この日記が書き変わらなかった間に。なんだか。とっても。非常に。いろんなことがあった。とりあえず二週間をめどにちょっとずつ書いていこうと思う。
なんだか新しいPowerMacが出荷されてしまった。YosemiteマザーボードにEl capitan筺体。そっち方面ではコードネーム付きで随分前から噂されてた新製品である。アップルもいままでよく隠し通したもんだ。で、やっと公開された新製品の写真を見る。
ああああ。なんですかこれは。全モデルこれですか。選択の余地なしですか。まあそれでも最近のへっぽこ筺体よりはいいか。そんな気もする。いや、そう考えるしかない。きっと半年後ぐらいにこの派手な機械を買っているのだ。
なんでも1999Q3ぐらいに出るらしいSawtoothマザーボードがMax bus使わんそうじゃないですか。こーりゃつまんないやと。忘れないうちに書いておこう。MaxとはG4 w/ altivecのコードネームで、Max busはMaxから使われる128bitのバスのことである。で、Sawtoothでは古いCPUとの間でのアプリケーションの互換性維持のため60xのバスを使い続けるらしい。Max busが使えないんじゃSawtoothまで待つ理由はない。YosemiteにMaxなカードを挿すのとそんなに変わらんだろう。たぶん。
とは言ったもののYosemiteのCPUカードには例のROMがくっついてるので、Maxなカードを作ろうとしてもAppleのライセンスが要るっぽい。Sawtoothまで待てと言うことなのか。まあいいか。Altivecの行方もなんだかよく分からないし。
年末お泊まり大会のこともまだ書いてないのに、またまなちゃの人たちとお会いする。昨日ぽんさんが来たのだ。年末にいっしょに遊んでいたぽんさんが、いっちゃんのお見舞いだと言ってひょっこり来たのだ。つうわけで一日朝から晩までいっしょに歩いてみる。時間がちょっとアレなのでやや省略して記録するにとどめる。
大阪駅のきっぷうりばのあたりで遭遇。
大阪駅の地下街のカウンターしかない小さなうどん屋に入る。二人して天ぷらうどんを食べる。わしの大好きな天ぷらうどんである。ほら大阪のうどんはスープが黄色いでしょとか言って、大阪の文化に触れていただく。
大阪駅前の例の横断歩道を歩道橋の上から見せる。渡る人が激しく多く、真ん中の島に人がしばしば残される危険な横断歩道である。ほら青信号になるまでの待ち時間が「あと何秒」って表示されてるでしょ、とか言って大阪の文化に触れていただく。そして横断歩道を渡ってみる。
いっちゃんの病院に向かう途中の電車の中。ここが淀川で大阪の人はこの水を飲んでいる、だとか四年前の地震のときは車中から見える建物はどこも屋根に青いシートを被せているのが見えた、だとか言って大阪の文化に触れていただく。
いっちゃんの病室に到着。いっちゃんの寝顔を拝見する。わたしが近づくと殺気を感じたのかあわてて起きる。で、ビッグなゲストを紹介する。ぽんさん登場である。しばし雑談する。東京より持参の、東京ばな奈「見いつけたっ」を三人でいただく。この菓子に入っている説明文が非常に恥ずかしかったので、この紙をもらって帰る。さらにその場で朗読する。とは言っても「星のメルヘン」ほどの恥ずかしさではない。
ぽんさん、いっちゃんの初眼鏡っ娘についての尋問を開始する。基本は如月さんであるという証言を得る。もっと前にも眼鏡っ娘に至るルーツがあったような気がするけど忘れた、とあいまいな証言。眼鏡への思い入れを探ろうとするもはっきりせず。
「牛乳びん底はちょっと……」及び「外し眼鏡っ娘はものによる」という二つの証言からも眼鏡そのものへの思い入れはないことが明かに。
いっちゃんの昼食時間が終わり安静時間に入る。昼食が終わっていないのは非常にまずい。非常にまずいので立ち去る。帰り際二人で歩いていていっちゃんの年齢に関する重大な考察がぽんさんの口から出る。さすがだ。
