「イエス様のノック」

 一枚の絵があります。イエス様がドアをノックしておられる絵です。よく見ると、そのドアには取っ手がありません。これを見たある人が言いました。「これでは、イエス様は中に入れないよね。取っ手がないんだから」でも、大丈夫です。イエス様のノックの音を聞いて、中にいる人が開けてくれます。だから、イエス様は中に入れるのです。

 イエス様のノックの音は、中にいる人が、たとえどんなに落ち込んでいても、誰にも会いたくない気持ちになっていても、疲れきって動けなくなっていても、そのような人たちを立ち上がらせる力をもった響きです。聞く者誰もが、思わず立ち上がってドアを開けずにはおれない音です。

 新聞に次のような特集記事が載っていました。
 リストカットを繰り返していた中学3年生の少女が高校受験によって転機を迎えます。「高校生活が楽しみ。やればできるんだって初めて思った。親にも褒められましたよ。初めてかなぁ」少女は嬉しそうに記者に話します。だが、合格発表から2週間後、この少女はまた手首を切ります。「なんで、そんなことするの」と聞く記者に少女は答えます。「じゃぁ、何のために生きるのかな。生きる意味ってあるのかな。たくさん勉強したら、いいことあるの」と。そして記事は次のように締め括られています。<私は「ごめん。分からない」と答えるしかなかった。>

 生きる意味が分からないままに生きること以上の苦痛はありません。多くの人が、いや、全ての人がと言ってもいい程の人が、この苦痛を味わいながら生きています。いや、人は、この苦痛をごまかしながら生きていると言ってもいいでしょう。

 イエス様はこのような苦痛を味わっている人を尋ねられます。そして呼びかけられます。「私はあなたの苦痛を知っている。私にまかせなさい。私がその苦痛を取り除いてあげよう」と。

 どんなにこの苦痛に打ちのめされている人も、リストカットを繰り返しているこの少女も、自分の力では立ち上がれないと、あきらめる必要はありません。イエス様のノックの響きがあなたをたち立ち上がらせてくれます。

 イエス様と出会うことは、私たち人間を創造された神様と出会うことです。そのとき初めて生きる意味が明らかになります。

 イエス様は、あなたの心のドアを今日もノックしておられます。