2002年3月の柿のたねニュース

スキー合宿に参加して

はじめまして、福田秀之と言います。

私は、夏合宿やスキー合宿といった毎年恒例旅行系イベントに参加しています。この機会に名前くらいは覚えて下さい。今後ともよろしくお願いします。

さて、今回は「冬のスキー合宿」に参加し、恒例の野沢温泉「ゆら」に宿泊しました。今回参加して一番印象に残った、「邦彦さんと孝広さんとのお風呂」について書きます。

一日目の夜に、邦彦さんと孝広さんを連れて宿の地下にある内風呂に行きました。お風呂に入るということで邦彦さんのテンションは絶好調です。孝広さんは相変わらずのマイペース。さて、お風呂場に行くと、他のお客さんが先に入浴していました。脱衣場でテンションが上がり邦彦さんが騒ぎ出します。

邦彦さん「服脱いでいい??」

「いいよ」

「いつ脱いでいい?(大きな声)」

「いま、いいよ」

「いま脱ぐ・・。(小さな声)」

孝広さん「うーー(甲高い声)」

合宿に参加すると、この手の会話はよくあることなのですが、普段から慣れていないので圧倒されます。「おいおい…。他のお客もいるから静かにしてくれよ…」と思い、この二部合唱が静かになることをただ願うだけでした。私はいつも2日目あたりから慣れてしまいます。ここで言う「慣れる」とは、邦彦さんが騒いでも他人の目が気にならない、こっちも大声で注意ができるとかです。いざ風呂へ行くと、不思議そうな顔をせず、普通にしている他のお客さんがいました。お客さんに「すみません。騒がしくて…」と言うと「いえいえ、ゆっくり入って下さい」と意外と慣れた対応、後で聞くと過去何度か「ゆら」で一緒になったことがあるらしく、邦彦さんのことを知っていていたようです。

浴室に入り、邦彦さんはシャワーの前に腰を下ろした瞬間に、他のお客さんが洗面台に置いていた髭剃りを手にとって離しません。私は彼の髭剃りを持った手を握り、止めようとしました。

「髭そる、髭そる」

「それは、邦彦の髭剃りではないから駄目!」

「うーーー(甲高い声)」

「髭そる、髭そる」

「邦彦!離しなさい!」

私の力は一杯一杯です。何度か押し問答をやっているうちに邦彦さんから「髭剃り置いていい??」と言い出してくれました。そう言っておいて、やっぱり使うのではないかと一瞬疑いましたが、力ずくで取り返すのは無理そうです。私は覚悟を決めて手を離すと、洗面台に素直に髭剃りを置いたのです。自分の髭剃りではないと納得したようです。

その後、チェリーさんから邦彦さん用の髭剃りを受取り、「どうせめようかな?」と思っていると、

「クリーム付けて!髭剃って!」

「えー。自分でつけてくれ!」と思ったのですが、彼が言うままに頬にクリームを付けて、恐る恐る髭を剃ると納得の笑顔。髭剃り作法の誘導をしてもらいました。彼なりに普段のお気に入りの方法があって、それに逆らってはいけない訳かと感じました。

その後、3人で体を洗い湯船に入っていると、邦彦さんが「100やる!」と言い出しました。おそらく「100まで数え終わったら出る」ということだと理解し、折角だから孝広さんにも参加してもらい、孝広さんと邦彦さんの順番で数えることにしました。始めのうちはうまく順番を守れていのですが、途中からお互いのライバル意識が高まるのでしょうか、連続した数を数えだしました。例えば

「30」

「31,32,33(ちょっと早口)」

「34,35,36,37,38(早口)」

「39、40,41,42,43,44,45(もっと早口)」

といった感じです。これには笑えました。お互いに自分の知識を競争するかのようにカウントアップをします!これでは、十分に温まれないので、途中からやり直しますが、同じことの繰り返しでした。「おいおい、こんなんでライバル視するなよ」と思いながらも、100まで数えて、なんとか入浴を終わらすことができました。私にとっては大イベントでしたが、楽しい経験をさせて頂きました。他人の反応を気にする自分や、邦彦さんと孝広君さん、人格の違いが妙に新鮮に映った出来事でした。合宿に参加すると「邦彦さんとか孝広さんを変に特別視しないで普通に接することが大事」だと思います。「ちょっと個性的な人くらいの感じで接する」ことが大切なのでないでしょうか?

