「この一年、希望を抱いて」

「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」(ローマ5:3、4)

 明けましておめでとうございます。2005年を、神様の恵み豊かな中にお迎えのこととお慶び申し上げます。

「一年の計は元旦にあり」と申します。皆様には、それぞれに今年一年の生き方の指針といったものをお定めになられたことと思います。

 私は、この一年、「希望」を生活の指針とすることに致しました。

 今、この世のどこに希望を見い出すことができるでしょうか。21世紀に入り4年が過ぎましたが、この世紀こそ平和な世紀にしようという私たちの願いは、その最初の年から打ち砕かれてしまいました。それどころか、アメリカの大統領が言うように、「新しい戦争の時代」を迎えてしまいました。新しい戦争とは、国と国との戦いではなく、思想集団と国との戦いです。この戦争は厄介です。なぜなら、思想は武力では根絶することはできないからです。ある国家が、武装した思想集団を平和の敵として武力攻撃し、その集団の殲滅を図っても、その思想は、その思想を抱く人たちにとって納得のいく世界状勢が到来しない限り、決して滅びません。次々にその思想の後継者が生まれて来ます。イラクの少年の言葉がそのことを如実に物語っています。曰く「早く大人になりたい。大人になって、兵士になり、アメリカをやっつけたい。」

 このような中で、私たちは、どこに希望を見い出すことができるでしょうか。それは、ただ一つ、この歴史を神様が司っておられるという事実の中にです。人ではなく、神様がこの歴史の支配者であられる、その一点に私たちの希望があります。

 阪神淡路大震災のとき、神学校の寮からいつものように讃美歌が聞こえて来たことが、近辺の人々の心を落ち着かせ希望を与えたという事実は、このような閉塞感の漂う中で、私たちキリスト者の存在が如何なる意味を持っているかを改めて教えてくれるように思います。

 人間だけを見つめているとき絶望せざるを得ないこの世です。しかし、歴史を動かしておられるのは神様です。希望を持ち得ないこの世だからこそ、私たちキリスト者が、希望を持ってこの一年を過ごし、神様の愛を証しして行きたいと思います。