内容●自分でもわけが分かりません。
マレーシアにやってきたの巻。
朝七時二十分に目覚ましが鳴るものと思ってぼんやりとしてゐた。でも気がついたときには八時半だった。うわー。
急いでご飯を食べたり洗濯物を取り入れたりしてゐる間にも、昨日の書留は届かなかった。きっと今日また配達されやうとしてかなはず、結局一週間の保管期限を過ぎて銀行に送り返されるだらう。日本郵便のwebサイトで再配達日を指定できるのだが、一週間以内の日時をどれか一つ選ばないといけない。しかたなく今日の午前を指定した上で、二十日まで日本にゐないので受け取れないといふ意味のことを書いたのだが伝はっただらうか。
さて時間がない。ちょっと値段は高いが特急「はるか」を使ふことにする。十時に着けば十一時の便には間に合ふ、と思ふ。阪和線はとくに事故もなく特急はずんずん進んでゐる。
関西国際空港は大阪市内から見るとずいぶん遠い。いまの神戸空港のある場所でもよかった。あるいは、いま使はれずに荒れ地と化しているオリンピック誘致のための埋め立て地だとか、もっとましな場所はあったのに、当時の大人の事情で大変な禍根を残してしまった。
出発が十時五十分に早まってゐたり、荷物検査で並んでゐるうちに時間はずんずん過ぎていったりする。もうちょっと空港を観察したり飛び立つ飛行機を眺めたりしたいものだが、すぐに機に乗り込むこととなった。
まあ、それはそうと、別の部署の人も一人来ているはずなのだが、乗り込んでゐるのだらうか。
右側主翼のそばに座った。空気の硬さだけが頼りだ。エンジンは左右に一機ずつ。先日、友ヶ島に渡ったときは、静かな海の中にも波の高いところがあって、相対速度が高いときの水の硬さといふものを意識した。
たぶん時速三十キロメートルかそこらで滑走路までの道のりをえんやこらと進む間は、なめらかなアスファルトの地面を走ってゐるやうに感じられる。しばらく止まって滑走路の順番待ちをしたあと、エンジンが不意に回転数を上げて加速を始める。どんどこ回転数を上げてうるさくなる。そしてアスファルトの表面のちょっとした荒さで機体が揺れるやうになる。
翼面の上側の空気はちょっとだけやわらかく、下側の空気はちょっとだけ硬い。この違ひで主翼には上向きの力が加わり機体を持ち上げる、といふことは知識としては知ってゐる。この大事な主翼の先端が、アスファルトのわずかな荒さのせいなのか空気の気まぐれなのか、ふらふらと揺れてゐる。ぼくは、これらのちょっとした力の絶妙なバランスでもって、巨大なボーイング777-200の機体が飛んだり飛ばなかったりするのではないかと疑ふのである。主翼はふらふらと揺れてゐるが、機体はちゃんと持ち上がるのだらうか。あと、金属疲労を起こしてはゐないだらうか。
いよいよ機体が傾き出す。安全の教育のためのビデオが流れてゐるのは、このときの怖さを紛らはせるためではなからうか。エンジンの回転数はどこまでも上がって、ぼくがふだん乗る通勤電車や新幹線やタクシーのやうな穏やかな音と加速ではなく、容赦なく攻撃的である。
対地速度はすぐに三百キロメートルを越へ、上昇しつつもなほ加速は続く。さらに数回の旋回が加はり、左右に傾く。
一時間もしないうちに鹿児島の沖まできた。飲みものを持ってきたりピーナツをくれたりするのは、このやうな異常な速度に不安を抱かせないためではなからうか。いま対地速度九百キロメートルである。主翼は揺れることはなく、エンジンはずっと同じ回転数で騒音をたて続けてゐる。
一時間半ほどで沖縄っぽい島の上空を通過。昼食が出てきた。あんましおいしくない。
二時間。台湾の東側の沖を通過。
