「当世子ども気質」

 私たちルーテル釧路教会では、毎月1回、大体最終土曜日の午後1時から約2時間程、子ども会を開いています。小学生が対象です。それも、教会の道向いにある小学校に通っている子どもたちが相手です。

 学校の周りに5枚ほどポスターを立て、これまで来た子どもたちには毎回ダイレクトメールを送ります。

 先週の日曜日の午後、2人の男の子がやって来ました。聞くと、「昨日、子ども会があると思って来たけど、何もやっていなかったので、今日かなと思って来た」とのことでした。子ども会は今度の土曜日だと返事をすると、「ちょっとトランプで遊びたいので礼拝堂を使わせて欲しい」と言いますので、せっかく来たのだからと思い、遊ばせることにしました。そのうち、トランプに飽きたのか、走り回ったりし始めましたので、室内では静かにするように注意しました。

 しばらくして、一人の子が、「ガラスをちょっと蹴ってみたら割れてしまった」と言って来ました。見ると、玄関の90センチ四方程のガラスが激しく割れています。
「これは、ちょっと蹴った位ではないな」と思い、問いただしますと、「これくらいでは割れないだろうと思って蹴ったんだけど」という弁明でした。子どもの言うことには嘘はないだろうと思いながらも、起こった結果に対して申し訳ないという気持が感じられなかったのは残念でした。このままではいけないと思い、「帰ったら、お家の人に言うんだよ」と言って帰しました。

 それから小1時間程した頃、その子が祖母と一緒にやって来ました。私は、それを見てホッとしました。私には、この子が家で話すかどうか、自信がなかったのです。理由はともかく、起こった結果に対して責任を感じない子どもが、果たして家の人に話すだろうか。私には否定的な気持が強かったのです。でも、この子は話したのです。

 私は、この子から直接「ご免なさい」の一言を聞くことで、この子の中に反省の気持があることを見て取ろうとしていたのです。その一言がなかったことで、この子に反省は起こっていないと決めつけていたのです。でも、この子は、家の人に話しました。それは、この子の中に反省が起こっていることの証拠ではないでしょうか。これが、当世の子どものやり方なのでしょう。

 「来週も来ていい。」そう聞いて、この子は帰って行きました。