1999年9月の柿のたねニュース

13周年総会と講演会の報告

残暑厳しい先月の8月29日(日)、目黒本町社教館レクレーションホールにおいて柿のたね13周年総会と講演会を開催しました。参加者は30名、これまでの交流・お祝い会的な形ではなく、昨年に引き続き柿のたねの活動を各担当者がまとめて報告する総会形式で進めていきました。

今回は、逼迫する財政状況や活動を進めていくための人手の問題など柿のたねの現状を踏まえ、来年度に向けて、今後の方向性を一年間かけて論議するための出発点とすることをテーマにし、各活動の状況と直面している課題、展望などが話し合われました。

新しい活動としては、若い世代を中心に昨年からスタートしたホームページやフリーマーケット部隊が一年を振り返り今年度の決意をあらたにし、活動の進展を見せています。またなんとか財政の立て直しをはかる目的で、毎週火曜日にガレージセールを開いたり、通信費の補填のため書き損じはがきの回収も始めました。

今年度の活動の中では、行政との交渉や関わりも課題として上げらました。2003年度までを実施期間とした目黒区の「第二次障害者行動計画」の中間まとめについては昨年11月と今年の7月の二度にわたって要望書をまとめ提出、さらに障害福祉課長と話し合いの場も持ちました。学校を巡る状況においては、障害児が普通学級に通う場合のケアについて具体的な付添いの問題、施設の改善に関して教育委員会、教育長と交渉の場を重ね、実際に今通学しているケースの待遇改善とともに普通学級を希望する場合の受け入れ体制作り、ハード・ソフト両面での環境整備について話し合いました。結果週二日の付添いを認めさせる事はできましたが(介助者は当事者が推薦)、法制度の壁は厚く、別学体制を変えていくとともに現実に通っている子ども、その親の権利が保障されていないことをさらに訴えていく事が今後の課題となっています。

その他では実行委員会形式で広く参加呼びかけをしている「まひるのほし」上映の経過、定番の活動や邦彦さんや恭子さん孝広さん優子さんをめぐる状況が報告され、最後に特別アピールとして都立定時制高校の統廃合反対の訴えを提起しました。

続いておこなわれた、講演会では台東区のほおずきの会(ぐるーぷポテト)から金岩澄忠さんに「誰もが地域で生きていくために」という内容で会の歴史と活動の紹介の後、幼児期、児童期、成人期の本人や家庭・親へのサポートのあり方について項目ごとに整理してお話していただきました。行政区によって多少の違いはあるものの直面している課題は柿のたねと共通するものがあり、この一年間で我々が何をすべきか整理しその方向性を探っていくためにとても有意義なお話でした。行政との関わりや制度の利用について、とくに介助スタッフやボランティアの広げ方などはおおいに参考にしていきたいと思います。

柿のたねも14年目に入りました。これまでの活動で培われた基礎をさらに進め誰もが暮しやすい社会を実現するには、明確なビジョンを打出し内輪展開で終わることなく普遍化していくことが必要です。これまでも多くの人に支えられてきましたが一人一人が問いを発し、それに応えていけるものを創らなければと身の引き締まる思いです。

今後ともよろしくお願いします。

(櫻原)

金井康治さん追悼

去る9月11日金井康治さんが亡くなった。享年30才、あまりに若過ぎる死に訃報を聞いた時は言葉もなかった。

今から22〜23年まえ。邦彦が中学生になった頃だと思う。何か障害者関係の集会があったときに康治さんのお母さん(律子さん)がビラまきをして居られた。当時我々親子も普通学級へこだわり、学校では孤軍奮闘中でくたびれ果てていたが律子さんのひとりビラまく姿を見て「偉いな」と思ったのを覚えている。それから程なくして足立のあのうねりのような康治さんの養護学校から普通学級への転校闘争が起きた。障害があっても社会で普通に生きていく、その思いにつき動かされて社会の正確な縮図である地域の学校へ行く、このあたりまえのことを獲得するためのあのすさまじい闘争はつい昨日のことのように思い出す。

目黒でも「共闘しないか」律子さんの呼びかけに当時自分の頭のハエを追うのに青息吐息、加えて意気地なしの私は共闘しなかった。けれども足立区で大々的に闘ってくれていた康治さん達のおかげで邦彦も間接的にはどんなに助けになったことか。