二時間半。窓の外が真っ白。雲の中を機体は揺れながら飛んでいる。
三時間。揺れは少しだけましになった。真っ白の雲の層の上側を飛んでゐる。
五時間。雲の上。相変はらず。めずらしく乗りもので眠ってゐた。ちょこっとだけ。
五時間半。シンガポールの入国時に渡すカードをまだ書いてゐないことを思ひ出したので、あはてて書いた。
あと三十分でシンガポールに到着する。でかい雲の層を通るときに大きく揺れた。ようやく地面が見えた。写真では分かりにくいが、土の色が赤い。
夕方にシンガポールの空港に着いて、車でマレーシア国境を越へる。そしてマレーシア南部の工場に向かふ。
夕方には仕事を終へてマレーシアに帰る人々が列をなす。ぼくにとっては、こんな国境の越えかたは大変な驚きであった。とてつもない数の二輪車がゐて、四輪車のすき間を埋め尽くす。
ぼくが想像してゐたのは、最新鋭のぴかぴかの工場だったのだが、ぴかぴかとはほど遠いものであった。
生産立ち上げのために日本から来た人がもう何人もゐる。夜中に中華料理の火鍋を食べに行った。
ぼくはビールを勧められ、断ることができなかった。いままで、酒を勧める人なんかゐなかったから油断してゐた。ぼくはずいぶんな量のビールを飲んでしまった。薬は飲まずに寝ることにする。金曜をなんとか乗り切らう。
ホテルの部屋は広かった。
面倒なことが多い。
ホテルの朝食は好きなものを好きなだけ取る。当然のやうにカレーとごはんを皿に盛る。
どうもこのままでは土日も出勤して問題をやっつけなければならないっぽい。日本ならとりあへず思ひつくままに自分でできたことが、遠くの地にくると途端に人の手を借りなければならなくなる。本来は逆で、自分だけでなにもかもができるやうになるべきところなのだが、どうも大きな組織といふものは他人の力を借りるやうに仕向けられてゐる。
工場の食堂で昼食をとる。またも好きなものを好きなだけ取って、その量を見て大雑把に値段が決まる。当然のやうにカレーとご飯も皿に盛る。大盛りに盛って昼食代は四リンギット、百二十円ぐらいだった。門の前の屋台だともっと安いかもしれない。
なんだか当たり前のやうに明日も出勤である。探検したいのにー。このままだとマレーシア土産を関西国際空港で買ふ羽目になってしまふ。もしくは梅田の阪神百貨店の前の通りで。
えらい人抜きでご飯を食べに行ったので、ビールは飲まなかった。だから今晩は薬を飲む。
昨日の夜に薬を飲まなかったが、今日は大丈夫だった。午前六時に目覚ましの音で起こされたときにはやけに眠かったけれど、すぐに慣れた。薬を飲んでゐれば大丈夫だと思ひこんでゐたかったのに、飲まなくてもいいことが気がついてしまった。
おなかの方も大丈夫みたいだ。辛いものが日常的に、それこそ一日三回食べられるといふのはなかなか素晴らしいことである。
休みがない。
うへえ。眠い。土曜だからなのかとにかく眠い。
片付かない問題があって、日本の職場にも手伝ってもらいたいんだが日本の方は休みなので、こりゃ困った。明日はどうなるんだ。
朝昼夜と辛いものを選んで食べてゐる。こりゃなかなか快適である。しかも安い。夜はホテルの中で食事をして、外出はしない。工場からホテルまでは遠くて車で送ってくれるのだが、それゆえに工場とホテルでの軟禁状態となってしまふ。
明日が休みではなくなったので余裕がない。買ひものに行きたいのだが、そんな気分になれない。じゃあ、いつ買ひものに行けるのだらう。
ホテルの部屋は広いしきれいだし、こんな部屋が作れたらよかったと思ふ。でも、日本じゃ難しい。
やっぱり休みがないが外出。
日曜もいつものやうに迎へに来てくれる車に乗って、工場に向かふ。
