「平和憲法を守ろう(その2)」

 力の均衡による平和維持論から、丸腰による平和創造論への大転回が唱われている日本国憲法が、今、危機にさらされています。それは、この憲法が、二度の原爆被爆という悲惨さを体験した中から生まれたということが、忘れられようとしているからです。

 この憲法の人類に対する役割は、人と人の関係を人間と人間の関係に作り上げようとするところにあります。人間とは単なる人ではなく、人の間と書くように、人と交わることによって存在の意味を発揮させる存在です。人と交わることなしには、人は人間にはなれません。そして、真の交わりはお互いの命が輝き合うことです。人間とは、お互いの命を輝かせ合うために交わり合う人のことです。

 このような人間にとって大事なことは、他者を自己の存在の不可欠の要素として、そして自己を他者の存在の不可欠の要素として位置付けることです。これは、「万人は万人にとって狼である」(トーマス・ホッブス)という人間観の大転回です。「万人は万人にとって狼である」という人間観に立つ限り、人は人に対してまず己を守るという身構えをしなければなりません。これが、「力による平和維持論」を生み出します。従って、「万人は万人にとって狼である」という人間観を脱却しない限り、結局は戦争は避けられません。これを克服したのが、日本国憲法なのです。

「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という諺がありますが、日本の歴史は、今、その愚かさを犯そうとしています。戦争を知らない世代が国政の指導者となった今、あの日本国憲法の人類史的意味が見失われようとしています。

 日本が占めたいと願っている世界における「名誉ある地位」とは、未だに幻想から目覚めず、力の均衡論に立って平和を実現しようとしているこの世界に、武力を提供することではなく、あの人間観を大転回した日本国憲法の精神をしっかりと守り、武力によってではなく、奉仕によって、人間と人間の関係を、国と国との関係を友好な関係に作り変えていくことです。

「己は他者のために、他者は己のために」。日本国憲法を人類の宝として存在し続けさせるために、私たちは、この憲法の根底にあるこの人間観を常に噛みしめなければなりません。その秘訣は、「疑うより交われ」です。(了)