おかざきさんがやってきた時のごとく、連綿と続くオフ会の慣例により日本橋へ。わんだーらんどとえるえるパレスに行く。 わんだーらんどで立ち話。クレヨン王国と守護月天を例えに我々の嗜好について話す。一部のおっきい人向けのアニメとちっさい子向けのアニメだったら、前者の方がいいなと。おっきい人向けのにはもう飽きてるんだな、と。ちっさい子向けの方が話がしっかりしてるんだなと。
えるぱれで問題の本発見。まだわたしを追いつめますか。えるぱれは中身が全部閲覧できるってんで、ぽんさんしっかり中身を見る。今から考えればこの表紙のURLをまなちゃに載っけたのってぽんさんじゃないか。ここで通天閣を見るべきだったのだが忘れてしまう。無念。
朝にぽんさんが大阪らしいお好み焼きが食べたい、とおっしゃったので電器店街からわんだーらんどのそばの小さなお好み焼き屋さんに寄る。ここは450円と安い。おばちゃんが鉄板で焼いてくれる。これはぽんさんの希望に近いに違いない。鉄板の一方を囲むカウンター席があり、あと店の端っこに一台のテーブルと席。我々はテーブルに座る。壁のお品がきを見ながらモダンって何ですか、とぽんさんがおっしゃる。焼きそばの入ったやつを大阪ではモダン焼きと称するのです、と説明する。
お好み焼きを食べてるいるとお客さんが増えてくる。カウンターの方々がなぜかみんなしてまんがだの新聞だのを読んでいて壮観。こーりゃあたくしも読まなければ関数の微分可能性を保証できないんだ、とか言いながらさっきわんだーらんどで買ったクレヨン王国の単行本を開く。一度思いとどまるが端っこの席だから目立ちやするまい、と本を開く。読んでみたらばやはし三巻の死神をやっつけるところで連載が終わっていたらしい。無念。
で、昨日のクレヨン王国の見どころはプーニャですか、とおっしゃる。話をよく覚えていなかったので、クラウドがいっぱい出てきたことが見どころに決まってるじゃないですか、と返す。いやいや、最後のプーニャが天使を説得するところよかったじゃないですか、てな話になる。表面ばかり記憶に残っていて大事なところを忘れていたことを恥じる。
ぽんさんがお品がきに疑問点を見出す。豚、イカ、肉各450円と書いてあるのだ。豚と肉との違いや如何に。おばちゃんに聞いてみたところ肉とは牛肉のことだそうだ。ぽんさんは沖縄では肉といえば豚だとおっしゃる。大阪では肉とだけ言われた場合の豚だか牛だかの明確な認識は、人々の間で共有されていないような気がするがどうか。
道頓堀に繰り出すぜってんで、日本橋から歩く。歩く。どんどこ歩く。で、平日の昼間の人通りの少ない道頓堀を歩く。例の巨大なかにを三体、くいだおれ人形一体、グリコの看板の人一体、その他もろもろ派手な看板を見ていただく。で、一時間だけカラオケで歌う。二人っきりである。
松竹の劇場の前で、あずまさんは演芸を見に行ったりはするのかと聞かれる。商売として成り立つからには大阪の人は見に行くのでしょう、と。わたしは見に行ったことないなあ、いや、あったか。とよく分からない返事をする。演芸じゃなくて落語なら見ましたがね。
サトルさんに電話をする。召集しようにも草津からでは遠い。間を取って京都でどうだってな話になり、我々とサトルさんともに繰り出すことにする。大阪を去ることになった。まず心斎橋を渡る。阪神が優勝すると人が飛び込むという評判はご存じなようだ。で、人の多いアーケードを歩いて心斎橋の駅へ。
地下鉄で梅田に戻る。梅田とは大阪駅界隈を指す地名である。大阪の地下鉄は毎年とっても激しく赤字を計上しており、そのせいで運賃が高いんだと申し上げる。で、京都に向かう。電車の中でここいら辺の地理について説明申し上げる。
サトルさんと合流。そういやぽんさんが遠いところから来たってのに今や感激はない。これだけしょっちゅう会ってるんだからそんなものかという気もする。餃子の王将にて夕食を食べる。ここはラーメンの麺を二玉入りにしても値段が一緒である。サトルさんがラーメンを二玉入りで注文したのを聞いてわしも決断した。わしも二玉入りだ。
