2006年11月の柿のたねニュース

就学時健康診断って?

〈就学時健康診断は関門〉

みなさんは『ノーマライゼーション』という言葉をご存知ですか?それは障害のある人もない人も同じように、その一員として自立し生活できる社会を目指すという考え方やそういう意識の事を言います。今、世界の流れはノーマライゼーションの定着へと進み、日本でも社会においてはその意識が徐々に浸透しつつあります。けれど《学校》という教育現場は長年にわたり分離教育が継続され、残念ながらいまだに健常児と障害をもった子どもを文字通り分けて教育するのが当たり前の世界なのです。そして就学時健康診断とは、入学前の子どもの中から障害をもった子どもを見つけ出し、健常児と分けるひとつの手段でもある訳です。障害をもった子どもでも必要なサポートが充分にあれば、ともに遊んだ地域の子どもたちといっしょに普通学級へ通うことができます。誰でも受け入れることが前提ならばみんなが笑顔で受診できるはずですが、実際にはそうではないのが実情です。受診は強制ではありません。でも障害をもつ子どもや家族にとっては大きな関門なのです。

〈心のバリアフリーは、ともに学び育つ学校づくりから〉

今でこそ『バリアフリー』という言葉が広く一般的に使われだし、駅や公共の施設にはかなりエレベーターやスロープ、手すり等が普及しています。けれど人の心はどれほどの変化をしたでしょうか?私自身もつい最近まで身近に障害をもつ方がいなかったので、どうやって接したらいいのかその術を知りませんでした。それはやはり学校教育を分離してきた弊害だと思うのです。

日々過ごす学校生活の中に障害をもった子も一緒にいてこそ、それぞれの存在に目を向け、ごく普通に受け入れていくことができるのではないでしょうか。子どもの心は驚くほど柔軟です。優しさを持つ反面、かなり辛辣な言動も取ります。でも実際に学校内の介助に入ってみると、最初は戸惑っていた周りの子も時間の経過とともに自然と手助けや会話をしている場面を目にします。それはともに生活する仲間として、関わることが当たり前になるからに他なりません。またそうした日常の積み重ねが子どもたちの優しい気持ち、他人を思いやる心を育むことにもつながります。そんな学校の環境を支えるためには、教師やPTA、地域が一丸となって臨まなければ、多様化する教育現場の問題解決は図れないとも思います。

〈今こそ変わるとき〉

今年は、障害児・者の環境が「自立支援法」の成立を含め、大幅に変化をしている年です。まだまだ目黒区でも、暫定的な処理でスタートしている状態です。

現在目黒区は東京都が出した指針に沿って特別支援教育の検討に入っています。私たちは普通学級の中で障害をもつ子どもの付き添い介助などを通し、お互いに理解しともに育ちあうためのお手伝いをしながら、本当の統合教育につながるような活動をしています。就学時健康診断を考える集いにご参加になり今の学校教育を一緒に考えてみませんか?

廃プラスチックが「可燃ごみ」に?

せめて、容器包装プラのリサイクルを

昨2005年10月、23区長会は「廃プラスチックの分別基準を“不燃ごみ”から“資源または可燃ごみ”に変更すること」を申し合わせた。これまでは“不燃ごみ”だった廃プラスチックを“サーマルリサイクル”として燃やすことを認めたのである。

これは、2004年5月に東京都廃棄物審議会が出した答申「廃プラスチックは貴重な資源であり、“埋め立て不適物”である」を受けての決定だった。

2006年7月に品川区の一部で、また、同9月からは杉並、太田、足立区の一部で廃プラスチックを可燃ごみとして焼却する「実証実験」を始めた。

東京23区では、焼却すると有害物質を排出する廃プラスチックは、約40年間にわたり「不燃ごみ」として埋め立てられてきた。行政自体が住民に働きかけてきたこの分別を引っ繰り返す最大の理由は「埋め立て処分場の延命のため」と言う。

2004年度の各種埋め立て処分量(容積比)の割合では、23区から出る廃プラスチックは10.4%で、焼却灰その他が9.9%である。一番多いのは、港湾等のしゅんせつ土で41.5%だ。次いで建設発生土が15.9%、産業廃棄物9.5%、覆土材7%などだ。当然、23区での廃プラスチックを減らす努力は必要だが、上記の埋め立て物全体の発生抑制や減量を抜きに廃プラスチックだけを「埋め立て不敵物」として焼却にまわすことで、埋め立て処分場の延命は不可能だ。

