2000年6月の柿のたねニュース

We were enjoy AJISAI FESTIVAL

先週の日曜日、邦彦くんが通う東ケ丘福祉工房の‘あじさい祭り’に行った。私がいつも会う邦ちゃんは‘柿のたね’の邦ちゃんで、その日、工房で何があったのかなんて一切教えてくれないし、もうすっかり「邦ちゃん語録」として定着し、彼が一日何十回となく口にする‘そのとおり!?’という言葉も工房の職員の口癖からうつったものだと言うし、私にとってナゾの多い‘工房’という邦ちゃんの日常の場を見ることができると思い、ワクワクした。

工房は私の通った東根小学校の隣にあり、周りは緑と団地が多く、日曜の午後ということで子どもたちや家族づれでいっぱいだった。建物の中に入ると、そこは広々として風通しの良い気持ちのいい空間だった。一部屋は休憩所として、座っておしゃべりしたり、外で売っているたこ焼きを食べたりできるようになっていて、もう一部屋では工房に通ってくる人たちが作る革製品を売っていた。グリーンやピンクなど鮮やかな色に染められたキーホルダーやタバコ入れなど、素敵だった。普段はそこを、その革製品などを作る作業所と、お昼などを食べる休憩所として使っているという。

邦ちゃんは革にあけた穴にひもを通して縫っていく作業がすごく上手だという職員の話を聞きながら、黙々と作業をする邦ちゃんの姿を思い浮かべてみた。そしてふと、いつもはこんなにたくさんの人=(子ども達や若いボランティアの人達、おじさん、おばさん達)はいないのだな、と思った。そして、私の小学校時代も、隣にあるこの工房との交流という形の行事は一度も無かったことを思い出した。それどころか私は最近まで、そこに工房があるということすら知らなかった。自転車でその辺りを通りすぎる時に何度か邦ちゃんを見かけたことがあり、あれ?何でこんなところにいるんだろう?と思ったりしていた。

作業所という仕事場なのだから当リ前かと思いつつも、やっぱり障害を持つとされる人達が、一所に集まって仕事をするより、それぞれが好きな事、自分にあった場所を選んでいける方が自然だよな、なんて改めて当たり前のことを思ったりした。

なにはともあれ、ごったがえす人混みの中でようやく私が見つけた邦ちゃんは当然のようにそこに居て、例の‘そのとおり!?’の職員と絶妙な会話のやりとりをしていた。そこが彼の生活の中でどれだけ重要な場所なのか、ということを目の当たりにした気がして、私はちょっとだけジェラシーを感じてしまったのでした。

(ひびの ゆうこ)

ともだちの仕事場を見に行くのって、わくわくしませんか?

金井ひろしくんから、6月4日(日)東山福祉工房での『あじさい祭り』に柿のたねがフリーマーケットで参加するんだけど…と聞いたとき、「無着邦彦くんの仕事場見学のチャンスだ!」と、売り子を引き受けた私。だから、フリーマーケット用に用意されていた衣装ケース+ダンボール10箱分の荷物を見たとき、きゃ〜っ!と思ってしまいました。ごめんなさい。

当日はとっても好いお天気で、見学会気分はおお盛り上がり。工房の中をあちこち見てまわり、「ここでいつも黒弁(邦彦くんは工房でのお昼ごはんをこう呼ぶ。黒いお弁当箱に入っているらしい)を食べているのか〜」とか、「電線と革の作業はここでやっているにちがいない」と、邦彦くんの話にでてくる場所の確認。工房の仲間の人達とも会えて、これで彼の話により深いつっこみが入れられると、大満足でした。

さて、フリーマーケットのほうですが、10時半と決められていた開店前からお客さんがやって来て、売約済みの品物がでるほど出だしから好調でしたよ。ぬいぐるみを選ぶのにしんけんに話合う大人たち。バックを選びならが自分の服とのコーディネートについて質問してくる女の子。子供服を50着くらいまとめて買ってくれた中国から来たと言う大家族。とにかくいろいろな人たちが柿のたねのお店を訪れてくました。