ハンディキャップを負って生まれてきたことは、ある意味で難儀なことも多いが、得るものもある。世の中の大部分の人達が気付かない社会の構造、物理的にも精神的にも―不便さ、苦しさ、悔しさ、人々のやさしさ、人情の機微等々、小学、中学、高校と社会の中でいろいろなことにごつんごつんとぶつかりながらやっと「ひとり立ち」して、いろいろな介助者にも巡り合いながら障害者の先駆的生き方をしてきた康治さん。太く短く中味のぎっしり詰まった人生だった。

あなたの死は惜しみても余りある。あなたの足跡を消さないためにも我々は前を向いて進んで行きます。

(無着麗子)

デンマークぶらり旅

飛行機に乗って11時間。今年の夏私達は、遠く西にある小さな国デンマークを目指して旅に出た。生きる喜びを体中に感じるために。なんて格好の良いものじゃないけど、今回は私と裕君のデンマークの旅を皆さんにお話したいと思います。

まず、何と言っても私達は海外旅行の経験がほとんどなく、その上英語も恐いくらいに喋れません。実のところ私なんて内心、出国できるかさえ不安でした。しかしそこは現代社会、前の人達にしっかり着いていき飛行機に乗るとひとっ飛び、あっと言う間にデンマークに到着です。自分の力を何ひとつ使わず、椅子に座っていればどこにでも行けるという今の世の中、私は少し戸惑いました。裕君の二人で大きな荷物を持って空港や駅に立っていても、なかなか自分達がデンマークの地を踏んでいるというリアリティーが沸いてこないのです。うーん、私が古臭い人間なのか、この辺りから私の中でデンマーク王国は夢のような現実となったのです。

首都のコペンハーゲンから電車で3時間半の所にあるビリビアという町に、私達が目指す〈風の学校〉はあります。それはそれは素敵なド田舎です。見渡す限りの麦畑と牧場、そしてそのまた先にはトウモロコシ畑。私の頭の中にあった田舎の概念は、完全に吹き消されました。でも何とこれが美しい。美しいというか何か、その風景を見ていると心が涙ぐみそうになるのです。大きくて暖かい自然のなかで、小さな自分が息を吸い込み生きている実感。この幸福感は私をすぐにデンマークの虜にしてしまいました。

さてさて、〈風の学校〉で私達は居候という身なのでした。なので当然私達はうーんと働こうと覚悟を決めていたのですが、私達には大した仕事は与えられず、自由な時間がどっさりとプレゼントされました。私のお仕事といえば、ご飯作り、ボイラー炊き、掃除くらい。その他の時間は全部自分のもの。はい、ここで問題が勃発したのです。私達は、急に目の前に現れた山盛りの自由な時間と、大きな空、何一つ余計なもののない広大な緑の大地に囲まれて、ズバリ途方に暮れてしまったのです。何をしようかという言葉がわたしの頭を回ります。気が付くと朝ご飯、そしてコーヒータイム、昼ご飯、おやつ、昼寝、と私はまるで動物のような生活をしていました。

けれど4日目位から、私はその単純で余計なものが何もない生活を心から楽しいと思うようになったのです。人間の営みというものを体中で感じながら、自分が今生きてみたかったのです。後で〈風の学校〉のご主人の鈴木さんが言っていた言葉を思い出します。「ここは何もないから退屈でしょ。でもその退屈な時間が人間には必要なんだよ。生活している中で自分が本当に求めている生き方が見えてくるから」。納得です。その証拠に、私も裕君も見る見るうちに顔が生きる力に満ちてきたから。

鈴木さんは周りの人達の話を聞いたり、本を読んだり、色々な所に行ったり、山盛りの時間の中で私は本当に沢山のことを感じ、そして考えました。今の自分、将来のこと、卒論のこと、デンマークという国のこと、そして日本の未来のこと。私の頭の中は生き返ったように動き回っていました。頭が元気になると体も元気になるもので、私はせっせと食いしん坊な自分に美味しい物を与えていました。デンマークの食べ物はとってもおいしかったぁー。

そんなこんなで、今回のデンマークの旅を終え、私は心も体もふくふくと太って帰ってきました。何だかこの旅で、自分の人間としての生きるリズムをつかめたきがします。うーん言葉ではうまく今の満足感、幸福感を皆さんに伝えきれませんが、私はこの先の人生で今回の旅で心に生まれた色々な種を大切に育てて実にしていきたいと思います。

最後に、この旅を私にプレゼントしてくれた家族のみんな、〈風の学校〉のみんな、心からありがとう。

(中村圭)