目黒区申し入れ書
以下の内容で申し入れをしたいと考えています。1月15日のパブリックコメントも含め、ご意見をお寄せください。
移動支援
- 利用時間の上限について現在50時間が定められているが一部特例も認められています。利用者の生活実態に合わせて必要な支給量を検討してください。
- 他の区では移動支援に従事する者の資格を撤廃している例があります。目黒区においても障害者が利用しやすい制度を目指し、ぜひ実現してください。
- 知的障害者の中には当日の体調やさまざまな理由で必ずしも予定通りにいかず、外出時間になっても出られずに時間がかかったり、結果として自宅で過ごすことになる場合があります。障害の特性や一人一人のケースに合わせて制度の柔軟な運用を認めてください。
介護給付費(居宅介護等)
- 障害程度区分判定について、介護保険を元にした認定項目では知的障害者とりわけ自閉症の方には必ずしも適切な判定が出ていません。直接的な身体介護等の必要性だけでなく障害の特性や一人一人の生活環境を考慮し、多角的な視点から判定をしていただくことを強く希望します。またすでに判定が出ている方についてもその要望に応え再度判定の見直しを検討してください。
緊急介護
- 現在、年12回の枠で認められている社会参加(宿泊旅行等)の利用については目黒区の独自運用として高く評価していますが、今回地域生活支援事業の移動支援と併せて移動支援の上限枠を変えないまま、この運用を撤廃することが検討されていると聞き及んでいます。これは障害者福祉の切り捨てにつながり、断固として受け入れられません。今後も継続運用されるよう強く要望します。
- 通学介助として月10回(1日2回まで)が認められていますが、児童や生徒の通学日数を考えた時とても充分な状況といえません。利用者の実情に合わせて上限を撤廃してください。
- 上記の1、2は利用内容から考えても緊急介護というよりむしろ地域支援事業の方がふさわしく、制度の見直しを求めます。また申請理由の条件を撤廃もしくは利用しやすいよう変更してください。
就学時健康診断を考える集いの報告
12月9日の土曜日に「就学時健康診断を考える集い」を開きました。
「障碍児を普通学級へ、全国連絡会」の運営委員の熊谷直幸さんからの体験談と障碍児教育の現状をお話をしていただき、後半は4月に入学を控えたお母さんや、現在普通学級に通わせていらっしゃるお母さんを交えての懇談会になりました。
熊谷さんの娘のあいちゃんは染色体異常+水頭症という障害を持ち、普通学級の小・中学校に学びました。あいちゃんと学校との色々をつづった通信をまとめた「あいぴい」を2冊寄贈していただきました。柿のたねで回し読みをさせていただいていますが、是非、ご購読ください(^o^)。
あいちゃんの経過
あいちゃんは、就学時健康診断は受けずに、学校長と延々と話し合い入学。つきそいはするつもりは無いと、入学式にも学校で対応して欲しいと申し入れた。学校からは行事のたびに色々言われたが、クラスの子どもたちは「あいちゃんは、神様の贈り物だね」とすんなりと受け入れてくれた。
中学の時は学校に入るのにためらいが出ていた。本人には辛いものもあったのかもしれない。
「あい」が亡くなり、姉も成長して、学校の現場とはだいぶ遠くなった。学校とは通過していく場なんだな……と思う。
教育現場の現状
- '79年の「養護学校の義務化」の年から不登校の生徒が増えはじめている。
- 地方ではなかなか普通学級に入れない。入れてもつきそいを強要される。
- 高校に行こうという動きも厳しくなっている。2次3次で定員割れでやっと入れる状況。定員割れでも職員がピケを張って拒否する学校すらある。
- しかし、学校へ入れば、子ども達の持っている力は凄い。
- 分離・別学の中で、「安全で手厚い」といわれてもそうとは限らない。
- 障害者の就労を進めようとすると、「今までつきあったことがないから無理だよ」と言われる。
- 判例で生涯賃金が120万円と出た例もある。
- 学校に「いる」だけではなく、「どう学んでいくか」を考えていかなければ。
- 日本も、世界の動向として、先進国としては「インクルージョン」を進めていかなくてはならないとは思っているらしい。
- 教育基本法が改正(?)されようとしている。問題点は分離条項だと思う。
懇談会より(1)
