2001年8月の柿のたねニュース

笑った、泣いた、楽しかった。夏合宿の思い出

楽しかったね海水浴

わたしは、柿のたねの合宿は初めてでした。そして海水浴も初めてでした。行く前の日の夜くらいまで、プールとどこが違うのかな、本当に塩からいのかな、などいろいろ心配事がありました。

行く日の電車の中ではすごく時間がかかり大変でした。でも友だちとお菓子を食べたり、本を読んだりして楽しく過ごせました。海に着いてまず浮き輪を買いました。イルカのついた青い浮き輪です。まどかちゃんやさなえちゃんたちと一緒に「♪波のりジョニー」を歌いながら泳ぎました。海の水は本当にしょっぱかったです。夜にはわたしの大好きな花火もしました。打上げ花火もたくさんしてとてもきれいでした。でも夜の海はちょっとこわかったです。

二日目は「生きもの探しゲーム」と「スイカ割り」をしました。「生きもの探しゲーム」ではわたしは泳いでばかりだったので、海草しか見つけることができませんでした。「スイカ割り」ではよしみつ君とわたしが スイカ割りをしました。そして夜には「肝だめし」をしました。行く時はみんなと一緒に行ったのでこわくなかったです。でも帰りはひろしさんとよしみさんの三人だったのでこわかったです。

三日目は磯で遊びました。磯にはやどかり、イソギンチャク、小さな魚やエビが潮だまりにいて、とってもおもしろかったです。帰りの電車の中では、よしみさんたちとお話しをしながら帰りました。海水浴はとても楽しかったです。また来年も行きたいです。

(榎本佑紀)

花ビンが…

今回の合宿は、ひさびさにフル参加できるはずだったが前々日にカゼをひいてしまい、2日目昼からの参加になってしまった。

浜に行ったら甥っ子たちと遊ぼうとしていたら、利ちゃんから“着いたそうそうなんだけど邦彦さんの介助お願いします”と言われ、まあ2日目から来たのだからそんな物だろうと思い快くひきうけた。

宿に帰り、夕食の前に“大、夜から邦彦の介助だから”と比気さんに言われ“え夜も”とは言ったが、比気さんに言われたらしかたない。夕食を一緒に食べ終わり、この後きもだめしがある、僕はおばけ役なのでフクデンに頼み、その間介助を変わってもらうことにした。(ちなみに僕はミイラ役、下準備不足の為、少し納得のいかないできで終わってしまった。)

きもだめしも無事に終わり、みんな宿でぐったりしていたので、持ってきていた本を読んでいて、しばらくしたら“ガシャン”という音が。僕はあまり気にせず本を読みつづけていたら、“邦彦さんが花ビンを割った”という誰かの声が。僕はしょうがないな〜としか思っていなかったが、少したってから、あれそう言えば邦彦さんの介助“俺だよ”。その頃比気さんが邦彦さんに説教、邦彦さんは正座、僕も少し離れたところで聞いていたが、その言葉に僕も反省。次の日、邦彦さんと一緒にあやまりに行くことに。もしその花ビンが高い物であったらどうしようと内心あったが、行ってみたら“あ〜昨日の音は花ビンが割れた音、そんな事ならいいよ、それより昨日の夜中、トイレのタンクの蛇口が外側向いていて、トイレが水びたしになって、大変でね…。”というのを何回も言われ、切り抜けるのが難しくすごくまいった。今年の夏合宿は何といってもこの事件が僕にとっての一番の出来事であった。

(鳥沢大)

おばけ

きもだめしが一ばんたのしかった。さいごにでてきたおばけが、とてもびっくりしました。大くんのは、ちょっとこわかった。ガイコツのもちょっとすごかった。また、したい。

(ほし ゆうすけ)(大ちゃんの甥っ子くんです)

夏の思い出

スイカわりで、一番さいしょにやるのはいやだったけど、やったら一発できれいにわれて、とてもうれしかったです。今まで3回ぐらいスイカわりをしたけど、あんなにきれいにわれたのは、はじめてでした。

おばけやくで、かくれている時に、「ヒュー」と音がなってとてもこわかったです。明りもないしくらくてこわかったです。またとまりにいっていろんな遊びをしたいです。

(ほし じゅんや)(ゆうすけくんのお兄ちゃんです)

