2000年3月の柿のたねニュース

保護就労ってなに?

現在、目黒区では2001年4月に開設予定の心身障者者センター内の日常清掃と10月から始まる喫茶の仕事の業務委託を受ける形で保護就労の場を作ろうと、目黒区障害者事業団(仮称)設立に向け準備委員会を開いています。参加メンバーは目黒区にある障害者団体の代表の方や社会福祉協議会、社会福祉事業団の職員、シルバー人材センターの方など、障害者福祉に関わる方々と共に20人ほどで昨年9月から月1回のペースで会議を開いています。(委員長は目黒もえぎ会の須田紀義氏)

 まだ今のところ組織の形態をどういう形にするかというところなので今後中味が固まっていく中で詳しい報告をしたいと思いますが今回は保護就労について少し考えてみたいと思います。

保護就労について

設置目的

障害者の企業等への就労を目指し、多くの方の協力を得ながら、就労への意欲や能力を有する障害者へ、援助体制のある就労の場の提供をおこなうとともに、一般就労に必要な能力の取得など就労環境を整える事で、障害者の自立に寄与する事を目的とする。

団体の役割

従来の福祉工房や民間作業所等より、自立した作業能力を求め、作業等の実践を通してより就労能力を高め、一般就労へ導くことを役割とし、次の内容を所掌する。

  1. 作業訓練の場の確保と提供をおこなう
  2. 援助体制の確保をおこなう
  3. 障害者の就労に関する理解の普及に努める
  4. 一般就労の場の確保に努める
  5. その他設置目的の実現に必要な事項
(準備委員会議事録より)

簡単に言えば軽度の障害者が一般就労の場に就けるように支援していきましょうということなのですが、現実的にはなかなか大変だと思います。ある程度の仕事ができる能力を持つ障害者がこれまで一般就労に結びつかなかったのは、雇用する側(社会)の意識も大きいけれど、実はもっと身近なところに問題があると私は思っています。

それは親や家族、養護学校や作業所という環境の中で、多くの障害者が囲い込まれて生活してきた事に起因しています。何かにつけて周りがやってしまう(お膳立ての整った環境を用意される)、失敗する機会を奪われる事で、本来できることができなかったり、他者に依存する傾向が強くなってしまいます。ある特定の人間関係の中ではなんでもできるのにという話をよく聞きます。それは周囲がその障害者の事を理解し、うまく能力を引き出す環境を作っているともいえますが、逆にもう一回り外の関係を遮断してしまう事にも繋がっています。当然の事ですが一般就労をすれば周りは知らない人との関係からスタートします。もちろんその障害者を理解してもらうために、雇用する職場への定期的なアプローチは必要不可欠ですが、ずっと一緒にいられない以上職場内で理解者を増やしていくと同時に、障害者自身が自分の能力を発揮し、関係を作る力をもたない限り就労を継続していくのは難しいのではないでしょうか。

目的意識をどこに置くかも重要です。保護就労の場を望む障害者や家族は多いでしょうが、そこに留まるのか、その先の一般就労、自立生活まで視野に入れるのかで本人の意気込みも大きく変わってきます。たんに作業所よりランクが上の保護就労の場に通うというのではなく、将来親元を離れて生活するための経済的基盤を作るという意識を持つことが大切で、それは障害者自身もさることながら、親がどこまで認識し子離れのきっかけにしていくか問われるところではないでしょうか。保護就労とは単に作業能力を向上させるだけではなく、社会で生きていく力を身に付ける機会なのだと思います。

様々な支援の態勢、職場確保の問題など課題は山積していますが、今後みんなで知恵を絞って解決していきたいと思います。こんなアイディアはどうだろうというご意見大歓迎、問題提起や反論もお待ちしています。

(チェリー)

野沢温泉の思い出

温泉あり、スキーあり、そして今年からはスノボーも解禁。とても楽しい3日間です。来年はみなさんもぜひご一緒に!