さて、次の日に、チェリーさんが邦彦さんに「誰と風呂を入る?」と聞いたところ「福でん」と言ったそうです。うれしいやら悲しいやら…。

(福田秀之)

支援費制度学習会報告

平成12年、社会福祉基礎構造改革が行なわれました。この改革の趣旨は自己決定権の尊重が全ての障害者福祉サービスにおいて具体的に行われること。平成15年4月より障害者福祉サービスを対象に今まで行政が決めていた措置制度から、利用者の自己決定を基本とした契約制度へと変るものです。

介護保険との違いは、高齢者福祉の場合40歳以上の人は保険料を払いサービスを買う仕組みとなっているのに対し、支援費制度による障害者福祉は、利用者に対してサービスの必要な費用を給付する仕組みとなることです。

近年、障害があっても地域の中で自分らしく暮していく社会を目指すノーマライゼーションの理念がテーマとなってきています。これに答える制度として今回の改正が行なわれるということですが、果してこの改正で障害を持った人たちが地域・施設の中で暮らしやすくなるのか?そして本当にノーマライゼーションが少しでも身近なものになるのでしょうか?

今のところ、国も地方も一部分では動き出しているかと思われますが、未完成部分が多く、現状では解り難い学習会となってしまいました。

今回の学習会の中で思うことは、契約というサービスを選択できる仕組みとなっていますが、いくつかの疑問点が浮かんできます。

  1. 重度の障害を持って
  2. いる人が、家の近くにある軽度障害者の通所施設(目黒区の場合例えば「かみよん工房」など)へ行きたいと希望してもそれはかなうことはないのではないか?
  3. サービスの計画は誰が決めるのか?
  4. 類型化が進むのではないか?
  5. 自立生活をする障害者に対してどこまで支援費制度が成り立つのか?
  6. なぜ支援費制度になるのかが今の横滑りの中では見えてこない?
  7. 応能負担とは?

これらの問題点が、来年度の実施に向けて今後どのように推移していくのか、しっかりと見据え、障害者の自己決定権、ノーマライゼーションの理念が確立されていくよう声を上げていかなければならないと考えさせられる1日となりました。

(伊東)

優子ちゃんのお茶

昨夜は、優子ちゃんの四回目のお茶会でした。優子ちゃんは、自分のお客さまのために、朝10時から準備をして、お客様にお点前を何回もして、後片付けが終わったのが7時でした。相当疲れたことと思います。でも、着物を着てお茶を点ててる優子ちゃんは、とっても素敵です。

終わってから感想を聞こうと「今日のお茶会どうだった」と聞くと、「もうお茶会はやらない、お茶もやめる」と、言うので「じゃ、お稽古もやめて、ずーとお茶に来ないんだね。」と、聞くと「うん」とのことなので、私は、優子ちゃんが準備の段階からの疲れで、うんざりしていやになってお茶が嫌いになったかなと、あまり一度にいろいろさせて無理だったかなと、ちょっぴり反省しかけたら、琴絵さんの「疲れたから今度だけお休みするんでしょ」に、優子ちゃんの「そうです」には私も気が抜けてしまって、そこまで読み取れなかった私はまだまだ付き合いが浅いのかなあ、と落ち込みました。

7,8年前になりますでしょうか最初は、御点前のこまごました動作が、何でこんな面倒なことをと思ったようなのですが、でもお茶碗にお茶を入れる時と、お菓子を食べる時、そしてお茶を飲むときの本当に嬉しそうな優子ちゃんを見て、これなら続けられるかな思いました。

がんばりやの優子ちゃんは、仕事の帰りにほとんど休まず毎週かよってきます。私が体の調子の悪い時や疲れてる時など今日は寝ていたいなと思っても、炭をおこしお湯を沸かして週1回しゃんとした時間を過ごせるのも優子ちゃんのお陰かなと感謝してます。

同じ日に友人数人がお稽古に来てますが、こちらの方はついつい休んでしまうのですが。

はじめは、お茶を点てて飲めるようになればいいやと考えてたけど、だんだん欲が出てきて形を直したり、道具の名前を憶えたり挨拶をしっかり出来るようになればいいなと思い、稽古の途中にもう一度やってみてといっても頑固にやろうとしませんし、私がやるから見ててといっても絶対に見ません。腹がたって「もう教えないから来なくていい」と、いままでに5,6度言ったでしょうか。その都度、帰りに「もうずうーとお休みだからね」というとしばらく考えて「来週来ます」とケロッとして帰っていきます。私の完敗です。

お茶は狭い部屋のなかで、道具を使って息づかいが聞こえるくらいのところで、お互いを想いあいながらお茶を差し上げたりいただいたりして静かに一時をすごす私の大好きな時間です。

それを少しでも優子ちゃんに伝えられたらいいなと思ってます。でも初めのころとくらべると挨拶もちゃんとしますし、季節の道具の変化もそれなりにわかってくれてるようです。ほとんど声が聞こえなかったのがこの頃では、挨拶など、大きな声になってきてますし、おしゃべりもときどきしてくれてます。

でも、そこに誰か一人でも別の人が入ると声が小さくなって聞こえなくなります。慣れなのでしょうかお稽古仲間ですと、やや緊張ぎみになりますが、大丈夫なんです。

優子ちゃんこれからも仲良くおけいこしようね。そして公園で野点なんかしてみたいね。

(齋藤家子)