「悪霊はいない」

 テレビで、悪霊に取りつかれた人を、霊能者なる人物が助けるという場面が放映されることがあります。霊能者は悪霊をその人から追い出すのです。悪霊などというものが本当に存在するのでしょうか。その正体はいったい何なのでしょうか。

 確かに聖書にも悪霊が登場します。例えば、マルコによる福音書第5章1節から20節には、イエス様が悪霊に取りつかれた人をいやされる場面が描かれています。悪霊に取りつかれて墓場を住まいとし、昼も夜も叫んだり、石で自分の頭を打ちたたいたりして、誰も寄せ付けない人が、イエス様と出会います。イエス様から名前を聞かれると「名はレギオン。大勢だから」と答えます。レギオンというのは、当時のローマの軍隊用語です。百人隊が6箇で1大隊、その大隊が10箇で1レギオンだそうですから、レギオンは6千人の軍隊ということになります。つまり、大勢いるということです。この人は、大勢の悪霊に取りつかれていると思っている訳です。

 この人をイエス様はどうしていやされるかというと、その辺りで豚の群れが飼われていたのを見て、その霊たちが「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願うので、イエス様がそれをお許しになられると、霊たちは豚に乗り移ります。すると、2千匹ほどの豚の群れが湖になだれ込み、おぼれて死んでしまうのです。そして、レギオンに取りつかれていた人は正気になるのです。

 ここでは、いかにも、大勢の悪霊が一人の人から出て行き、豚に乗り移り、豚と共に溺れ死んだ、というふうに思わされます。それだからこそ、この人は正気になったのです。だが、本当に悪霊がこの人から出て、豚に乗り移ったのでしょうか。一体、イエス様はこのとき何をなさったのでしょうか。

 イエス様がなさったことは、この人が、霊を「豚の中に送り込み、乗り移らせて」欲しいと思っていることを捉えて、これを癒しに利用されたのです。イエス様がなさったことは、ただ、2千匹ほどの豚の群れを湖になだれ込ませることだけだったのです。その豚の群れが溺れ死んだのを見て、この人が、勝手に、自分に取りついていた悪霊が溺れ死んだと思っただけなのです。

 そもそも、この悪霊なるものは、この人の思い込みに過ぎません。その思い込みをイエス様は変えられたのです。思い込みは実体のないものですが、思い込んだ人には、現実の力となります。悪霊は、人の思い込みの一つに過ぎないのです。