|
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しいものであることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピの信徒への手紙2:6−8)
エルサレムに旅をする巡礼者が訪れる場所の一つは、「庭の墓地」と呼ばれる昔の墓とそのすぐそばに見える丘です。1883年イギリス人のゴルドン大将はこの場所を見つけ、白い岩壁に見える穴が骸骨を思わせることから、ここはイエス様が十字架につけられたゴルゴタ(されこうべの場所)とイエス様が葬られた墓であると考えました。考古学者たちによると、ゴルゴタの丘はとイエス様の墓は、現在の城壁の中にある「聖墳墓教会」の所にあったそうです。しかし、観光者で賑わう聖墳墓教会より、この丘の静寂した風景が主イエスの苦しみを思わせるので、丘の麓で聖書を読んだり静かに祈ったりする巡礼者の姿がよく見られます。
教会では今「四旬節」、イエス様の十字架の苦しみを覚える時を過ごしています。神の子イエスが人間となり、人間の苦労を分かち合うこと自体は、あまりにも不思議で、私たちの理解をはるかに越えることです。それにもまして、最も恥ずかしい、最も苦しい十字架の死に至るまで従順でおられたイエス様の愛が、信仰がなければ、とても受け入れられないのではないかと思います。「私のために、私の身代わりイエス様が死んでくださった」と、この主イエスの愛の奥義を思い巡らし、黙想し、祈りながらイースター、復活祭を迎える心の準備をいたしましょう。(V.ソベリ)