東京23区のごみ量が最大だったのは1989(平成元)年で、490万tだった。以降、ごみは減り続けて、2004年度は340万tである。それに対し23区の焼却炉は22もあり、ごみ量が150万tも減ったのに1炉も廃炉にせず、同様の焼却能力を保持してきた。24時間焼却し続けるには、ごみ量が不足しているという現状がある。

一方、23区がごみ焼却などを委託している清掃一部事務組合は、2年前から“効率的にごみ発電による電力を売る”東京ガスとの合弁会社設立を画策、10月に新会社ができた。両者の出資以外に23区も税金520万円ずつを出資する方針に、いくつかの区は疑問や懸念を投げかけたが、一部事務組合議会は多数決で決めてしまった。

ごみ焼却発電による売電事業とは、どう考えても、ごみがなければ続けられない事業であり、ごみの発生抑制とは相いれない。

廃プラスチックを800度以上の高温で焼却すれば有害物質は出ないと言われるが、800度以上の高温の維持が困難と聞く。また、専門家によれば、高温焼却ならではの有害化合物の発生も懸念されている。

何よりも問題なのは、廃プラスチックの安易な焼却は、プラスチックの発生抑制どころか、製造の拡大につながりかねないことだ。各区の市民・消費者は、「廃プラスチックの焼却に反対し、容器包装リサイクル法による廃プラスチック・リサイクルの実現を!」との運動を展開、目黒区でもいくつもの市民・消費者団体が「ストップ!廃プラスチック焼却めぐろネットワーク」をつくり、青木区長に多くの申し入れなどを行っている。

区民の声を背景に、新宿区は容器包装リサイクル法による廃プラ・リサイクルの実施を2007年度から行うことを決めた。杉並区では、すでに一部地域で始めた同法による容器プラ回収を全域で行う。中野区、江戸川区を含めた4区では、2008年度から廃プラ・リサイクルの全面実施を決めている。

目黒区も「総論としては、廃プラ・リサイクルを行う方向で検討している」との考えを表明したが、一刻も早い前記4区のような具体的な取り組み発表が待たれるところだ。

容リ法リサイクルの対象容器包装は、廃プラスチックの約8割を占めるそうだが、汚れたプレスチック容器は引き取ってはもらえないので、燃やすことになる。今後は、従来よりも環境負荷が増大することは間違いない。

(中村正子)

“誰もが共に地域で生きる”共生共走5時間リレーマラソンに今年も参加しました。

―「品川・みんなの家」からの報告―

東京南部地域で活動している様々な市民団体・労働組合・諸個人が集まり、「だれでもともに」というメインテーマで、アイヌ民族文化祭・長谷川きよしコンサート・阪神淡路大地震被災障害者支援フリーマーケット・もちつき大会・共生共走5時間リレーマラソンなどのイベントが行われてきました。このイベントは、障害者・在日外国人・アイヌ民族・老若男女など、だれもが共に生きられる街づくり、そのための相互交流を拡げる場にしていきたいという考えのもとで、実行委員会の主催です。

今年で10回目を迎える共生共走5時間リレーマラソンは、品川区・目黒区・港区・大田区社会福祉協議会などの後援を得て、10月22日、品川区八潮パークタウン多目的広場とその周辺で行われました。このリレーマラソンというのは、参加チームの誰かが一周約1kmのコース上に5時間いればよいというのが唯一のルールです。車椅子で走る人・押す人、早く走る人、ゆっくり歩く人、一輪車に乗って走る人、パフォーマンス(仮装)しながら走る人、視覚障害者で伴走者と共に走る人など、各自マイペースで、お互いに助け合いながら走ります。そして、マラソンと並行して多様な交流や、ステージでのイベントも行われました。会場内には、模擬店、フリーマーケット、パネル展示、車椅子競争遊びの広場などがあり、ステージでは、琉球舞踊、アイヌ民族舞踊、朝鮮民謡、手話ダンス、レゲエライブなどが行われました。

