「東京都特別支援教育の在り方について」を考える
〜ほんとうにこれでいいのかなぁ〜
先月号で少しだけ触れた、東京都心身障害教育改善検討委員会のまとめ「これからの東京都の特別支援教育の在り方について(最終報告)」が昨年末に発表されました。サブタイトルは「〜一人一人のニーズに応じた教育の展開をめざして〜」。
これの意味するところは何なのでしょうか。いままでの障害児教育とどこが変わったのでしょうか。
本文では「はじめに」の部分で「サラマンカ宣言」やノーマライゼーションの進展などに触れられ、国から発表された「今後の特別支援教育の在り方について」に基づき検討され、これまでの障害のある児童・生徒等の教育を心身障害教育と表し、身近な地域の学校での専門的な教育を行うことを基本的な考えとして、通常の学級に在籍するLDやADHDなどの特別な支援を必要とする児童・生徒を含めた障害のある児童等に対するこれからの教育を特別支援教育と表すこととする
また特別支援教育体制化における小・中学校の特別支援教育の場、盲・ろう・養護学校をそれぞれ特別支援教室、特別支援学校と表すこととする
とされています。
結局特別支援教室といっても、障害児を分けることには変わりがないのではないか、かえって重度の障害をもつ子どもたちが普通学級から排除されていく結果になるのではないかという危惧の声は少なくありません。実際に制度が実施されるには国の法改正や予算の問題、各市区町村の実情によって変わってくると思いますが、本文の中にある児童・生徒や保護者の多様なニーズに応じて選択が可能になるような、柔軟な形態が望まれる
という部分をどれだけ保証することができるのかというあたりが大きな鍵になってくるのではないかと思います。
また項目にあげられている第5章3 小中学校における全校的・総合的支援体制の(3)「通常の学級の教員、児童・生徒、保護者への理解・啓発」
という点で、これまでの拠点的に設置されてきた心身障害学級がもつ分離構造の中で、障害児に対する理解が不充分だった状況から、障害の有無にかかわらず児童・生徒が互いに認め合い、障害のある児童・生徒が、障害等の状況に応じて可能な限り、障害のない児童・生徒と共に通常の学級で過すことができるよう、今後は、学校と各教育委員会が連携して、通常の学級の担任等に対する研修を計画的に行っていくとともに、通常の学級の保護者を含め、社会全体の一層の理解を進める必要がある
というベースの部分をどれだけ現実のものとして進めていくことができるのかが課題になってきます。
柿のたねでは、今後さらに中身について学習、検討をすすめながら、目黒区に対しても具体的な提案をしていけるよう話し合いを重ねていく予定です。ぜひみなさんの声をお聞かせいただき、ご協力いただきたいと思います。今後もときおり情報をお伝えしていきますので、ぜひよろしくお願いいたします。
(櫻原)
めぐろ教育プラン(教育施策)説明会に参加して
昨年11/29、12/6の両日、防災センターで行われた説明会は、対象を「PTAを中心とした区民」とされていたため、11/29が小学校対象、12/6が中学校対象と一応の設定がしてありました。私を含め鷹番小学校のPTAは11/29が学校行事と重なったので、2回目の中学校対象の日に参加しました。1回目の小学校対象の日に参加された櫻原さんにお聞きしたところ、その日はそれ程でもなかったそうですが、2回目の説明会の後半、「質疑・意見等」の時間になると、さすが中学校のPTAの方々は説明についての質問や日頃の実態を踏まえた意見など切れ目がないほど、出るは出るは…、感心してしまいました。
まぁ、それはさておき私の最終的な感想は、「より良いもの」を求める姿勢はともかく、その際限のなさ(例外はあるでしょうけれど)に対し驚きを禁じ得なかったというのが1点、もう1点は何かを変えようとすることにはものすごく保守的だなーという2点です。
一緒に行った人とも話したのですが、頑なに現状維持をしたがるのは日本人の特性のようなものではないでしょうか…。例えば2学期制についていえば、小学校においては通知表が1回減るくらいで子どもにとっても親にとっても大差ないように思われるのですが、中学校では中間・期末等の試験回数が減り、試験範囲が広範になると子どもの負担が大きいだとか、試験の回数が少ないために一度失敗してしまうと挽回のチャンスがなく、内申書にひびくなど、だんだん聞いているうちに言いたい事は解かるけれど、ちょっと違うんじゃないかな〜と思ってしまうような意見まで出てきて、熱心なのを通り越して唖然とする場面もありました。