あじさい祭りのお客さんは工房の関係者だけなんだろうな、と思っていたので、バラエティーに富んだ顔ぶれと活気のある雰囲気にはびっくり。工房の人達はお客さんへの対応や、物品売り、その上私たちのお店の呼び込みまでやってくれるなど、大忙しの様子でした。みなさんありがとう、そしてお疲れさま。

午後2時半の閉店までには衣装ケース4箱分の品物を売り、1万6千円ほどの売上があったことをご報告します。100円前後の品物がほとんどだったので、「たくさん買ってもらったね〜と」、お店番のみんなで感動していました。一緒に参加していた櫻原さん、山田恭子ちゃん、日比野祐子ちゃん、お疲れさま、楽しかったね。それから邦彦くん、焼きそばごちそうさま。

(いしげひろこ)

予定は変えてはならない。孝弘との絵画展ツアー顛末

柿のたねで、たまたま孝広と二人っきりになった時間があった。日程表というか、掲示板というか雑然としたホワイトボードを眺めながら、そこに掲示してあった「80歳の母が描いた展」をみながら「孝チャン。80歳の母が描いた絵展みにいこうか」となんとはなしに語りかけた。孝チャンは即座に「80歳の母が描いた絵展いく」と答えた。えっと内心驚きながら、「そうか、孝チャンと絵画鑑賞もいいな」と思いながら4月29日の休日を利用することで話は決まった。

そこで、これは私らしく、この機会をひとりで終わらせるのはもったいない。誰かを誘おう。すぐに浮かんだのが、孝広にパソコンを教えてくれた田中さん。そして絵の話になれば大体つるむ喜久恵さんとくっついてきた島村氏。

そこまではよかった。私がよけいな色気を出したのがそもそもの間違いだった。その同じ時期に渋谷でアンディ・オーフォールをやっている事を知った私は、孝広にこれをみせたいと思ってしまったのだ。彼がパソコンで描く絵は、鮮やかな色としっかりした線で表現されたイラスト的な絵だ。「80歳の母の描いた絵展」の絵の傾向とは明らかに違う。そこで、絵画鑑賞のはしごをするという方針をだしてしまった。

「1時に柿のたね。先に渋谷に行って2時からアンディ・オーフォールをみて、その後、下北沢の80歳の母にいくからね」と約束した。

当日、彼が来ない。家に電話をし、チェリーに彼の行動パターンを電話で聞いたりするが、もうとっくについているはずで自転車も置いてある。学大の駅にも行くが見当たらない。喜久恵さんに先に渋谷のミュージアムにいってもらい、後から追っかけることにした。2時まで待ち、仕方なく私も渋谷に行った。オーフォールの絵は実は私はあまり好みではなかったのだが、はじめてみた初期の作品もなかなか良くゆっくりみてみたいと思いつつ孝広のことが気になる。もしかして、下北沢に行っているのではないかとも思い、そこそこにミュージアムを後にした。下北沢に行きがてら、「いるかな」「まさかね」といいながらついたタウウンホール。会場である2階の階段を上がりついたときだった。田中さんの「あっ。いた!」という声がした。孝広が非常口のようなところからひょこっと現れたのだ。彼はタウンホールで2時間半近く私たちが到着するのを待っていた。「伊東さんの知り合いだったのか。彼はキミ子さんの講演も聞いていたよ」と80歳の母展の主催者である松本さんが声をかけてきた。彼らもこいつは一体何者だろうとさぞかし不思議に思っていたと思う。

その後、孝広がいやというほど観た80歳の母たちが老いて知った描く喜びをゆっくりと鑑賞した。

時間には几帳面な孝広の混乱は何だったのだろう。田中さんとの時間調整を下北沢2時から渋谷2時と変更した経緯があるが、孝広との約束ははじめから1時柿のたねだった。

ふと思うに、私たちはそれを柿のたねのメールでやり取りをした。それを彼は見ていたのではないかと思う。自分の中では決まっているスケジュールに、やれアンディ・オーフォールだ、1時だ、2時だと余計なものがはいってくる。そうしたものが彼の予定の感覚をどこかで乱してしまったのかもしれない。会場で「バカモン。柿のたね1時といったじゃないか」という私に、彼はちょっと「まずかったかな」と言うような顔をした。