緊急事態っぽい問題があって、日本の職場は休みだけれど、えらい人に助けを求めるメールを出す。するとちゃんと返事がきた。えらい人って大変だな、と思った。
今日は夜勤がないらしく、われわれも早く引き上げる。外が明るいうちにホテルに戻ったのははじめてだ。うれしくなって外に出た。色あせてきたエミリーのTシャツにおんぼろの手提げ袋、その中にはちょっとばかし高価なカメラと。まあ、金を持ってゐさうには見えないだらう。
裏通りを歩くとさっそく萌えな寂れ具合[1][2]であった。写真を撮りながら歩くのだが、みるみるうちに暗くなってしまった。
樹木の根元に仏教っぽい装飾があった。なにやら古い銅の板、線香とろうそくがあった。写真を撮ってゐたら、話しかけられた。
まったく理解できなかので、ぼくは中国語は話せないんだ(実はマレー語だったのかも)って応えたら、ぎこちない英語で教へてくれた。日本でいへば仏像のやうなもので、とても古い信仰に基づくものだ。仏教の世界は広いのだ、みたいなことを言はれた。ぼくもぎこちない英語で返事をした。
歩き続けてゐると広い通りは高速道路のやうにばんばん車は走ってゐて、生身の人間なんかまったく見あたらなくなる。そこをただ歩き続けると心細くなる。
途中で廃墟も見つけたのだが、暗すぎて写真が撮れない。やっと見つけたショッピングモールに安堵した。ここには人間がゐるぞ。
ここで日用品を買ひ込んだ。日曜の夜で客はまばらだが、寂れてはゐない。工場だってさうだが、いろんな人がゐる。黄色い人も褐色の人も黒い人もゐる。売ってゐる服もさまざまだ。それでゐて、イスラム教徒と仏教徒とヒンドゥー教徒が争ったりすることはない。
ショッピングモールの中のレストランで食事をとる。写真で見た海南鶏飯を食べたくて入ったのだが、チキンライスはもう終はった、とつれない返事だった。おすすめのレモンチキンライスといふのにした。揚げた鶏肉にレモンソースがかかってゐる。ソースが容赦なくすっぱい。看板に偽りなしだ。一緒に頼んだアイスレモンティーは失敗だった。甘すぎる。しめて八リンギット、二百円強。
自力で帰る自信がなく、タクシーで帰る。五分でホテルに着いてしまった。十リンギット、三百円弱。探検といふにはちょっと近すぎたみたいだ。もっと仕事が早く終はったら、もっと歩きたかった。ネットカフェでも探したかった。会社の回線ではなにかと気を遣ふ。
帰ってきて、この文章を書くのに使ってゐるピンクの携帯電話さんを充電した。充電機はちょっとした破裂音を発して煙を出した。しまった。海外仕様じゃない方を持ってきてしまったのか。交流二百四十ボルトの電圧に耐えられずに回路が燃えてしまったやうだ。
こりゃ、日記を書いてゐられるのもいまのうちだな。
また飲んでしまった。
ずっと抱へてゐた問題の理由が判明する。いつもより早く帰る。
帰りに寄った大型スーパーマーケットでお土産にお菓子など買ふ。残念ながらマレーシアっぽいものは見当たらない。同行の人が別の店に入っている隙に写真[1][2]を撮る。
三人で入った中華料理屋でビールを勧められてまた断れずに飲んでしまふ。結構な量を飲んで部屋に戻る。
ついうっかりいつもの薬を飲んでしまふ。薬のために酒を止められてゐたのに。なにも考えずに寝ることにする。明朝、ぼくは目覚めることができるのだらうか。
飲まずにすんだ。
もう曜日が分からなくなる。職場で眠くて困る。
工場のラインで働く人々の多くは、いろんな国から集められた派遣社員である。英語とマレー語の分かる人がある程度経験を積むとこれらの兵隊たちを使ふやうになる。下士官みたいなもんである。
