『境内(近所の円祐寺の境内)』またはどこかに出かける際の道のり。
- 「だれといく?」」
- どこかに出かける時に、誰と一緒に行くのか?ということ。
- 「いついく?」」
- 予定日(時間)の確認。明確な時間を言うと、その予定に向かってばく進してしまうので、『あとで』『こんど』などと曖昧に答えてお茶を濁している。
- 「三丁目いついく?」」
- 月2回の実家帰りの予定を聞いている。これも、日にちを伝えてしまうと猛然と帰りたくなってしまうので『こんど』などと曖昧に答えてお茶を濁している。
- 「○×どこ帰った(行った/いる)?」」
- 知り合いがどこに行った(いる)かの確認。
- 「うさぎさんどこいる?」」
- 『こどもの国』と答えている。(昔行った、こどもの国で見たうさぎが印象に残っているらしい)
- 「もぐらのぽんチャンどこいる?」」
- 『土の中』と答えている。(彼の実家の庭には昔、モグラがいたらしい)
- 「○×なにいろ?」」
- 聞かれた物の色を答えれば良いのだが、「歯」に限っては『シュークリーム色』。
- 「何のおこめ?」」
- 柿の木ハウスで食べる米の種類。大体『あきたこまち』か『ひとめぼれ』。
- 「御飯いつ炊く?」」
- 柿の木ハウスで食事の米をいつ炊くのか?ということ。
- 「しーびーかける?」」
- 自室にあるCDプレイヤーをかけること。(最近は椎名林檎を聞いている)『帰ったら』『寝る前』などと答えている。
- 「洗濯おす?」
- 柿の木ハウスで、自分の洗濯物を洗う時に、洗濯機のスイッチを押すこと。
以上、ほんの一部ですが代表的な例を挙げてみました。邦彦さんとのコミュニケーションのための参考になれば幸いです。もちろん、逆に質問を投げかけたり、違った答えを投げかけてみたりしたってOKです。形にとらわれず、いろいろなアプローチで邦彦さんとの会話を楽しんで下さい。でも本当に重要なのは、言葉尻ではなく行間なのです。
(福田利信)
2000.8 歯って何色だと思います?
はじめて会った人は邦彦さんが何をしゃべっているのかわからないと言う。確かに大きな声で早口だし、私もはじめて聞いた話題や単語を理解できないこともある。「栓ムキ(栓抜き)」のように彼独特の表現もあり、ある程度パターンを知っていると理解しやすい。
行動確認
彼はいつも先の予定を考えている。例えば夏の合宿に行くまでは、ずっとそのことを気にして「合宿いつ行く?」と問いかける。でも、着いたとたんにいつ帰るのかを口にしだす。「あした、どこいく?」「どこ歩いていく?」「誰と行く?」「ご飯いつ炊く?」…。朝から夜まで、予定を確認する。終わったことを確認する「いつ行った?」もある。
どこ?
誰がどこにいるのかを確認するパターンで、これは上の変形だろう。「チェリーどこ帰った?」「石毛さんどこ行った?」「ウサギさんどこいる?」「モグラのぽんチャンどこいる?(モグラって名前があったのね)」誰のことを聞くかで後半は決まっている。
色
邦彦さんは色に独特のこだわりがある。「くちびる何色?」から始まり、いろいろな色を聞く。その一つが「歯何色?」。答は「シュークリーム色」。そんな色があったんだ!色へのこだわりが何なのか今の所わからないのだけど、彼にとっては重要なようだ。
持たない
さて、最後に柿の木ハウスに暮らすようになって出てくるようになったフレーズに「持たない」と「折らない」がある。これは必ずしも実際に何かを持つ/折ることを意味せず、直前に起こったこと、これから起ころうとすることを確認する意味だったりする(例えば「道路、持たない」などのセリフが出る)。どうもこの言葉は、誰かがかけたヘッドロックに対して「顔、折らない!」から始まったらしい。うーん、だとすると介助者の悪影響かもしれない(確かに持たない/折らないは機嫌が悪いときによく出る)。
上記のようなさまざまな質問に対して、邦彦さんは常に期待する応えを用意している。「持たない」に対しては「持たない」で、以前はその返事が出るまで繰り返した。でもいろいろな人が対応する中で、最近はいろいろなパターンが生まれている。「持ちません」「持ちたくない」「そのとおり」、応える相手によって言いまわしが変わり、応えて欲しい相手を特定して「ゆうこちゃん、顔、持ちません!」「ひろしくん、顔、持ちたくない!」「さとこさん、顔、もたない!」と言いかえるようになった。
邦彦さんは期待する返答にこだわり、違う返答だと何度も質問を繰り返すことが多い。だから的確に期待する返答をすることが重要なこともある。でもこのように違う返答に出会うことで、会話にレパートリーが広がることもあることは新発見だった。
長い付き合いだと一定のパターンにはまり、安定しているかもしれないが、新しい展開は少ない。いろいろな人と出会い、新しい風を吹き込ませ、パターンを壊すことが、邦彦さんにとっても、介助者にとっても必要なのだと実感する。
(さとこ)
2000.7 柿の木ハウスからの報告
