2005年12月の柿のたねニュース

『障がい者の想いと生活』佐藤映の絵画から 鑑賞紀行

鑑賞紀行というほどのものではないのは当然の事ながら、目黒から北区王子の会場まで行くのは遠い。

佐藤さんの絵画活動の事は以前から喜久江さんから聞いていた。チラシに載っている映さんの絵は東山魁夷風でその完成度は身体に障害をもっている人の絵とは思えないものだった。

4月に目黒でもやりたいという話があり、孝広君、優子さんを誘って行くこととした。5年前の「まひるの星」上映会の時、孝広君が興味をもったことを思いだしたからだ。

20数年前通勤駅だった王子の駅は、今風のチェーン店の居酒屋やレストランがそこそこ建ち並びはしていたが、20数年前の匂いを残していた。

会場は区のギャラリーということだが、照明が作品の真上に設置され、額縁のガラスにみる側の姿が映り肝心の絵はほとんど見えない。立派な施設だが、利用する側への配慮のなさにあきれてしまった。

しかしながら、映さんの絵の完成度はチラシでみたものそのままで構図の確かさ、色の重ね方の丁寧さは絵を陰影深い物にしている。

彼は食事も自分の手で口に運ぶことができず、唯一の左手も肘から上にあげることはできない。そうした彼の絵は絵の具を混ぜ合わせたり筆を洗ったり、キャンバスの向きを変えたりという介助の中でできあがったと聞く。それは、気の遠くなるような絵画活動でありその一筆一筆にこめられる表現への情熱が作品を伸びやかで陰影の深い物にしているように思える。

孝広君は5年前の興味は今はないようで、飯を食いにいく話しかしない。優子さんは、映さんの絵を書きはじめた頃のたんぽぽの絵を選んで一緒に写真に収まった。やさしい絵である。

映さんの介助にあたったピアサポート・北の人達の映さんに対する想いでこの個展は実現した。表現は人を結ぶ。目黒ではどういう繋がりが生まれるのだろう。

(伊東)

『就学時健康診断を考える集い』報告

例年おこなっている就学時健康診断を考える集いを12月4日(日)午後から鷹番住区センターで開催した。参加者は初めての方4名を合わせて14名。今回は講師を招いてという形をとらず、2007年度からの施策に向けて現在検討されている特別支援教育について、目黒区の特別支援教育検討委員会の会議録を中心に私がレポートするという形式でおこなった。

事前に学務課長と話し合い場を持ち、目黒区の現状と今後の方向性について質問をしてみたが、国の中央教育審議会でも教育制度全体の検討がまだ検討中であり、また東京都の推進計画(第1次-04年〜07年、第2次-08年〜10年)でも第1次では区の心身障害学級についてもはっきりとした方向性は打ち出しておらず、具体的な内容についてはほとんど決まっていないという現状のようだ。ただ移行に際しての経過措置として現行の教育支援などの制度については継続し柔軟に対応する旨は話していたが、これについても予算や財源の問題をあげてやはり具体的な数字などは引き出せなかった。

目黒区の検討委員会は当日の時点で5回おこなわれているが(第6回は12/8)、障害を持つ児童、生徒の判定の問題や本人、親の選択権についてもはっきりしていないことが多い。その後私が傍聴した第5回の検討委員会では委員の障害福祉課長から個別計画の作成支援について触れられ、教育委員会と福祉の現場での連携は取れておらず、行政内部での風通しの悪さを指摘されていた。とくに特別支援教育についての関心度は障害をもつ親にとっては切実で、それ以外の一般の保護者には対岸の火事のごとく関心が薄い。この問題も今後どのように啓発していくのかが大きな課題となっているようだ。

新しい参加者の方からは来年度以降の入学に際しての不安や質問などが話され、現在障害をもちながら普通級に通っている子どもの親や支援する仲間からのこれまで作ってきた関係や学校との話し合いの持ち方などが報告された。お互いの情報交換や制度などに対する運用や交渉の持ち方なども含めて今後も継続的に親の会の開催をしていきたいという確認のもと閉会した。

中間まとめ案については次回1月の検討委員会を経て、2月下旬(22〜28)あたりに説明会を実施する予定のようなので、ぜひみなさんにも関心を持って参加し声をあげていただくことを切に願っている。どの子も地域の学校に通い、誰もが地域で生活できる環境作りは障害をもつ者やその家族だけでなく地域で暮らす一人一人が当事者であることをもう一度考えてほしいと思う。

(櫻原)

インドに行ってきました

9月の終わり、インドに行きました。目的は第10回女と健康国際会議に参加すること(といっても、今回はそこに来るであろう旧友たちに会いたい!が一番の目的-これも果たしました)、それに加えて、こんなことが無ければ、インドに行くことはないと思ったからでした。

