「アメリカよ驕るなかれ」

 ブッシュ大統領の第2期目の就任演説要旨を新聞で読みました。読んですぐにローマの平和」という言葉を思い出しました。軍事力によって当時の世界を平和に導き、やがて滅んで行ったあの古代ローマの姿が思いおこされました。力による平和はいずれは破綻する。それが、「ローマの平和」が意味する内容だと思います。

 この演説のキーワードは、「自由」だと思います。アメリカは、全世界に自由を実現するために、必要あらば武力をも行使するという、ブッシュ大統領の強い意思が現れています。

 ここで問題なのは、その「自由」が「アメリカの自由」でしかないということです。ブッシュ大統領は、自由が実現していない国を「圧政国家」と呼び、それを世界から追放するのがアメリカの役割であり、それは神の意思による、とまで言っています。

 確かに、今、地球上では、独裁者によって国民が苦しみを味わっている国がいくつかあります。だが、それは他国が力で介入すべき問題ではないはずです。イラクの現状はどうでしょうか。確かに、イラクの人たちはフセインの独裁からは解放されました。でも、今、そのイラクの人たちが一番望んでいるのは、アメリカがイラクから撤退することです。これ以上「アメリカの自由」を押しつけられたくないのです。イラクの少年の「早く大人になりたい。大人になって兵士になり、アメリカと戦いたい」という言葉は、たとえ「自由」という美名のもとにであろうと、一つの国が他の国に介入することは決してなされるべきではないことを意味してはいないでしょうか。

 かつて日本は、「大東亜共栄圏構築」という美名のもとに、アジアの国々に武力で介入しました。その野望は、当然のこと、ついえました。今、アメリカが、「自由の拡大」という美名のもとに行っている他国への武力による介入は、かつての日本の「大東亜共栄圏」構想と同じ道を辿るのではないでしょうか。

 そもそも、武力による自由の実現ということの中に、論理矛盾がありはしないでしょうか。自由とは、何よりも先ず、武力を必要としない人間と人間のあり方であるべきだからです。

 独裁者の圧政に苦しむ国民の存在を座視することはゆるされません。だからといって、そこに武力を持ち込むことは、真の解決を先送りにするだけです。人道支援という忍耐が必要です。