「新しい価値観で希望の内に」

 今年の一年を表わす漢字に災害の「災」が選ばれました。この一年、天災、人災に見舞われた一年でした。心静かにこの一年、いや、この数年の出来事を振り返りますと、世界は、平和に向うどころか、人間にとって息苦しさを増す方向に向っているように思います。

 このように、今、社会は混迷のどん底にあります。それは、社会に共通する価値観が無くなったこととして捉えることができます。かつて、日本の社会は「立身出世」という共通する価値観で動いていました。「末は博士か大臣か」を合言葉に、日本は動いていたように思います。私たちの子どものころは、まだこの価値観が生きていたように思いますが、この価値観は今は崩壊してしまいました。今の若者に立身出世は通用しません。

 この価値観の崩壊は、ある意味では、当然のことだと言えます。それは、この価値観は強者の論理の上に成り立っているからです。強者だけが社会の構成員であるという錯覚の上に成り立っているからです。社会には強者もいれば弱者もいます。強者に存在の意味があるのと同じように、弱者にも存在の意味があるのです。立身出世という価値観は、この弱者の存在の意味を切り捨てる価値観です。ですから、この価値観が崩壊したということは、人類にとって一歩前進したこととして受け止めるべきです。

 そのような人間観に立って、今一度聖書に目を向けるとき、聖書は、私たちに、私たち一人一人のために、神様が何をなさったかを教えてくれます。即ち、神様がその独り子をこの世に送られたということの意味を。

 神様は、自分に逆らった人間を滅ぼすべきでした。その人間を滅ぼすどころか、生かすために最善を尽されました。ご自身にとって、最も辛い方法をとって、人間の罪をご自身のうちに引き受けられたのです。それは、罪人である人間、敵である人間に仕えるということです。この「仕える」という神様の姿によって、神様は、私たちに新たな価値観を、永遠に有効な、決して崩壊することのない価値観を示してくださいました。

 神様は、立身出世という価値観の崩壊の中で、明日への希望を見失い、生きる意欲を無くしてしまった私たち人間に「仕える」という新しい価値観を示してくださいました。この「仕える」を合言葉に、新しい年も希望の内に歩んで参りましょう。