第10回「障害児を普通学校へ・全国連絡会全国交流集会」

第10回障害児を普通学校へ・全国連絡会全国交流集会が7月28日・29日目黒のこまばエミナースで400名の参加者で開催された。別に申し述べるが、くしくも文部科学省による学校教育法施行令22条3項の改定作業が進んでいるなかでの第10回交流集会だった。

落合氏の「世界の障害児教育の動向からみえてくるもの」では障害児教育の歴史がのべられ、障害児教育を治療教育という視点から、社会学的なすなわち環境の問題として捉えていくという視点が養護学校の義務化の2年後1980年代から世界的な潮流になっていたという指摘、養護学校義務化の1979年の時期以降長期欠席児童は急激に増えていることなど障害児教育と通常教育両端から教育全体を考えなければならないこと、等データ‐をもとにした講演がなされた。

今回は、目黒区聴覚障害者協会のご好意でボランティアの手話通訳がはいっての交流会だった。

発題者のチェリーが急性盲腸炎でダウン、急遽、長沖暁子がピンチヒッターで問題提起をするというアクシデントの中で、柿のたねからはスタッフ参加も含め7名、5名の親御さんが参加した。

私自身としては、第7分科会(当事者・きょうだいの呼びかけ)のサポートという役回り。この分科会、なかなかユニークだった。「普通学級を卒業した当事者の話を聞こうじゃないか」という提案をうけ今回から新たに設けられた。「親はうるさい」「自分の思った通りにやりたい」と当事者は言う。「親に連れられて集会とかには来たけれどこんなことを今まで話し合える場所はなかった」と兄弟。そして、親たちのフォローという発言に対し「違反です」の反論が入る。連絡会発足20年の月日はこうした月日でもあった。

「学校に入る時」の第1分科会に参加したHさんは「パワーをもらった」という感想を述べられた。全国交流会の力はこれにある。これからきつい教育委員会とのやりとりにはいる彼らの力の一端になれば、それだけでもこの交流集会を準備してきた意味はある。

個人的な感想をいうとすれば、私は今、準備されている前述した施行令22条3の改定に対する取組みを全面的に出すべきでなかったかを思っている。20年間の連絡会の取組みに対する、じつに姑息な文部科学省の回答だと思うのである。

ちなみに、隣に、連絡会の可愛らしいTシャツがズラリと並んでいる中で、孝広君のTシャツは完売した。ひとえに、孝広君の「これっ、これっ!」の売り込みの結果である。

保育ボランティア奮闘記

今回の交流集会のスタッフボランティアを目黒社会福祉協議会の会報で募集した。そしたらなんと、15歳の手島悠花子さんが応募してくれた。初めての経験を彼女はどう受け止めただろうか。感想文を寄せてくれた。

今回、私が参加したボランティアは障害児の保育ということでした。私は子どもが得意なほうではなく、慣れていない上、学校以外でどこかの施設でボランティア活動をすることや障害を持った子に接することは初めてだったので本当に不安でした。どうしたら子どもたちと心が通じ合えるだろう、どうしたら喜んでくれるだろうかと考え、午前中は絵本を読み聞かせたり一生懸命話しかけて、何とかして子どもと打ちとけようとしました。しかし、そう簡単に事は運ばす、やることがみつからなくなってただ一人座り込んでいることもありました。お昼近くになるとある子どもが一緒に遊ぼうと言ってくれ、マンガを読んだり、かくれんぼをしたりととても仲良くなれました。はじめはとまどっていた私も楽しくボランティアをすることができたように思います。何の役にも立てませんでしたが、子どもたちと心が通じ合えたことは良い思い出となりました。

学校教育法施行令22条3の改定をマジで阻止しよう

大まかな概要は一面の学習会の案内に載せた。全国交流集会の翌日、7月30日全国の30数名の参加者と文部科学省側3名の構成で文部科学省交渉を行った。1962年以降の医療と機器の進歩に伴ってその時期の基準を変える。通常学級の子どもたちの教育効果を考えて、交流教育で対応する。就学指導委員会の専門家の意見に加えて保護者の意見を聞く。「いつか統合教育というものはあるでしょうが……」というのだ。

このままにはできないではないか。できることをやろうと言うことで全国連絡会では「22条3対策委員会」を有志で作ることとした。

 今、この課題をどう世論にしていくかを考えるしかない。知恵を貸して欲しい。そして、「対策委員」になってくれる人緊急募集。

(伊東)