「教会の暦」

 教会の暦は、今日から新しい年に入ります。教会は独自の暦をもっていますが、その教会独自の暦には、どのような意味があるのでしょうか。

 教会の暦の元日である今日は、待降節第1主日と言います。即ち、教会の暦は待つことから一年が始まります。何を待つのでしょうか。「降」を待つのです。「降」とは、降って来られることを意味します。誰が降って来られるのでしょうか。救い主イエス・キリストです。教会の暦は、救い主のご降誕を待つ季節から一年が始まります。

 実は、教会の暦の一年の終わりもまた待つ季節です。この時は、何を待つのでしょうか。それは、再臨のイエス・キリストです。「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(使徒言行録1:11)とありますが、この「またおいでになる」イエスを待つ季節で、教会の暦は、一年を終わります。

 キリスト教の本質は、「罪の赦しによる救い」(ルカ1:77)である、ということができます。神の子の十字架による贖いと復活がその決め手です。そして、もう一つ、この「罪の赦しによる救い」には重要な要素が含まれています。それは、この世の終わりです。この世は、悪魔に支配された人間によって営まれている世です。死に支配された世、ということもできます。この、悪魔に支配された世、死に支配された世を、神様は、このまま放置せず、これを終わらせ、新しい世、神様の支配が行き渡る世、命が支配する世を始めたいと思っておられるのです。つまり、この世の終わりとは、新しい世の始まりなのです。

 神様は、全ての人間を新しい世に迎えたいのです。それには、全ての人間が、新しい世にふさわしい者にならなければなりません。新しい世にふさわしい者とは、自分の罪の赦しを受け入れる者です。神様は、全ての人間の罪を赦すために必要な業を成し終えられました。後は、この神様の救いの業を、全ての人が、自分の救いのためであると認めて受け入れるだけです。

 教会の暦は、今この時が、全ての人間が神様の救いの業を受け入れる時として流れていることを、そして、やがてこの時はイエス・キリストの再臨によって終わり、新しい世が始まることを、全ての人が自覚するようにと作られているのです。