「モラトリアム人生」

 モラトリアム人生という言葉があります。モラトリアムとは、経済用語で「支払延期」という意味だそうです。モラトリアム人生とは、さしずめ「先送り人生」というところでしょうか。自分が何者であるか、いつまでも決めないで過ごしている状態をいうようです。

 人は、大体、自分が何者であるかを職業で示します。ですから、モラトリアム人生というのは、定職に就こうとしない現象として現れます。定職に就かないからといって、遊んで暮らしている訳ではなく、フリーターと称して、不特定の職に就きながら、自分の生活費は自分で稼ぐのです。

 モラトリアム人生は、自分を社会の一員として位置付けることの拒否です。いや、社会から、お前はこういう者だ、と規定されることの拒否というべきかも知れません。自分でも自分が何者であるのか分からないうちに、職業によって、お前はこういう者だ、と決め付けられることを拒否しているのではないでしょうか。自分で自分をつかめない苦しさが、そこにはあるように思います。

 このようなモラトリアム人生を送っている人を、私たちは異常者とみるべきでしょうか。私はむしろ、そのような人の方が、正直な人のように思います。なぜなら、人は誰でも、自分は何者か、という深い疑問を抱えています。しかし、この世の人は、その疑問には誰も答えてくれません。この世のどこにもその答えは見つかりません。後は、この疑問から目をそらすか、この疑問を問い続けるかです。

 ほとんどの人がこの疑問から、目をそらして生きています。というより、ほとんどの人が、この疑問をまともに問い続けることの恐ろしさから逃げているのです。答えを出せない疑問を抱え続けることの恐ろしさから。この疑問から目をそらさず問い続けるということは、自分で自分をつかむ戦いをすることです。この戦いは容易には終わらない戦いです。その戦いがモラトリアム人生なのではないでしょうか。

 ある意味ではこれは、無益な戦いです。その答えを、この世に求めようとする限りは。

 人は「血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれた」(ヨハネ1:13)ということの中に、唯一の答えがあります。