「母帰天(その1)」

 先週の日曜日(9日)、朝6時半、母の病床に付き添っていた人吉の姉から電話がありました。上の血圧が60まで下がり、下は測定不能になったので、医師から近親者を呼ぶように言われた、とのことでした。

 私だけが10時15分発の一番機で人吉に向かうことにし、妻は残って、私からの
連絡を待つことにした。

 このようなこともあろうかと、前もって信徒による礼拝を行って頂くために、司式を中道絹姉に、証しを白谷和明兄にお願いしていましたので、7時半になるのを待って、お二人にその旨連絡をしました。週報も2通り用意していましたので、信徒による礼拝の方を印刷して、礼拝の準備を終えました。

 母の病床に着くのが早くても午後4時近くになることを思うと、間に合わないこともあると思い、覚悟をしました。そして、臨終の祈り、納棺の祈り、仮前夜式までは自分が司式、説教を行うつもりで、仮前夜式の式次第を用意しました。

 羽田空港に12時に着き、乗換えの飛行機が発つまでに1時間程ありましたので、その間に携帯電話で連絡を取ったところ、血圧が上が80、下が60まで回復したの
で、今日は持ちこたえるかも知れないということでした。

 乗換えの飛行機は、予定通り1時に羽田を発ち、2時40分に鹿児島空港に着きました。空港に迎えに来ていた義兄が、会うや否や、「2時10分に亡くなったそうです。間に合いませんでしたね」と知らせてくれ、慰めてくれました。私は、「そうですか。ありがとうございます」と応えましたが、覚悟ができていたのか、悲しみといった気持ちは湧いて来ませんでした。

 迎えの車に乗り込んで、義兄と今後の段取りを、その日の午後7時から仮前夜式、翌日の午後7時から前夜式、その翌日の午後1時から告別式をして、その日の内に納骨を済ませることにしました。車の中から、妻に連絡をし、妻は翌日来ることにしました。また母に生前会ってもらい、いざという時には司式、説教をお願いすることになっていた藤井邦夫牧師とオルガニストを引き受けてくださることになっていた徳野説子姉に連絡をし、仮前夜式を行う斎場に直接来て頂くことにしました。

 その途中で弟から電話が入りました。私が来るまで遺体を病室に置いておきたいが、病院は早く霊安室に移したがっている、とのことでしたので、霊安室に移すように指示しました。(続)