女と健康国際会議は、1977年に第1回、その後約3年ごとに開かれてきた、「民間」の女たちの健康運動のネットワークの要です。ここから女のクリニック作りや、自助グループの活動が世界中に広がり、何より、世界的に承認された、リプロダクティブ・ライツ(女が自分のからだ・性・生殖について自分で決定できなければ自分の人生を生きることはできない)を求めて、人口政策や優生思想に抗してきた女たちの会議です。

毎日9時から5時半まで全体会や分科会(並行して8〜9ある)、フィルム上映があり、その後に公式ではない会議が開かれ、どこに行こうか悩み、あちこち走り回り、充実した(でも少し疲れた)日々でした。

会議では、新自由主義、構造改革、民営化、グローバル化…、日本でも毎日のように聞かれることが大きな問題となっていました。教育や保健、福祉の予算が削減されたり、環境が悪化したり、戦争や紛争が起こり、一番影響を受けるのは女や子どもであり、結果として女の健康が脅かされている、これがさまざまなテーマで底流に流れていました。「暴力」が大きなテーマになり、また障害を持つ女、トランスセクシュアル、HIV感染者、セックスワーカー、紛争下の女など、今まで取り上げられにくかったいろいろな立場の女たちの健康や権利が語られたりしていたのが印象的でした。一方で、男女共同参画の「悪影響」をここでも感じたり…と、日本と世界はよくも悪くも連動している、だから女たちは連帯するのだということを実感した会議でした。

何しろエネルギッシュな街でした

連日35度を超える猛暑(でも東京から行ったらたいしたことない)にもかかわらず、会場になったホテルの中は20度以下と思われる冷え冷え状態。他にも本で読んで知っていたいろいろな知識が体験できる日々。例えば、私たちは会議の会場の隣の某国営ホテルに泊まったのですが、それはもうこれが本当に5つ星? というすごいものでした。戸のチェーンは真ん中が針金でつながれている、クローゼットの中は赤いガムテープで止めてある、何よりトイレの水が流れない…、暇そうにロビーに集まる男たち(従業員)、ちっとも掃除されない…。

会議が終わってから、ジャイプールで歴史を感じ、ハリドワールでガンジス川の朝の沐浴を見て、ビートルズがヨガの修行に行ったリシケシに行くなど観光もしたのですが、なにしろ一番印象的だったのは、動物たちと人間が混在して生きる街だということ。

首相官邸の前で遊ぶサルの群れ、働きものの水牛・ラクダ・馬・象、羊・ヤギの群れと羊飼いの犬。そして、「野良牛」。渋滞の道路を(ハイウェーも)悠々と歩くウシ、道の中央で眠るウシ。インドの運転手は、うるさくクラクションを鳴らしながら、他の車を追い越して走る。なのに、動物たちが何をしていても避けて通る。さりげなく野良牛にえさをやる。うーん。どの動物も人が敵対するとは思っていないようで、野良犬もまったく吠えないし、ヒトにかまわない。(不思議だったのはネコがいなかったこと。ネコは不吉な動物で、インド人は嫌うそうですが…?)

それにしても、エネルギッシュで、混沌としていている街。でもこういう国が、多分これから伸びていくのだろうな〜。喧騒の町の中で、悠々と歩む牛たちの優しい眼を見ながら、インドの人が牛を神の使いとして崇める気持ちがちょっとわかるような気がしました。

(インドに生まれるなら、絶対に野良牛!と思った、さとこ)

孝ちゃんのピープルファースト大会 in 新潟

先月の5日(土)に孝ちゃんと三谷くんの2人で新潟へ行きました。タクシーで目黒駅まで行き、山手線外回り品川・東京方面で東京から上越新幹線MAXとき309号で新潟へ行きます。お昼ごはんはカレーとコーヒーを飲んで食べました。タクシーで朱鷺メッセに到着。終わったら新潟ワシントンホテルへ行く前にローソンで買い物をし、お弁当を食べながらコーラを飲んで、歯を磨いてねる。バスに乗らずにここから歩いてホテル新形へ行きます。パーティで食事をしてビールを飲んで、デザートやフルーツを食べました。翌朝、ホテルで食事をして、コーラ210円忘れずに。新潟駅前でバスに乗り万代バスセンターで降りて、朱鷺メッセでお弁当を食べて、ピープルファースト大会 in 新潟終了後、新潟駅のベーカリーでパンを買って、東京行きのMAXとき324号に乗って、車窓を見ながら大宮工場の解体場を見た。東京駅でJR京浜東北線に乗って大井町で東急大井町線に乗って自由が丘にのりかえて東急東横線に乗って学芸大学で降ります。雨が降ったらカサを買ってカサをさして、自転車に乗って家へ帰ります。かえったら洋服をぬいでおフロに入る。先月5日(土)に孝広の夕刊配達を休んで、先月7日(月)に夕刊があります。

(福田孝広)