熊谷さんの知人で青森で教師をなさっている岩間さんからも「81年に情緒障害の子どもを受け持ったが、当時はまだ入学する子どもが少なかった。子ども達にとって、その子が入ってきたことで、大きな成長と素晴らしい出会いがあった。ただ、学校という壁は厚い」との話もありました。
懇談会より(2)
- 介助が全時間つくと、まわりの子どもも「介助者がいるからいいや」となってしまう。どういう風にかかわればいいのか難しい。
- 目黒にかぎらず、早いうちからやんわりと選別されている。障害も軽い・重いで選別されている。
- 就学時健康診断の前に就学相談の日程が組まれていて、何の疑いもなく行くものだと思っていた。
- 教育委員会は「親御さんのご意見を尊重する」と言ってくれたが、つきそいを強要された。
- つきそいは「教育支援」で公費で出るようになったが、現在はパイの取り合い。何年か前に、予算はニーズの4分の1だと言っていた。
- 今は学校の中の管理が厳しくなっていて、教員同士で相談するという時間も作れない。
みんな、一緒に生きたいね。HIVバージョン
12月1日は世界エイズデー。今年のテーマは「Living Together 〜私に今できること〜」で、各地でいろいろなNGOがイベントをやっていました。Living Togetherとは「ともに生きる」ということ。柿のたねとも関係あるじゃん、私たちもHIV(エイズを発症させるウイルス)について考えられないかと、12月8日の金クラをLiving Together nightとして、HIVに感染している方々(HIV陽性者・HIVポジティブ・HIV+と書きます)やその友だちからの手紙の朗読を行いました(下記*)。
当日参加したメンバーで、一人ずつの手紙を読んだのですが、いろいろな状況の、ウイルスに感染して、でも今生きているひとりひとりの手紙は、ごくごく身近に彼ら、彼女たちがいることが感じられます。その上、Kさんから、ある日突然職場の同僚から、実は私感染しているんだと告白されたという話が出て、本当に身近なんだと再確認。その人の待遇をめぐって社長に談判した話や、なんでKさんが告白の対象に選ばれたんだろうねとか、話は盛り上がりました。
現在はHIVに感染しても、エイズを発症しない治療が開発され、ウイルスに感染することが、すぐにエイズになって死ぬことではなくなってきています(インフルエンザ・ウイルスに感染しても発症しない人はいますよね。それと同じことです)。だからこそ、感染した人とともに生きることが必要になってきます。
でも、エイズ/HIVには、不幸な歴史があったため(HIVに感染したこと、またはエイズになることが不幸だという意味ではありません。もちろん)、偏見が付きまとっています。エイズ=死もその一つでしょう。また、初期にUSAでエイズが発見されたとき、男性同性愛の人々で見つかったため、男性同性愛の人の病気と思われたこと(日本やUSAではいまだに男性の感染者が多いのですが、アフリカでは女性の感染者が同じくらいいます)。日本では、血液製剤による感染を隠すため、男性同性愛の方が発症するまで、国内にはHIV感染者がいないことになっていたこと。
このような経過もあり、性行為によって感染する病気は他にもいろいろあるのに、HIVだけが「特別いかがわしい病」のように思われてきました。そして、そばによっただけでうつるのではないかと思われたり、唾液からうつるといわれたり、蚊に刺されたらうつるのではないかなどいろいろな説が飛び交いました。そのため、HIVに感染すると職場や学校から排除されたり、友人関係が壊れたりといったことがおきてきました。
実はHIVは感染力がとても弱いウイルスで、ウイルスの入った血液や精液などが傷口から入らない限り、感染しません。つまり、日常生活では感染しないウイルスなのです。(これに比べてノロウイルスの感染力の強いこと!) 病気だけでなく、偏見とも戦わなければいけないHIV陽性者、彼ら、彼女らを支えて、一緒に生きるために、私たちも知識を持つことが必要だと思います。そのための第1歩でした。これからも、HIV陽性者とともに生きるためのイベントをやっていくつもりです。ぜひ、顔を出してくださいね。
(さとこ)
*「Living Together LETTERS」(ぷれいす東京発行、2004年)から。柿のたねにおいてありますので、どうぞ関心がある方はお読みください。