地域の若者が、定例会やイベントに寄り合っている私たちの『品川・みんなの家』では、6年前から参加して、走るだけでなく、来年3月には「第2回みんなの沖縄旅行」(誰でも参加できます)にいきますが、その沖縄の“平和で共に生きる心”を込めて、沖縄そばを作り売って来ました。そばの食材は、毎年、横浜市鶴見区の『沖縄物産センター』から買い出し、みんなで分担して調理して、一杯300円で地域の人々においしく食べてもらって、交流を拡げ深めています。

今年も、老若男女の色々な人が参加した『品川・みんなの家』チームは、沖縄の海のブルーのたすきを仲良く繋いで、45周しました。沖縄そばも準備した200食を完売することが出来ました。疲れましたが、みんなで支え合って楽しい一日となりました。

来年もやりますので、皆さんもぜひ参加してください。そして、みんな一緒に、沖縄そばを作り売って走りましょう。

(由井薗)

出直してよ!「障害者自立支援法」10・31大フォーラム決意文!

大きな歴史的意味をもった10.31でした。その後、「自立支援法は理念は正しいが運用がまちがっている」「あれこれ言っても法は成立したのだから、現実的に対応しよう」などの声も聞きます。でも、そうでしょうか。

私たちが「出直してよ!」に込めたおもいは、自立支援法の根本がおかしい。歪んだ理念の上に何をつくってもおかしなことになってしまうということの問題提起でした。今後、立法府での決着をつけるには、7月の参議院選挙ふくめ政治のとりくみも必要です。

現在の局面では、野党の改正案は「つるし」状態で、審議する委員会すら決められていません。そのため、私たちは、緊急につぎのことをよびかけます。

1)緊急署名運動

短期間で臨時国会終了前に圧倒的多数の署名を集めたいと思います。柿のたねでも集めています。ご協力をお願いします。

第一次集約 2006年12月10日(必着)

東京「障害」児教育研究集会に行ってきました

10月28日、2006年東京「障害」児教育研究集会が行われました。

分科会のテーマは

でした。

「障害児を普通学校へ・全国連絡会」のチラシで知り、C分科会に参加しました。C分科会では問題提起が2つありました。

  1. 自立支援法の問題点を考える(エイヤッの会)
  2. ヘルパー派遣事業と自立支援法(ケア八王子職員)

エイヤッの会から問題提起として「障害者」が自立生活することについて数人の親より発言がありました。

エイヤッの会とは、地域生活を考えよう、お互いの情報を交換していこう、ということで学習会等を行っている会です。2年前より参加していますが、地域生活を考えている親を含めて各地で活動の情報が少ないように思いました。

ここに参加して思ったことがありました。

我が家の娘たち(健常者)も家から出て、一人暮らしをしています。アパートを借りて生活しています。生活もギリギリとか言って、オシャレ等、楽しんでいます。そういう私も20歳で家を出たのでした。30数年前と今とでは時代が大きくちがいますが、一度はアパート生活をしてみたいと思う心は変わらないのではないでしょか。

重度知的障害者が家から出て、生活することはとても大変なことだと思いました。

発言者の親からは、自立生活をさせて見たところ、円形脱毛症、夜眠らなくなったり、心に大きな変化が起こりました。急に自立生活を始めた訳ではなかったにもかかわらず、精神的に不安定になってしまったそうです。アパートを借りられたのに解約せざるを得ませんでした。このような状況になり、本人も支えた回りも大変だったと思います。

ご本人は自立することについて、どう思っていたのでしょうか。なかなか、コミユニケーションがうまくとれず、気持ちを汲み取ることで自立生活したこととおもいます。

家から出てみたい。うるさい親から離れたい。自由に友達と遊んでみたい。このようなことを思ったのでしょうか。先ほども我が家の娘達のことを考え合わせると、こう結論が出ます。いまは、負担があまりかからない方法で自立にむけて動きだしているようです。

もうひとつの発言について。この方は自立生活はもう少し先にと思っているそうです。しかし、近い未来には親が離れなくてはならないと思っていると感じました。自立支援法での介護の問題が提起されました。ヘルパー派遣で何時間とれたのはよいことだけど、時間数にこだわりすぎて、ボランティアとの関係が薄くなってきた。介護者がつくからといって、すべて介護者任せになってきたような気がする。介護者がつかないと何処にも行けなくなっている。障害を持っていても介護者との関係だけでなく、広くいろいろな人と繋がっていきたい。そういう関係を作り出していかないと「障害者」は「障害者」になってしまうと話されていました。