2004年12月の柿のたねニュース

なぜ繰り返される! 知的障害者入所施設虐待事件

みなさん以下の記事をご存知でしょうか?

更生施設の複数職員、知的障害者を3年間殴るける 入所者10人超に−−福岡

(毎日新聞)

11月27日の毎日新聞朝刊で掲載された福岡県頴田町の社会福祉法人「かいたっくす」の運営する知的障害者更生施設「カリタスの家」で現実におこなわれていた入所者に対する日常的な暴行事件の数々。この事件に対する追跡取材記事は連日、毎日新聞で報道されていました。(上記毎日新聞のサイト内の記事検索で「カリタス」と入力すると関連記事がヒットします)

虐待内容のあまりのひどさや職員の暴行を意思疎通の困難な入所者にぬれぎぬを着せたり、さらには入所者の預金を勝手に流用、防止策を怠り施設内でのB型肝炎の感染、関連施設での転落死亡事故など筆舌に尽くし難い実態が明らかになり、この施設の極悪非道ぶりは尋常ではありません。記事を読むほどに憤りを覚えます。

「こういう事件があると全ての施設が悪く見られるけれど、これは一部のひどい施設だけであってみんながこんなひどいことをしている訳ではない」。施設での入所者に対する虐待が発覚するたびにそんな声を聞きますが、本当に一部の施設の問題として済ませてよいのでしょうか。それではなぜこうした事件は繰り返されるのでしょう。

紹介した記事の中には次のような記載があります。

「度重なる虐待に、入所者数人が一部の職員に改善を訴えていた。しかし、『問題の職員を解雇すると代わりがいない』と不問に付されたという」

「ある母親は、帰省した子どもを入浴させた際、胸に青アザがあるのに気付いた。けがの程度から『(職員に)やられた』と直感、施設長に問いただそうとしたが『口を出せば、施設を追い出される』と不安になり、思いとどまったという」

(毎日新聞)

また追跡記事の中には下記のように県と施設のなれ合いや行政のズサンな対応も指摘されています。

「今回の虐待発覚まで、県障害者福祉課の担当者はカリタスの家を『重度の人たちを積極的に受け入れる立派な施設』と評価。一方、原田施設長も『監査では、いつも礼を言われる。県からは感謝されている』と胸を張っていた。

行政と施設の“なれ合い”ともとれる構図だが、県関係者は打ち明ける。『どんなに重度でも受け入れ可能な施設はここだけと言っていい。受け入れ先の拡充に消極的な県の怠慢もあり、便利な施設に強くは言えない』」

(毎日新聞12/11西部朝刊)

入所施設という閉ざされた環境、当事者である知的障害者本人の意思が無視された周囲の都合。虐待防止のための通報義務や罰則を伴なう法制化は無論急務なのですが、「当事者の世話をする」という意識そのものを変えていかない限りこうした事件は繰り返されます。ひとり一人が「ともに生きる」とはどうあるべきかを真剣に考え、現実に対しどれだけ真摯に向き合うか、それが社会全体にいま問われているのです。

(櫻原)

12月4日就学時健康診断を考える集い報告
「親の学校選択権は基本的人権の保障」

今年の就学時健康診断を考える集いは、目黒区在住で定年まで墨田区の小学校で普通学級に障害児を受け入れながら教師生活を送ってこられた小山拓二さんをお招きし、12名の参加者でおこないました。

小山さんはご夫婦ともに教師をなされてきて、実は今回の就健の集いを担当していただいた羽山さんが奥様の教え子だったということで、そんなご縁から紹介していただき、無理を承知で講師をお願いした次第でした。当日はその奥様も参加してくださいました。

お話は小山さんが受け持たれた障害をもった数名の教え子のエピソードを織り交ぜながら進行し、どれもが小山さんの現場で感じてこられた子どもたちにこそ教えられるという体験と、その中でお互いが刺激しあい育ちあう関係、「いっしょにいるのが当たり前」という強い信念が伝わってきました。

79年の養護学校義務化以前は障害児の受け入れに関して各学校の判断でおこなわれ、小山さんがいらした墨田教職員組合は、親の学校選択権は基本的人権であり、それを完全保障するためのサポートとして区の教育委員会とも交渉を重ねてこられました。そのため親の付き添いなどはなく、まず学校がきちんと受け入れていくという姿勢が貫かれていたそうです。

そうした中で受け持たれたある子どものケースでは、交通事故で片足を失い義足をつけて学校に通っていたそうですが、そのことを親は隠したがりプールなどの障害が明らかになる行事には不参加だったということでした。そこで、障害を隠すのではなく自らが認知し受けとめることの必要性を親に伝えたところ「先生には障害を持つ子どもの親の気持ちはわからない」とつき返されたそうです。けれど、確かに親ではない、でもわからない部分があるからこそ立場をかえて言えることもある。みんなが同じ見方をしていたら一面的にしか捉えることができない。子どもたちに対しては自分が責任を持って伝えるので任せてほしいと再度話され、親も納得したということでした。その時小山さんが思い浮かべたのは何かの本で読んだ「友情というのは距離をうずめることではなく、その距離を生かすこと」という言葉だったそうです。その話を伺い、私もあらためていろんな場面を思い出しながら感慨にひたってしまいました。

結局どうやって子どもたちに伝えたのか、また他の子どもたちのたくさんのエピソードももっと書きたいところなのですが、紙面の都合で掲載しきれないことをここでお詫びしつつ、ただ小山さんは目黒区在住ということなので、今後もぜひまたお話をしていただく機会を持ちたいと勝手ながら思っています。障害をもつ子どもとともに育つ子どもたちは必ず将来その経験が生かされてきます。でもそのためにはまず担任が、そして学校がしっかりと受けとめなければ、やはり子どもたちには伝わっていかないと思うのです。ぜひ今後もいろんな場面で喝を入れていただきたく、ご足労いただくかと思いますがよろしくお願いいたします。

(櫻原雅人)