そこへ日本から将校が乗り込んできたのだ。ホテルの部屋は広いし、なんだかえらい人みたいな扱ひだ。でも、ぼくはぜんぜんえらくない。
今日はビールを断ったぞ。酒の毒を二日連続で入れてなるものか。
ホテルの中にある日本食の店で三十リンギットぐらい使ふ。昼食が会社の食堂で四リンギットであることを考えると、この夕食はかなり高い。明日は一人で店を探しに行かう。
夜中に出歩く。
工場は昼も夜も交代制で稼働してゐる。シフトの都合はよく知らないけれど、朝は七時から稼働する。なんと早い。七時過ぎには入らうってことで、朝は六時に起きてゐるのだが、まだ眠いのである。
しかしいつもの職場に行くのに比べたら気分は楽である。ホテルの朝食にはちゃんと辛いものがあるし、車で送ってくれるしで快適なものである。でも、製造ラインが止まるのを待ってから新しいことを試したりしてゐるからどうしても工場を出るのが遅くなる。明るいうちに帰らないと写真を撮れないじゃないか。
帰りに六人で中華料理屋へ行く。今度はビールを断ったぞ。道中、とても写真を撮りたい気分になった。カメラを取り出すのははばかられたので、食事の後にまた来ようと決める。
食事が終はってホテルの部屋で着替へる。日付の変はる頃になってカメラを抱へて商店の並ぶ路地に出た。安そうな食堂や屋台がたくさんある。ぼくは一人でこういふところに来たかったのだ。
暗いけれど写真を撮る。怪しげなDVDの店に寄ったが、なんだかよく分からずにすぐに出てしまった。
夜遅くまで開いている食堂がたくさんあった[1][2]。人もそれなりにゐる。あとは、マッサージの店が開いてゐたら入ってみたい。しばらく運動をしてゐないのと仕事漬けで、腰の調子がよろしくない。
電柱を見上げる。割りばしのやうな細い棒切れに針金が通ってゐる図。おそらく元は商店であったであらう建物。崩落した塀。エアコン室外機の整然と並ぶ図。
一時を過ぎた。サイレース錠を飲んで寝る。四時間半後には起床だ。早朝覚醒が出ないことを祈る。
夜中にTVをつけると日本のアニメが放送されてゐる。ぼくも見たことがなくて題名すら分からないものばかりだ。
音声は日本語のまま、画面下部に英語の字幕が出る。マレーシアの子供はこうやって英語を覚えてゐるのだな、きっとさうだ。
三十年前の日産サニーはかっこよかった。
うへえ眠い。睡眠時間が五時間を切るときつい。
やはり会社の面々と一緒に食事に行くと余分に時間がかかってよくない。一人で安食堂で食事をして、あとの時間は探検にあてたほうがいい。
明日は客先の人が工場をのぞきにやってくる。新規に立ち上げる製品なんで、製造ラインの最適化が済んでいるとは言ひがたい。これを客に見せるとなるとけっこうどたばたする。直前までじたばたしてゐる。
しかし眠い。朝四時とかに目が覚めるのはなかったものの、眠いものは眠い。今日はぼくはあんましすることがない。だからとっとと買ひものにでも行きたいものである。
初日に一万円札を三百七十六リンギットに両替したのが尽きてきた。ふだんは節約しているが、たまに夕食で五十リンギットぐらひ使ってしまふい。昨日の夜、一万円札を今度は三百五十リンギットに両替した。使ひ切る機会はないかもしれない。
いつもの車に乗れなったので、二人でタクシーに乗る。しゃべったこともない人だったけれど、変な雰囲気にならずにすんだ。結局二人で夕食に行ってしまひ、一人で安食堂に入るといふ目標はつひえる。
そのあと、マッサージの店を探して一人で歩き回った。車の中から見えたやうな気がする店を探して歩いたがたどり着けなかった。ほかにも店はあるのだが、夜も遅くなってきたので素直に帰る。
