「母帰天(その2)」

 病院に着くと遺体はまだ病室にありました。安らかな顔でした。「お母さんご免ね、側にいなくて。いいお母さんだったよ。ありがとう。天国で会おうね」と額を撫ぜながら言うのが精一杯でした。そして、病室にいた姉と弟と付添い婦の方の労をねぎらい、紫のストールを着けて牧師に早変わりをし、臨終の祈りをしました。その後、喪主として、姉と弟に、手短に今後の段取りを話しました。

 病院には既に葬儀屋さんが来てくださっていましたので、直ぐに霊安室に運び、そこで納棺を済ませました。そして、斎場へ運び、午後8時から私の司式、説教で仮前夜式を行いました。

 実は、キリスト教の信者ではない母の葬儀をキリスト教で行うについては、次のような訳がありました。

 私が神学校に入学した最初の夏休み、家に帰ると母から突然、「あんたの葬儀はどぎゃんすれば良かとね」と尋ねられました。まだ独身でした私は、その時点では母が喪主になることを思い、次のような話をしました。「葬儀は、亡くなったもんが、何教の何宗ば信じとろうと、喪主になったもんが自分の思い通りにやれば良かと。僕が死ねばお母さんが喪主になっとだけん、僕がキリスト教徒じゃろうと、お母さんが信じとる浄土真宗で葬儀をすれば良かとたい。」「そっば聞いて安心した。」そこで私は切り返しました。「ところで、お母さん、お母さんが死ねば、誰が喪主になっとね。」「そらぁ、長男のあんたたい。」「そっじゃ、お母さんの葬儀は、喪主の僕がキリスト教ですっことになるばってん、それで良かね。」「しかたがなかたい。」

 この会話を交わしたのは、33年前のことでしたが、つい3年程前、ですからあの会話を交わしてから丁度30年経ったとき、母は覚えていないだろうと思いながら、姉のいるところで、母に、このような話しをしたことを覚えているかどうか尋ねましたところ、母は、はっきりと「覚えとる」と言いました。それで、その時、姉立会いのもとに、母の葬儀は、私が喪主になってキリスト教式で行うことに決まったのでした。

 母の私に向かっての口癖は「何回も聞くかも知れんばってん、せめて東京ぐらいには来れんとね」でした。その母の思いに応えられなかったのは致し方ないにしても、死に目に会えなかった親不幸を悔やんでいます。あの母の子であることを誇りに生きることで、親不孝の償いをしたいと思っています。(了)