「壁を乗り越えさせる信仰の力」

「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(ルカ1:38=聖書新共同約)
 これは、おとめマリアが、天使から「あなたは身ごもって男の子を産む」と受胎を知らされたとき、その天使に答えた言葉です。

 無論、マリアはこれに即答した訳ではありません。「あなたは妊娠をしている」と告げられたときのマリアの気持ちはいかばかりだったでしょうか。第一、マリアには身に覚えのないことでした。マリアはそのことを率直に天使に言っています。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」と。

 これに対して天使は答えます。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」、「神にできないことは何一つない」と。つまり、あなたは聖霊によって身ごもるのだから心配しなくていいよ、何でもおできになられる神様に委ねなさい、と天使は言うのです。このような遣り取りの後、マリアは天使に、あの答えをするのです。

 私は思うのですが、天使の「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」、「神にできないことは何一つない」という説得とマリアのあの答えの間には、聖書は何も記してはいませんが、マリアの胸の内では大いなる葛藤があったのではないでしょうか。マリアは「おとめ」とありますように、未婚の女性です。しかも、婚約者のいる未婚の女性です。婚約者のいる女性が婚約者以外の男性との間で妊娠をするということは許されないことです。当時のイスラエルでは、場合によっては、石打の刑(死刑)にもなり兼ねません。「世間は決して私を許してはくれない」という思いがマリアの胸中をよぎったことでしょう。いや、それよりも、「婚約者のヨセフに何と言えばよいのだ」ということが大きな問題です。そのような越え難い壁が、マリアの目の前に立ちはだかっています。

 マリアはそれでも答えます。「お言葉どおり、この身に成りますように」と。これは、マリアの信仰の現れです。信仰は賜物です。神様の恵みが引き起こす賜物です。あのような葛藤の中にあったであろうマリアに、神様が信仰によってあの決断を起させてくださったのです。

 私たちは、神様との関わりの中で、いろいろと決断を迫られます。最大の決断は洗礼を受けるかどうかという決断でしょう。いろいろな壁が尻込みさせます。しかし、神様ご自身が、マリアに対するのと同じように、その壁を信仰によって乗り越えさせてくださいます。

 神様の恵みが、あなたの上に今日も豊かにありますように。