「暴力の連鎖を断ち切ろう」

 あの9.11から3年が過ぎました。世界は、あの事件を切っ掛けに、暴力のるつぼと化した感があります。

 あの9.11が起こったとき、アメリカのブッシュ大統領は、「これは、21世紀の新しい戦争だ」と位置付けました。これを戦争と捉え、力には力で対抗しようとしたとき、既に、ボタンの掛け違いが起こったのではないでしょうか。

 テロ行為は許されることではありません。あの9.11を引き起こした者たちは、厳しく処断されるべきです。だが、あのような行動を起こす者がいるという事実を、私たちは謙虚に見つめ直すことも必要なのではないでしょうか。

 テロ行為は、不満の爆発だということを見逃してはなりません。1つのグループ(民族等)が他のグループに政治的にあるいは経済的に抑圧されている現実が、テロを生み出します。その抑圧を今の政治や経済のシステムでは跳ね除けることができない者たちが、苦し紛れに行うのがテロではないでしょうか。そこには、抑圧された者の叫びがあることを忘れてはならないのではないでしょうか。抑圧している側では気付いていない抑圧が存在することに、抑圧している側は気付かなければならないのではないでしょうか。

 インドネシアで次のようなことを聞いたことがあります。アメリカの清涼飲料水の会社が、インドネシアのある地方に工場を建てました。その工場では大量に飲み水を使って清涼飲料水を造ります。そうすると、その地方では水不足が起こり、飲み水よりも清涼飲料水の方が安くなり、水を飲むより清涼飲料水を飲むことが多くなり、その結果、虫歯が増えたり糖尿病患者が増えたりしている、とのことです。

 このようなことは、清涼飲料水の会社をインドネシアに進出させたアメリカには、何の責任もないことでしょうか。これは、大国のエゴ、経済エゴというべきものではないでしょうか。このような大国の経済エゴで、今、地球上のあちこちで、人間が住みつらくなっているのです。テロは、この苦しさから解放されたい者の叫びではないでしょうか。

 このようなテロは、力ずくではなくすことはできません。力で抑えれば、抑えられた側は、より強い力を蓄えて反撃して来ます。暴力の連鎖は、暴力の原因を突き止め、その原因をなくすことから始めなければ、断ち切ることはできません。大国のエゴ、これをなくすことが先決ではないでしょうか。