「敗戦記念日に思う」

 59回目の敗戦記念日を迎えた。この59年間、日本は国内においても戦争は起こらなかったし、他国との戦争もしなかった。59年もの間、戦争をしなかった国が他にあるだろうか。これは、ひとえに、日本国憲法のお陰である。だが、その日本国憲法が、ことにもその第9条が危機にさらされている。

 今一度、その第9条に目を通してみよう。

 1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2.前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 これが日本国憲法第9条である。何と崇高な理念であろうか。

 聖書もいう。
  主は多くの民の争いを裁き
  はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。
  彼らは剣を打ち直して鋤とし
  槍を打ち直して鎌とする。
  国は国に向かって剣を上げず
  もはや戦うことを学ばない。(ミカ書4:3)
  剣をさやに納めなさい。剣を取る者は、剣で滅びる。(マタイ26:52)

 私たちは、こうしてみると、聖書と日本国憲法第9条は、平和を実現することについて、同じ考え方をもっていることが分かる。即ち、武力を放棄するところに平和は実現するということである。

 多くの人が、あの第9条は現実的ではないと改定を目論んでいる。しかし、この聖書の平和への考え方は、既に、神様ご自身が人間との間に平和を築くために実行しておられる。神様の独り子イエス・キリストは、自分を十字架につける人間のために、十字架の上で執り成しの祈りを捧げられた。そのことによって、神様と人間の間に和解がそして平和が実現した。

 私たちキリスト者は知っている。神様が既にあの平和の理念を実践しておられることを。その私たちキリスト者にこそ、日本国憲法第9条を理想に終わらせず、実現させる責任がある。