心身障害教育についてもその内容は、「充実のための条件整備を図り、国の動向を踏まえ今後のあり方を検討していきます」とさらりと流す程度でなんだかよく解かりませんでした。この説明会自体《めぐろ学校教育プラン改定案》等のいくつかの資料に基づき行われた訳ですが、行政のプランなり、案というのはマニフェストではなく、あくまでも「こうしていこう」という観念なのだそうなので過剰な期待はしない方がいいらしいのです。
いろいろ考えているうちに多くの日本人はやはり「幸せボケ」をしているのだと思い至るのです。いつミサイルが飛んでくるかわからないような戦火にさらされている国の子どもや、恐ろしい病原菌の脅威に脅えながらその日の食料ですら確保が困難な地域に住む子どもは、充実・拡充はおろか学校へ行くことすら夢のような状況でしょうから…。
最後にあえて私の意見を述べさせていただくなら、学校に子どもをお預けする保護者の立場といたしましては、プランの中に「教職員の意識改革と資質の向上」というくだりがあるのですが、資質いわゆる人間性の向上にこそ大きな期待を寄せてしまうのです。
(はやま のりこ)
続・孝広さんのピープルファースト体験記
〜パートナー三谷さんのつぶやき編〜
11月29日、30日と孝広君と一緒にピープルファースト滋賀大会に参加してきました。孝広君と外出するのは初めてで滋賀の大津の会場に着くまで無事に着くかと心配していました。孝広君はそれを察してか、というか実際、行きの新幹線がぎりぎりだったり、京都駅で乗り換えに手間取ったりしたからかなと思い当たることはあったのですが何とか会場に到着。
会場では参加人数の多さに驚き、会場の熱気に圧倒されました。やがて、ピープルファースト滋賀大会がはじまり、最初は滋賀県知事の退屈な話を聞き、そのとき孝広君はというと「ドラえもん」を読んでいました。自分も「早く終わらないかなー」と思っていましたがそれはすぐに終わり、次に入所施設で差別や暴力を受けた人が自分の経験を辛辣に話していました。恥ずかしい話ですが、全国各地の施設でたくさんの方が差別を受け、亡くなった方がいるのを聞いたのはこの時が初めてで、ものすごい衝撃を受けました。また、東京で生まれたのに青森や滋賀で生活している人や施設の職員が悪さをするなど、問題が複雑でなかなか解決するのは難しいなと感じましたが、会場の盛り上がりが最高潮に達した時このパワーがあればきっと解決すると思い、同時に自分のようにこの問題を知らない人がこういう事実が日本にあるということを認識して欲しいとも思いました。自分も少しは勉強していけばまた別のものを得られたのかもしれませんが、なにもわからない分、すごく新鮮でした。
夕方会場を移動して交流会に参加しました。立食パーティーのかたちをとっており、交流会が始まり、いろんな方と話をすることができました。滋賀という土地柄もあり関西出身の方が多く、関西弁のなかに身をおくとなにか異文化コミュニケーションを取っている感じがしました。孝広君はというと何人もの人と交流していました。外人にも声をかけていたりするところを見て、すごく積極的で時間ぎりぎりまで有意義な時間を送ることができました。
30日はテーマごとに分かれる分科会に参加し自分は孝広君とともに「セルフアドボカシー〜自分のことは自分で選んで決める〜」に参加しました。孝広君と自分は席が離れていて、孝広君はすごく緊張していたのか、なかなか自ら発言するということはできませんでした。またこのとき感じたのが、障害者の方が司会を務めていたのですが、普通に話をしていて、文字も書けるし何か違和感を覚えるというか、自分が偏見を持っていたのかと感じました。
お昼の閉会式に出て無事に帰ってきたのですが中身の濃い2日間を送ることができました。また、ピープルファーストに参加したことを今後に生かしたいと思いました。
話はかわりますが、今回も雨が降り、孝広君に「雨男」呼ばわりされていましたが、返す言葉もありません。それにしてもほんと何かと雨が降ります。
(三谷知裕)