就学時健康診断を考える集いにみなさんご参加ください!!
「原則分離」から「原則統合」へ
今年も就学時健康診断の季節がきました。
小学校入学。子どもに、そして家族にとっても楽しみなできごと。でも、その門出に、「近所の子たちとは同じ学校に行ってはいけない」といわれる子どもたちがいます。就学時健康診断がその振り分けの第一関門になり、障害がある、発達が遅れているという判定を受けた子どもたちは、障害児学級へ、養護学校への進学が勧められます。
長いあいだ障害を持った子どもたち、その両親が交渉してきた結果、目黒区では親が強く希望すれば普通学級の入学が認められてきました。しかし、入学後、親の付き添いが義務付けられたり、学期ごとに転校を勧められたりと、安心して学校に通えるという状態とは程遠いものです。
親が付き添っての学校生活は子どもたちが自然にふれあうことを難しくします。一方で授業の内容や学校の設備などに配慮がないために、当然受けられるはずの教育自体も保障されずきています。ノーマライゼーション(障害者が普通に地域で生きていくこと)やバリア・フリー(障害者や弱者にとって設備などが障壁にならないように作ること)が常識となりつつある社会の中で、学校だけはハードもソフトもそれからは程遠い世界になっているのです。目黒区の障害者福祉基本計画の中でも、就学前の保育園・幼稚園での統合保育がうたわれているのに、小学校になると「交流」に後退してしまいます。
なぜ学校だけが、と考えたとき、「学校教育法」が障害児は養護学校へという別学体制になっていることが大きな壁になっていることに気がつきます。目黒区の教育委員会も「法の運用の範囲でできる事はすべてやってきた、あとは法が変わらなければできない」といつも主張します。この壁を突破できない限り、普通学級に通っている障害を持った子どもたちはいつまでも「本来はここにいるべきでない子ども」としての待遇を我慢しなければならなくなってしまいます。
「原則分離」から「原則統合」へ。「子どもの権利条約」や国連の「障害者の機会均等化に関する標準規則」を武器に教育基本法を改正し、障害者を持った子どもの教育権を獲得しようという議論が、現在障害者やその仲間たちのあいだで進められています。これらの議論を紹介しながら、具体的な目黒区の就学状況と照らし合わせながら「原則統合」の意味を考えたいと思います。ぜひご参加ください。
また、今年も就学時健康診断当日、各小学校の前で「就学時健康診断を考える集い」をお知らせするビラをまきますので、こちらにもご協力をお願いします。
(さとこ)
平山静雄自立生活一周年
去年の10月1日からスタートした僕の自立生活もやっと一年経ちました。自立生活を始める前、そしてこの一年間、いろいろな事がありました。自立生活を始めるきっかけから振り返ってみたいと思います。
5、6年程前に職場で『ハンズ世田谷』の施設紹介のパンフレットを見ました。その中の記事で自立生活セミナーがある事を知りました。以前から自立生活については興味を持っていてので、早速セミナーに参加することにしました。セミナーは7回あり、実際に自立している人の話や、自立生活するための講議や実習等の研修を受けました。その後、「自立の家をつくる会」主催(実際は主催ではなく毎年実行委員会を立ち上げて開催しています―編集注)のサマーキャンプに参加し、そこで「自立の家をつくる会」の代表者で自らも自立生活をやっている小佐野さんと出会い、いろんな話を聞きました。この小佐野さんとの出会いが僕の自立への夢をどんどん膨らませていったのです。
小佐野さんの紹介で「自立の家をつくる会」のセミナーにも参加しました。そして「自立の家をつくる会」の関係者の方々との交流が始まり、「僕にも自立生活ができる」という自信がつき、「自立」を決心しました。
自分で決心してから、家族を説得するのにとても大変でした。まず姉に相談しましたが最初は反対で、約一ヶ月位話を重ねて、「大変だと思うけど静男が本気なら協力する」と言ってもらい、それから両親に相談しました。もちろん二人共反対でした。そこで自立生活の先輩である小佐野さんに相談しました。そして食事を作ったり、洗濯をしたりする自立生活の練習をして、その様子をビデオに録り、両親に観てもらいました。すぐに賛成はしてもらえなかったけど時間をかけて説得し、なんとか母だけは賛成してくれました。父は賛成してくれなかったけど、なんとか許してくれました。僕が勤めている工房の職員の人からは、「どうせやっても長続きしないからやめなさい。」と言われたが、逆に意地になって「絶対自立生活してやる」という力が出てきた。
こうして自立生活を始めるための準備に入った訳ですが、これがまた大変でした。始めに部屋探しです。自立の家のスタッフと一緒に不動産屋さんを訪ねましたが、ほとんどの不動産屋さんは僕の眼は見ず、自立の家のスタッフの人ばかり見て話をしていました。そして「障害者が入れる物件はない」と断られ続けました。そして13件目に訪ねた不動産屋さんは僕の眼を見て話を聴いてくれました。そしてやっと入居できる部屋が見つかりました。