なんでも解っていると思っていた孝ちゃんと実際付き合うと言うことはこういうことなんだなと思った。

実は、この絵画展道中の最後に、孝広は「天狗」(学大にある行きつけの飲み屋)に行くことを予定に入れていた。私は下北沢の美味いモツ屋にいくことを主張していた。孝広と行き違ってしまった時に、もしかしたらあいつは最後には「天狗」で待っているのではないかと思った。「天狗」にもどるのかよ。とうんざりしながら、覚悟もしていた。

絵を見終わったとき、彼は「肉食べる」といった。タウンホールに行って、絵を観て、美味いモツを食べるのがその日の動かしがたい彼の予定だったのだ。

かくして、並の2倍の値がする上カルビを彼は注文し、その美味さに「さすが肉屋の息子」と言いながら私たちは舌鼓を打ったのである。

(伊東)

優ちゃんのお茶会と和の心

私中村圭は昔から、夏祭りや柚子湯、節分の豆まき、菖蒲湯など、日本の季節ごとの習慣や風情を感じる儀式がとても好きである。しかし私の家ではあまりそういった習慣はなく、友達の家の柚子湯をずいぶんと羨ましく思ったものだ。

さてさてそんな私のところへ先日、高橋優子ちゃんから「お茶会」の招待状が届いた。「お茶会」という優雅な響きに引かれて、私は早速お茶会に出かけていくことにした。

私がお茶会の会場である斎藤家に到着すると、そこにはもう既に優ちゃんのお手前を待つお客さんが今や遅しと並んでいた。そしてこれまた、主役の優ちゃんの雅で可憐なこと。美しい赤色に花模様の付いた着物を着て、とてもとても畳やお茶の道具達がよく似合う。顔見知り同士にもかかわらず流れるピリッとした空気の中、優ちゃんはサラサラという音と共に、お茶を立て始めた。

優ちゃんの着物の赤、温かい湯気を上げるお茶の緑、そしてそこに流れる凛とした静かな空気。単純な私は、はーやっぱり和の心だよね、日本も捨てたものじゃないなどと、惚れ惚れとお茶会の空気を味わっていた。

お茶会にやって来るお客さんはどんどん増え、若い娘たちは色とりどりの着物を身に付けお茶を囲む宴は続く。お客さんの多さに疲れを見せる優ちゃんを励まして、やっと私の順番がやってきた。お茶の作法など何一つ知らない私は、内心結構ドキドキ。隣の人の味わい方をじーと観察してお茶に挑む。お茶を一杯味わうためにも、「お先にいただきます。」「もう一服いかがですか。」という言葉や、手の中でお茶碗をくるくると回すなどという作法というものが沢山ある。今の若者たちは、「えーいじゃかましい、私はただお茶が飲みたいんじゃー。」と思うかもしれないが、このじれったさ、まどろっこしさをゆったりと楽しみ味わうのが日本の風情なのだよ、分かるかしら諸君。ってな感じで、やっとお茶に口をつけたら、これが美味しい。苦くて甘くて温かくて。お腹をすかせてご飯を食べると美味しいでしょ、だからそれと同じで色々な作法を通して、早く飲みたいという自分の心をじらして楽しむんだよね。まあ、お茶が美味しい一番の要因は、目の前で優ちゃんがサラサラ立ててくれた、出来立てであるということだけどね。私はかなり、お茶と優ちゃんの優美な姿、またそれを囲う着物を身に付けた現代版江戸娘たちの虜になっていた。真剣に、これぞ和の美学みたいなことを感じちゃったしね。

優ちゃん、家子さん、素敵な和の時間をありがとう。

そして皆さん、日々の生活に和の風情をもっと生かしましょう。皆の衆、花を生けよ、お茶を立てよ、娘たちよ着物を纏え!!ってな感じかしら。

本当に味わい深い時間を堪能できました、ありがたき幸せ。心にいつも和のゆとりを。

(中村 圭)