今年も3月4日(土)〜6日(月)の3日間、柿のたね恒例の野沢温泉スキー旅行に出掛けてきました。

参加者は13名、少数精鋭で若者を中心によくまとまっていました。孝広くんは仕事の休みも取れて大張り切り。事前の企画会議からかなり気合が入っていました。久しぶりに会った恭子ちゃんはちょっとぽっちゃりしていたけど、とてもよくおしゃべりをして周りはびっくり。本当に楽しそうでした。民宿ゆらは今年も歓待してくれて、おいしいごはんも魅力のひとつ。恭子ちゃんの食欲に目が点、孝広くんも日頃の努力の成果をいかんなく発揮し、何でもよく食べていました。

ゲレンデでは初スキーのみさおちゃんがまどかちゃん、さなえちゃんと遊びながらの直滑降。それを尻目にそりを楽しむ邦彦は、寄る年波かすべる本数も減りすぐに休憩所ごもり。そこで高校の恩師に会ってドッキリ。今回の‘ツアコン,まきちゃんはスノボーを楽しみ、圭ちゃんはゲレンデには来たもののスキーはやらず、もっぱら温泉の人。洋志くんはオールラウンドプレイヤーとして大活躍、全てを満喫していました。遅れて登場のフクデンくんは臨時のスキー教室開校で子どもたちや私の指南役。私は久しぶりのスキーにはや2日目から筋肉痛。

夜の宴会は最年長の暁子さんが早々に休息を取る中、みどりさんががんばっていましたが、みんな疲れていて撃沈。いつもよりおとなしい夜でした。

長野新幹線ができて案外近くなった気がする野沢温泉は、雪遊びに温泉、おいしい料理や地酒もあって楽しさ盛りだくさんです。今度はあなたも一緒に楽しい思い出を作りましょう。

(チェリー)

マキの卒業旅行はこの旅行から始まった。

実行委員といえども、行けるかどうか不安だった。

直前になって実行委員会。ひろしのご飯をくにちゃんと孝広君と食べながら、夜遅くまでカキノキハウスで頑張りました。

当日は、ひろしとさと子さんのダブルモーニングコール。このときばかりは起きられました。

プッシュ・プッシュして来てくれた圭ちゃん。本当に助かりました。

久しぶりに会った斎藤恭子ちゃん。夏合宿ぶりだったがやはり心が通じ合った仲だけに、楽しい夜を過ごせたね。

子供たちはほんとに元気がいい。さなえ・みさお・まどかの3人は早く早くと休む間もなくスキー場を目指し、私もまだ20歳だが正直言って「ついて行けない」若さを感じさせらた。

くにちゃん、今回のソリ競技も去年・一昨年にも増してパワーアップしてたよ。

私は、スノーボードをしたけど、最高にかっこいい滑りを写真に残せなかった。読者の皆さんにお見せできなくて本当に残念です。

こんな感じで、私の卒業旅行の第1弾は終わりを迎え、楽しく素晴らしいものになりました。

(タカハシ マキコ)

―障害のある人たちと芸術活動のあり方―
エイブルアート・フォーラム神奈川」報告

障害者の表現活動をとおしてみえてくること
多様な活動の紹介をうけて、少し見えました

小雨模様の3月4日、日比野祐子さん、武田真希さん、伊東さえ子さんと4人で「エイブルアート・フォーラム神奈川」(新横浜・横浜ラポール)に行きました。「えいぶるあーと」とは可能性の芸術という意味で、日本障害者芸術文化協会(94年設立のNPO)と、トヨタ自動車のメセナ(芸術文化支援活動)が母体となったムーブメント、とのことです。フォーラムのテーマは「障害のある人たちと芸術活動のあり方」。参加者は100人くらいでしょうか、健常者がほとんどでした。

前半は、司会の播磨靖夫さん(協会理事)と滋賀県立近代美術館の学芸員・平田健生さんとで、エイブルアート・ムーブメントの来し方・行く末を対談。障害者アーティストを育てていくためのアートセンター構想があるそうです。後半は、映画「まひるのほし」でおなじみのすずかけ作業所・はたよしこさん、工房絵・関根幹司さん、アートラボ・オーバ・蔭山ヅルさんがビデオで実践報告。交流会・展示会もありました。

実践家の集まりという雰囲気でしたが、関根さんが、障害とは言葉が通じない外国人に対面したときのように、個人の問題ではなく2人の間に起こること、だから「コミュニケーションの障害。適応が必要なのは健常者の方」ときっぱり。はたさんは、障害者の芸術だからと展示する必要があるのか?という問いに、本人たちはたぶん展示するために画いているのではないが、「展示することでさまざまな反応が生まれ、画くことが社会性を持ってくる」と。蔭山さんは、「既存のアートに引き寄せてしまう」姿勢を問いかけました。また、関根さんからのシゲちゃん最新情報によると、その後、親元を離れた彼は、あの創作活動をやめました。何か心境に大きな変化があったようです。

会場の横浜ラポールは、障害に配慮したスポーツ文化センターで、リフト付の送迎バスも走っています。往き帰りの道中、新横浜、菊名、学大の駅で車椅子対応の仕掛けというか装置というか、驚いたり怖かったりの体験をしました。

(藤原真吾)