次は、僕の自立生活で最も重要な介助者を募り、確保する事でした。入居する部屋の最寄駅である中目黒駅や、渋谷駅、その他いろいろな場所でビラを配りました。なかなか人は集まらなかったけど、キャンプで知り会った人や自立の家のスタッフに協力してもらい最低限の介助者が集まりました。その他、自立生活に必要な事を区役所の方々にも相談にのってもらい、アドバイスを受けながら準備を進めていき、やっと自立生活が始まりました。
希望に燃えて始まった自立生活ですが、最初の日に嫌な介助者が来ました。僕は「どうして初めから辛いめに合わないといけないのだろう」と思いました。また、生活していて不便な事が生じたり、生活に必要な物が欲しくなったりしました。これらは家族の協力を得て少しづつ改善していきました。また、家具等を移動したり、季節毎に家電を出したり、しまったりと、やらなければいけない事がたくさんあります。実家に居るときはやったことがなかったので、初めて親のありがたみを知りました。何でも自分でやることが自立する事だと改めて感じました。
自立生活でとても重要なのは食事です。最初は自炊していました。そして作るのも楽しかったです。しかし、いちいち介助者に、米の研ぎ方、肉や野菜の切り方、調味の事を伝えて作ってもらうのが面倒くさくなり、毎日自炊する事をやめました。今でも、たまには自炊しますが、ほとんどはスーパーで弁当や惣菜を買って食べています。
次に介助者との付き合いですが、毎日違う介助者が付きますので、いろいろと大変です。僕が言った通りにしてくれない人、何回言っても忘れる人、トイレの電気をつけっぱなしの人、ガスの元栓をあけっぱなしの人がいたりして、最初のうちはお願いしていたけれど、そのうちいちいち言うのも辛くなり言うのもやめました。会社の人間関係と同じように、介助者との付き合いも大変です。そんな時は、一人になりたいと思う。一人でないと本当の自立ではないと思う。しかし僕の場合、介助者なしでは生活できないのです。僕の自立生活は介助者との二人暮しなのです。だからいろんな介助者がいて大変だけど本当はとても感謝しています。一年をまとめてみると、いろんな人のおかげでここまでこれたと思う。自立して初めて親のありがたみも知りました。一緒に生活している時は、とてもうるさい親だと思っていたけど、それもすべて僕のためにうるさくいってくれていたのだということが少しだけどわかったような気がします。初めは自立とは、「自分の思った通りにやること」と思っていたが、本当の自立は、自由だけでなく、規則を守る事も必要だと知りました。このことを、自立を目指している後輩達にも強く言いたいです。雨の日もあれば、晴の日もあるように、自立生活は素晴らしいことなので、あきらめずに一度挑戦してみて下さい。僕もこれからも困難にめげずに頑張ります。
なぜならば「俺は目黒のスターだから。」
裕の旅日記 人生初の海外旅行、デンマークに行って!!
夏休みにいとこの圭ちゃんと18日間、デンマークに行って来た。
デンマークは北海道より小さい面積で、人口は東京の半分くらいしかない。消費税が25%で、日本に比べてすごく高いけど、政府予算の7割近くが教育、福祉に使われていて、医療費や授業料は全て無料になっているそうだ。
環境先進国でもあり、クリーンエネルギー(風力発電)やゴミのリサイクルに熱心だ。コペンハーゲン駅でペットボトルやビンを探している人たちを見かけた。ペットボトルやビンは、スーパーに持っていくとお金になるので、それが結果的にリサイクルになっている。
宿泊先は、デンマークの首都コペンハーゲンから電車で3時間のビリビア駅から更に30分ぐらいの所にある。日本人が、デンマークの環境政策について学ぶ研修センターの「風の学校」という所に泊まった。車で30分走らないとスーパーも他の店もない田舎だったが、その代わり山のないデンマークでは、360度緑の地平線が続いている。美しい森に囲まれた所だ。夜は、星が信じられない程近くに見えた。
『風の学校』では、芝でサッカーをしたり、校長のステファン・鈴木さんの農場で馬を見たり、牛になめられたり、隣りの農場のダチョウに追いかけたり、いろんな体験をした。
その他にも老人ホームと病院を見に行った。老人ホームは、中がとてもきれいで居住者の部屋はみんな個室で、自分の家で使っていた物をそのまま部屋に持ち込んで、その居住者が一番落ちついて暮せる環境にしている。
病院は、外見は学校みたいだが、障害者のための車椅子や食器など、ありとあらゆる物が用意されていてその人の障害に合せて使うことができるし、無料で貸出しもするらしい。この国では、人間が道具に合わせるのではなく、人間に合わせて道具を作るという発想がすばらしいと思った。
『風の学校』のスタッフの皆さんにお世話になったので、圭ちゃんと二人でレストランでごちそうしようと町に出た時、店から両手を前の人の肩に乗せた20人ぐらいの年輩の男女が、歌いながら列を組んででてきた。僕達が見ていることに気づいたおばさんが、一緒にやらないと声をかけてくれた。僕の中で、デンマークらしさを見た気がした。
今、振り返って考えてみると、デンマークの人達やその生活を見て、目先の利益や形式にとらわれず、個性や中味を大事にする国だと感じ、世界には日本とまったく違う考え方があって、日本だけにとらわれる必要はないのだと思った。
(中村 裕)