「犬の思い、飼い主の思い」

 我が家には2匹の犬がいます。5年程前の冬、教会の境内に捨てられ、雪にまみれながら、餌を探してウロウロしていました。生まれて2月も経っていたでしょうか。誰か飼ってくれる人が現れるまでという気持ちで餌をやっていたのですが、そのような人は現れず、逆に、誰が通報したのか、市役所の野犬狩りの人が来て連れて行こうとしましたので、とうとう飼う羽目になったのです。

 初めはなかなかなつきませんでした。餌をやっても、私たちがその餌から1メートル以上離れないと、餌に近づこうとしませんでした。今だに、毛並みを整えてやろうと近づいても、警戒して逃げ回るばかりです。

 このような犬の態度を見る度、私は、以前出会った一匹の野良犬を思い出します。それは、私がまだ神学生のときでした。日曜日、教会から寮に帰るとき、路上で一匹の痩せた野良犬に出会いました。なんだかよたよたして、空腹にあえいでいるようでした。私はかわいそうでしかたありませんでした。そのとき、私は、自分の荷物の中にちくわがあることに気付きました。日曜日は、寮の食堂が休みなので、夕食のおかずにちくわを買っていたのです。私はそのちくわを取り出し、犬に向かって差し出しながら、「おいでおいで」と呼びかけました。すると、その犬は立ち止まり、じっと私を見つめています。私が近づくと、その犬は後退りを始めました。私は、怖がっているのだな、と思い、それ以上近づくのをやめて、犬に向かってちくわを投げてやりました。すると、その犬は、石でも投げられたと思ったのか、きびすを返して逃げて行ってしまいました。私のこの犬に対する気持ちは通じませんでした。

 神様は、私たちが不安と苦しみの中で過ごしている状況を憐れみ、私たち人間を喜びの中で過ごすことができるようにしようと、全力で関わってくださっています。しかし、その神様のお気持ちは、なかなか人間に通じません。神様はどんなに悲しく寂しいお気持ちでおられるでしょうか。

 我が家の犬は、散歩に出かけるときだけはご機嫌です。私が散歩に連れて行くときの服装をすると、それが分かるのか、立ち上がって私を迎えます。私は、犬がいつもこんなであればいいのに、と思います。そして思うのです。神様も、私たち人間が素直に神様の恵みを受け取ることを望んでおられるのだな、と。