無着邦彦さんが八雲の実家を離れてくらし始めてから、今年の9月で丸5年を迎えます。その間にいろいろな事がありました。一緒に生活していた梅根さんが3年前に、今年に入ってからは自立生活スタート時点から定期的に介助に入ってくれていた山田さんが亡くなりました。ともに30代の若さであまりにも早すぎる別れに、邦彦さんをはじめ柿の木ハウス(介助者)のメンバーも悲嘆に暮れる日々を過ごしました。柿の木ハウスの住人も何度か入れ替わり、住居も転居を余儀なくされ、いま3度目の家を探しています(なんとか目途が立つことになりましたが)。
一方で新しい関係もでき始め、現在は駒沢大学のボランティアサークルのメンバーが定期的に介助に入ってくれるようになっています。邦彦さん自身も柿の木ハウスで介助者とともに生活するスタイルに少しずつ慣れていき、最近ではたまに帰る実家とは違った柿の木ハウスのくらしに充実感を覚えているのか、とても平穏にかつ謳歌しています。
今年8月の柿のたね14周年に向け、介助者会議(柿の木ハウス)では5年間を振返りながら報告集をまとめようと考えています。邦彦さんが築いてきた自立生活の道を、柿のたねのメンバーそして多くの後進たちに繋げていけるように、様々な視点から見つめ直し伝えていきたいと思います。
今回は昨年の暮れから定期的に介助に入り始めてくれた、駒沢大学のみなさんに介助に入っての感想を書いてもらいました。今後他の介助者からの報告や、住人から見た生活振りなどを掲載しながら、邦彦さんのライフスタイルを通して障害者の地域生活のあり方について考えていきたいと思います。
(櫻原雅人)
2000.7 Dear 邦彦さん From 駒沢大学の仲間たち
邦彦さんと柿のたねの人たちと初めて会ってからまだ半年ほど。でも、みなさん昔から知っているかのように親しく接してくれます。柿の木ハウスへ行くと、何故か落ち着く今日この頃。それはまるでおばあちゃん家に来たような…。この活動を始めて、料理のレパートリーも増えました。邦彦さんの好きそうな料理もちょっとは判ってきたような気もします。私の最近の料理の友は『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』HPなのでした。
(大藤季絵)
邦彦さんと出会って、半年立ちました。一緒にお出かけしたり、バザーをやったりして、今は夕食の料理のほんの一時しか一緒に過ごすことはできませんが、邦彦さんの笑顔に支えられ、楽しく過ごしてきました。不安だったこともあって、迷いもありましたが、こうして続けられてきた事は、邦彦さんと楽しい時を過ごしてきたからだと思ってます。これからももっとコミュニケーションを充実させ、仲良くできたらと思います。
(平川陽子)
邦彦さんと出会ってもう半年が経ちました。一人暮しの自分にとって、食事を作ってみんなと一緒に食べるのは楽しい事です。宿泊も早寝早起きができて、普段のだらけた生活に喝が入ります。最初のうちは不安もあったけど、邦彦さんと過ごしているうちに消えていきました。あの笑顔を見れば不安も疲れも飛んでしまいます。時々頭にくることもありますが、一緒にいると楽しくとても有意義です。
(安田宏規)
邦彦さんと初めて会ったのは、たしかまだ寒い12月だったと思います。第一印象はとても大きい人でした。それから半年が過ぎて、邦彦さんについていろいろ解るようになった気がします。自分たちの話していることをしっかり聴いていてよく覚えています。たまに色々ないたずらをして困らせてくれますが、とてもやさしい心の持ち主です。少し年の離れた友人ができたと思ってます。
(鹿山慎夫)
邦彦さんの食事介助をするようになって半年程たって、ずいぶん初めの頃と比べると慣れて、私の生活の中で当たり前のことになっています。邦彦さんの方も名前を呼んでくれるようになってとてもうれしいです。私自身も毎回介助に入るたびに、楽しいのと同時に邦彦さんの行動に驚かされたり、気付かされたりします。これからも意識を持って活動して、邦彦さんともっとコミュニケーションをとって仲良くなっていきたいです。
(伊藤詩織)
介助に入って最初は何をしていいのか解らない事ばかりでした。しかし介助に入る回数が増え、だんだんしゃべっていることや行動パターン等に慣れてくると、邦彦さんも慣れてきたのか、こちらに呼び掛けてきてくれました。その時の嬉しさは格別のものでした。これからもこの介助を続けていって僕にとっても邦彦さんにとってもよい方向にお互いに影響を与え続けていけたらよいなと思っています。
(中田康介)
始めて約6ヶ月たってだいぶ慣れてきました。正直言って最初は恐怖心が強くて、どうしても距離を取っていました。1年生の時は休み中ということもあって比較的長く一緒にいることができたのですが、2年になってから授業の都合上、途中から参加しているのでただ食事を作りに行っている感じでなかなか接触が持てませんでした。後期からは一年生も加わってくると思うので、今まで以上に積極的に参加していきたいと思います。
(西郷民子)