「成長して初めて教会−統合に備えて」

 私たち道東地区の3教会は、今、教会統合ということについてどう取り組むか、課題が与えられています。帯広教会と釧路教会が120キロメートルも離れているという現実に目を止めるとき、それを一つにして一人の牧師が伝道と牧会に当たる態勢を作り上げることは、簡単なことではありません。今まで私たちが教会のあり方として、当然のことと思っていたことの変更が余儀なくされることも覚悟しなければならないでしょう。

 例えば、教会では日曜日に礼拝が守られるというのは、私たちの教会のあり方についてのごく当たり前の考えでした。でも、その考えも放棄しなければならなくなるかも知れません。そのとき大事なことは、日曜日に礼拝が守れなくても、教会として在り続けるためにどうしたらいいいかです。土曜日の礼拝ということも考えられるでしょう。そのほかの曜日がふさわしければそのふさわしい曜日に礼拝を守るということも考えられるでしょう。要は、教会を教会としてどう在り続けさせるかです。

 このとき、大切なことは、教会は成長を期待されて初めて教会であるということです。なぜなら、教会の使命は、神様がこの世を終わらせ新しい世に変えられる時、一人も滅びる人がないように忍耐をしておられるその忍耐に仕えることだからです。つまり、教会は、この世の終わりに一人も滅びる人がないように、全ての人に、イエス・キリストによる救いを宣べ伝えなければなりません。即ち、教会は常に教会の外に目を向けていなければならないということです。これが教会の使命です。この使命を放棄した教会は最早教会とは言えません。教会の会員同士が自分たちの信仰を守るためだけに集まりをもつというのでは、最早教会とは言えません。それどころか、自分の信仰というとき、未だイエス・キリストの救いに与かっていない人を視野にいれない信仰など信仰とは言えません。

 このような教会として、帯広教会も、それから120キロメートル離れた釧路教会も、共に存続して行くために、私たちは、これまでの教会への私たち一人一人の関わり方を変えなければならないと思います。どのような教会としてのあり方が可能か、自分に何ができるか、話し合って行きたいと思います。

 神様が私たちをご自身の証しの器として用いてくださいます。人としてこれに優る喜びはありません。それが私たちが教会を教会として在り続けさせる原動力です。