食堂かなにかの建物の壁に、エアコンの室外機がきれいに一列に並んでゐるのを見つけて写真に撮ってゐた。地元の少年の一団がたむろしてゐて一人が近づいてきた。
声を掛けられたが、こんな真夜中に怖いので無視してゐた。「何してんねん」(日本語訳)と言ってきた。「写真、撮っとる」とだけ答えたら去っていった。こういふときこそ友好的に接するべきだったと反省した。「あの壁のエアコンの室外機を見てみ。あの美しさを写真に撮りたいんや」ぐらい言へばよかった。
通りに花火の痕があったり、なにやら火をくべてゐる人たちがゐたりする。きっとなにか祝祭の時期で、それで少年たちも外を歩いてゐたのだらう。
ホテルのそばに日産自動車の「サニー」の三十年ぐらい前のおんぼろな車が置いてある。何枚も写真に撮った。昨日も撮った。このサニーはかっこいいと思ふ[1][2][3]。このかっこよさを日産はいまも越へられないでゐると思ふ。
ホイホイとついて行った。
客先から人が来る。まだ会ってゐないが、えらい人たちがなんとかしてくれるだらう、と思ってゐた。
いろいろ走り回って、監査終了。えらい人たちが会議室の中でなんとかしてくれるもんだと思ってゐたが、そんなことはなかった。じゃ、えらい人たちはなんのために大挙してやってきたのか。
昨日ご飯を食べに行った人が、今日はマレーシアの人と食事に行くが一緒にどうかと誘はれる。あとの仕事はえらい人たちに任せて、二つ返事でホイホイとついて行く。
まず、会社の駐車場で、昨日見た炎を見た。中国系の人たちが、この季節には短冊状の紙を炎に投げ込んだり、花火みたいな形の線香を立てたりするのだ。日本の「ボン」のやうなものだと教へてくれた。ホイホイついて行ったから教へてもらへた。
最近やけに家屋を飾りたてるのを見たが、これのことかもしれない。それとは別にムスリムの断食の時期が明けるから、そっちかもしれない。なんだかカオスな国だと思ふ。(その後、マレーシアの「ハリラヤ」のことらしいと判明する。日本の「お盆」のやうなものであることには違ひない)
中国系のマレーシアの人たちと集ったのは、やけに豪華っぽい中華料理屋だった。生けすの中から海老だの貝だのを選んで、調理してもらふ。酒が進むにつれて、同行の人が実はけっこうえらい人だったといふことと、誰とでもつき合へる人なんだって分かった。かういふ人が出世するのは分かる気がする。
個室にはなぜかカラオケがあって、日本語の歌が流れてゐた。ぼくはいままで、日本を代表して現地の人と接してゐる、なんて考へることはなかった。でも、聞いたこともない日本語の曲たちを聞かされて、ぼくは図らずも日本人であることを思ひ出すのであった。
同じ日本人でも、歌の中に出てくる主人公たちのやうにはなれず、感情を表現する術もなく、同行の人のやうに誰とでもつき合う人間でもない。日本語の歌詞が意識を上滑りして、ふしぎな気分になった。
調子に乗って飲みすぎ、泥酔する。別れたあと、マッサージの店に寄って背中とか足だとかをマッサージしてもらふ。日本よりもずいぶん安かった。
ああ終はった。これで全部終はった。酒は気分を落ち込ませるといふことを、今日も知ったのだった。
まだ終はってゐなかった。
土曜。今日は出勤なのか休みなのかはっきりしない。困った。はっきりしないままに抜け出して豪華な中華料理屋に行ってしまったからだ。
酒のせいだと思うが、夜中に三度も目を覚ました。四時過ぎに起きてからは寝るのをあきらめた。
二日続けて酒を飲むことのないやうにした。ぼくの身体はどうなってしまったのだらう。ここ五日間ぐらい、便に鮮血が混じる。薬や酒と関係があるのだらうか。それとも日に三回の辛い食事に、味覚は満足しても身体は悲鳴をあげてゐるのか。それとも。