で、取り留めのない話なんぞをする。なんでもランキングのことだとかがっこを出てからどうするのかとか。まんが大会のカタログに「瀧澤順一」って書いておいたらたくさんいた参加者のうちの何人かが反応するだろうなあ、みたいな話もした。
サトルさんは随分食べるのが早い。遅れること二、三十分。わしはこの巨大なラーメンと炒飯を食べ終わる頃にはおなかが苦しくなった。
ぽんさんは夜行で帰るってんで店を出る。ぽんさんとサトルさんは京都駅へ、わしは京阪線の七条駅へ。
ぽんさんが翌朝からおしごとなんだそうで。夜行で来て夜行で帰るという慌ただしい旅行。もうちょっと余裕があったら例えばわしの家でだべったりお泊まり大会という選択肢もあったのだけれど、わしだって旅行はいつもこんなもんである。もう滅茶苦茶。団体旅行で風光明媚な場所を見に行ったはいいが、慌ただしすぎて何を見たのかさっぱり覚えていない、てな状況とそんなに変わらない気もする。
ともあれ沖縄に住んでいた頃ならまず実現しなかったであろういっちゃんのお見舞いができたことは喜ばしい限りだ。なんと言ってもいっちゃんは入院中は逃げられない。いっちゃんにこれだけ人と会わせておけば夏あたりにオフに来ざるを得なくなるだろう、という作戦だとは言えやしない言えやしない。
長旅の割にあっさりした遭遇と別れ。我々の関係はこれからもかくありたい。
Yosemiteの主記憶がPC100のCLが3のやつだと判明。2ではなく。それだけでなんだかいやになってきた。あーうー。Maxの載ったSawtoothまで待った方がいいのか。SawtoothはADBは付いてるのかどうか。Yosemite用のMaxなカードはいついくらで出るのか。迷う迷う。YosemiteにするかSawtoothまで待つか迷うぞう。林檎社が製品の情報を出荷まで一切出さないのがいけない。なんかここのところ同じようなことばかり書いてるなあ。
つーわけで引っ越し先はbigがいいかなあ。やはし。ユーザ名に「azuma」が確保できるかどうか。それが問題だ。
少しずつ年賀状を読んでいる。で、少しずつ年賀状を描いている。あまり年賀状を描かないので来る量もまた少ない。年末に二枚しか出せなかったのでいまだに年賀状を描いていて、一枚読んでは、一枚描いている。
受け取った年賀状を整理してみると、うさぎさん率が半分を切っている。これは由々しき事態である。わしの出した年賀状は全部うさぎさんだというのに。以下に集計結果を示す。一枚の年賀状が複数の項目を共有する場合は、主たる項目のみを集計する。
うさぎさん | うさぎさん(獣) | 5 |
うさぎさん(人) | 2 | |
非うさぎさん | おんなの子 | 1 |
うさぎさん以外の動物 | 4 | |
夫婦または子供の写真 | 2 | |
その他 | 3 | |
計 | 17 | |
あーうー。うさぎさあああん。すりすり。うさぎさんですよ。ええ。行政改革で十二年全部うさぎさん年にしてください。お願いします。そういやなぜか来年の干支である龍の絵を送ってきた友人一名がいる。わしがうさぎ者と知っての狼藉かっ。来年は覚えてやがれ。
しかしまあ世の中にはものすごい人がいるもので、年賀状にネタ投稿私見を書いてきてくれた人がいる。電話で私見を書け私見を書けと言ってしまったせいだろう。わしも書かんといけませんなあ。というわけでこの人にはもう一枚年賀状を送ることにした。
いやーん。年末の日記全然進んでなーい。これはおかしい。暇はあるのに。今が「修論書き期間」というだけでなーんにもする気がなくなっている。土曜日までにゼミの論文を読まなければ、と思うだけでなーんもしなくなっている。私見も書いてないしなあ。
そういえばここ数日やっていることがあった。年賀状書きをしていたではないか。昨日は某氏のネタ投稿私見付き年賀状に触発され、思わず私見に私見を付けた年賀状を作ってしまった。で、そんなこんなではがきに印刷したまま投函されていないのが七枚ぐらい溜まってしまった。どうも忘れっぽくていけない。
