「科学と宗教」

 科学は真理の探究である、と言われます。科学するとは、真理を求めることにほかなりません。人類は、この科学という真理探求の方法を駆使して、自然界の仕組みを次々に解明しつつあります。その勢いはあたかも、人類が自然界を征服したかのようです。

 人類は、この科学の発達によって、無知や迷信から解放され、生きることに自信を持つことができるようになりました。以前は、日食や月食の原因を知らず、神様の怒りであるという迷信の中で、恐怖に打ち震え、ただただことが過ぎるのを耐えて待つということしか出来ませんでした。今では、地球と太陽と月の位置関係が作り出す自然現象として、むしろ、それを観測することを楽しみにしている程です。

 このように、科学の発達は人類の生存に大きな力となっていますが、その科学の力に頼るだけで、人類は生きて行けるのでしょうか。科学が、人間の問題の全てに答えを与えてくれるのでしょうか。人間の生に関わる真理は、科学だけで明らかになるのでしょうか。

 あるクリスチャンの天文学者が次のように語っておられます。
 星はなぜ光るか、という問いに答えて、私たち科学者は、その星の物理的組成を明らかにし、その星でどのような物質の崩壊や融合が起っているかを示し、それによってどのようなエネルギーがその星から放出されるかという説明をします。ところが、こどもたちの讃美歌に次のような一節があります。
 きらきらひかる 星よ星よ
 きらきらきらと なぜひかる
 たびする人が くらい夜にも
 まよわずみちを いけるため
 ここで歌われているのは、星が光る仕組みとか構造ではなく、星が光る意味です。ここにも、一つの真理が示されていると思います。事実、星を頼りに、人は旅をするのですから、と。

 物事の真理を明らかにするというとき、その存在の仕組みや構造を明らかにすることと同時に、もう一つ、その存在の意味を明らかにすることが必要です。科学の持分はこの仕組みや構造を明らかにすることであり、意味を明らかにすることにおいては科学はお手上げです。

 宗教は、人生の意味を明らかにするものなのです。