明日からぼくはまた一人だ。広くなった部屋で一人。いろんな人と会いながら過ごした後に、耐へられるのだらうか。
うへあ。最悪だ。ほかの機種の不具合のために休みがなくなった。二日酔ひで頭が痛い。
自分の専門外のことでも、設計者を代表して遠い国までやってきたのだから、一人でやるしかない。そんなことは分かってゐるのだけれども、やっぱりがっかりする。新しいことを勉強できてありがたいと思ふぐらいの気概があればいいが、いまのぼくには二日酔ひのほうが重要だ。
昼で引き上げて買ひものに行く。会社の人と二人だったので、カメラを出すことはためらはれた。でも、視界に錆びた鉄筋の構造物を見てしまった。ぼくは、あの通りを歩かうと提案した。ぼくはあれを写真に収めたい、と。
それからも路地で写真を撮った。でも、地面のひび割れを這いつくばって撮るやうなことはできなかった。
前回真夜中の大冒険でたどり着いたのとは別のショッピングモールに入った。こっちはもっとごちゃごちゃしてゐて、やたらめったら本物じゃないDVDの店がある。本物を置いてゐる店はずっと少ない。店のあんちゃんに「ジャパニーズムービー!」とか「エッチビデオ!」だとかやたらと声を掛けられる。
さういへば家にDVDプレーヤがなくPCで再生してゐたのだがどうにも不便なので、リージョンフリーのDVDプレーヤを買った。百六十八リンギット。持って帰るのに便利なやうに小型のもの。
ジャパニーズムービーやエッチビデオは買はなかった。あと、チョコレート菓子、中国語の書かれたお菓子。
そんなあやしげなショッピングモールや路地の薄暗い店にも客がゐる。マレーシアの地方都市である、この街には人がゐる。それに比して日本の地方都市はすっかり寂れてしまった。日本では人はどこへ行ってしまったのだらう。
路地は狭くなく、その需要に不釣り合ひに広い。建物の背が低いことからも地面の値段が安いのだと考へられる。なぜかホテルだけは背が高い。建物のコストより眺望や建物の見栄えが大事なのだらう。
いつぞやの台北市内で見たやうな、美しい表通りと、一転して狭くてじめじめした裏通りといふやうな極端な格差は感じられない。台北とか大阪で見られる安らぎと焦りが同居したやうな薄暗さと湿気はなく、ただあっけらかんとしてゐる。スラムのごときぽんこつの家の並びもあっけらかんとして貧しさが感じられない。写真に撮ることはできなかったのが心残りだ。
首都のクアラルンプールはどうなってゐるのか見たいものだが、残念ながら帰りもシンガポール経由なのだ。
行きと同じく陸路でシンガポールのチャンギ空港へ。車の中で出入国書類を焦って書く。
金属探知機でまずいものが写ってゐたらしい。シザーを持っているかとおっしゃる。ひげそり、それはレザー。ひげそりは大丈夫だったらしい。ああ、さうか。マレーシアで買ったおしゃれセットの中に入ってゐた鼻毛を切ったり、まゆを整へたりするための小さなはさみだ。
取り出せとおっしゃる。おしゃれセットの中から小さなはさみを取り上げられた。おしゃれセットから鼻毛を切る機能が失はれたら、もう切れない爪切りと使はない爪とぎ用のやすり、あと短くて使ひにくい耳かきしかなくなるじゃないか。鼻毛を切れないおしゃれセットなどあるものか。
その後、書類に署名させられ、さらに、ついて来いと言って搭乗券とはさみを持ったマドモワゼルが歩き始める。ああ。ぼくは取調室で全身をくまなく調べられるのか。
と思ったら、はさみは飛行機には積むやうだ。あとで返してくれるのだらう。忘れさうで心配だ。
久々に日記を書くにあたっての序文。
二年ぐらい放り出していた日記を久しぶりに書いている。身近な人に見られてゐるのに耐えられなくなって書けずにいた。いまならもう、誰も見ていない。
この間にいろんなことがあった。引っ越したり、大量の本を処分したり、会社が変わったり、子猫の「いちご」と暮らしたり、恋人と同棲したり、婚約したり、家を買ったり、婚約破棄したり、でも家は完成したり、子猫を奪われたり、そして新居に一人で暮らしたりした。あと、精神安定剤と睡眠薬を飲むようになった。その代わり、医師には酒を飲まないように命じられた。
いろんなものを捨てた。とくに人間関係がなくなった。三十余年も生きてから、孤独は恐ろしい。
愛らしい子猫は奪われたが、身近なところにプチ廃墟を見つけては写真に収める、という趣味は残った。三千万円の住宅ローンの残高が減っていくのを眺める、という新しい趣味もできた。家具を揃えるのも楽しい。
もう薄くて高い本を求めたりだとか、「セーラームーン」の舞台を観るためだとかの理由で東京に旅立つことはない。いまのぼくには家具を揃えたり、住宅ローンを繰上返済したり、気狂いにならぬよう節制したりするのが最優先課題なのだ。
探検の後、結局チェーン店の居酒屋へ。
ごはんを食べに友人と難波へ。赤い円錐状のアレがやけに並んでゐるので写真に撮った。ごはんは「けむり屋」で中華料理のセットを。
前から気になってゐた「味園」のビルに入る。上階の駐車場は使うことがあってたびたび入ったことがあるのだが、それ以外には入ったことがなかった。今日はテナントの入っている階を歩く。
こりゃ楽しそうだ。「花と蝶」と「マジョラム」が気になる。でも、ぼくは禁酒を続けるので入れない。「グレン隊」は立ち入りできないそうである。ドレスコードがあるのも意外。
「三ツ寺会館」ほど怖くはない。都会の真ん中にアンダーグラウンドの入り口が堂々と置かれているのは楽しいことだと思う。
ごみ袋[1][2]、空き缶。このまま帰るのは耐えがたいことだった。チェーン店の居酒屋で友人と朝までぐだぐだになりながら、人生観や死生観に迫る。ぼくはマレーシアでのことは忘れて、酒は飲まない。あと、将棋を指す。
家具を少しずつ揃えている。
朝6時半ごろ帰宅。そのまま寝る。
朝9時に起きた。昨日届いていた、食器棚とCDの棚を組み立てるために実家の父上を呼んでいたのだ。まだ連絡がなかったのでまた寝る。9時半ごろ呼び鈴が鳴ったので飛び起きた。何度も電話があったらしいのだが、熟睡して気づかなかった。
食器棚の組み立てはたいへんだった。こりゃ一万円ぐらい高くなったとしても完成品を買ったほうがいい。CDの棚のほうはずっと簡単だった。どちらかと言えば、CDの棚を置くために本棚を移動させたのが大変だった。
引越しから一月経っても一向にダンボール箱の山が片付かなかったが、これで片付けが加速する。CDの棚には800枚ぐらい入るそうだから、ダンボールの中身はほぼ収まるだろう。ただ、難点もあって、CDのサイズにぴったりに作ってあるので、ちょっと大きめの紙箱に入っていたりすると収まらないのだ。ぎりぎり収まる紙箱もある。
一年以上CDプレーヤに梶芽衣子「全曲集」が入ったままだった。引越し前は、当時の同居人がぼくがオーディオセットを使うことを許さなかったのだ。
ダンボール箱の山が低くなってきたので。スピーカが見えてきた。Mosaic.wav二年ぐらい前のCD「Future-Fiction: Akiba-Pop!!」と、去年観た映画「GSワンダーランド」のサウンドトラックを試しに鳴らしている。低音が妙にぼこぼこする。スピーカの配置の工夫が要りそう。あと、床が防音のために妙にやわらかいことも影響しているかもしれない。