ぽんさんが来た日に買ったまんが版のクレヨン王国の単行本を、その日の晩に読んでみる。これですわ、これ。シルバー王女を強く強く押し出してくる。絵はそんなに好きではないのだけれど、どうだシルバー王女はかわいいだろう、と攻撃してくる。わしはあっさり敗北する。シルバー王女の笑顔は世界一だと言われるとなんだかすごくかわいいような気がしてくる。以前に「なかよし」でまんが版の第一回を読んだ後にアニメの第一回放送を観たのだけれど、アニメ版はまんが版のような衝撃的な印象はなかった。まんが版は第一回と第二回だけを読んだ後、ずっと「なかよし」を買わない日々が続いた。
で、アニメを一年観て今まんがを読んで。アニメの印象は随分変わった。絵が変わったのか話が変わったのか芝居が変わったのか。アニメのシルバー王女は随分やわらかくて、優雅で、それでいて俗っぽい。とんがった性格はどこへやら。ついでにクラウドもかわいい。随分アニメ版を好きになってしまった。残念なことにまんが版にはシルバー王女かわいい、以外の印象はない。十三回しかない連載にあれこれ詰め込み過ぎた気もする。キャラは十二の野菜たちもいて数が多い。十三回の連載は最初から無理があったともいえる。もっと残念なことに、十二か月の旅の後にアニメ版では続くいたずら天使の話がまんが版にはない。
ただ、片岡みちるのへろへろな感じは気に入ってしまった。
目次。
修論を書きつつその横で同じエディタでこれを書いている。年末にまた例によって例のごとくいろんな人のところにお邪魔した。いろいろあったので記録しておこう。ただ、今までの反省点としてやたら長い、とか全体がさっぱり見渡せない、などという点があったので章番号なんか付けてみたけど意味があるんだかないんだか。今回も長いんで読まない方がいいです。
某日早朝某駅に立つ。ここにたどり着くまでに「ヨコハマ食い出し紀行」(森谷りり夫)を読み終え、サンドイッチ一袋を食べ、おいしくないカレーライス一皿を食べ終わっていた。あまつさえ、早く着きすぎて電車に乗って行ったり来たりしていた。そんなこんなで約束の時間に約束の場所に向かう。
ぽんさんと一緒に一介のキサキチ-娘々兄妹の住むえみるの里に行くのだ。カレーを食べたり歩き回ったりした後にぽんさんと再開する。「お久しぶりです」とぽんさんが言うのを聞くと不思議な気がする。ちいとも久しぶりに感じない。わたしがあんまり眠いんで、たいして話をできそうもないことを先に告げて電車に乗る。
豚肉のハムの缶詰、というかなんというか。これを沖縄土産に持って行くとおっしゃる。一個手渡されたのでわたしにくれるんですか、と聞いたらそのつもりではなかったらしい。でも一個くれた。うさぎに指を噛まれたとでも思ってあきらめてくだされ。
今日は尋問会はやるんですか、と聞かれる。着いたら恒例行事として兄妹にあんなあことやこんなことを聞いてやろうということなのだが、ここのところごたごたしていてなーんも考えてないのだ。如月さんの名を冠するキサキチさんに「初眼鏡っ娘はいつですか」と聞くぐらいのことしかその場で思いつかなかった。その場で思いついたにしては初眼鏡っ娘というフレーズは後のち使えそうな気がする。
で、カレーの国圏内の某駅で二時間ばかし足留めを食らったので、とりあえず寒空の下ソフトクリームなんぞ食べながらぽんさんのPHSでちょこさんと長電話をする。他人の電話で三十分ばかし話をする。三十分経ってもソフトクリームはなかなか融けない。これが冬ってものなのか。夏に置き去りにしてしまったClose 2UのCDをくるんでいた「Windows98対応だぜ」のシールのついた包装フィルムと、ぴんくめがねはちょこさんが大事に保管されているそうな。
電話で私見書けと百八回ばかし唱えておいたので書いてくれるかもしれないし、ないかもしれない。あとハンドルが百八個に達したときは教えてくださいと言っておいたのでそのときは追想企画をやるかもしれないし、ないかもしれない。とか延々長電話していたのだが、その間ぽんさんは寒そうにしていた。
題名に「まーくん」と付けた割になかなかまーくんにたどり着かないので早送り。進行方向に対して左側、遠くに小さく雪山が見えてきたり隠れたり。延々と続く田は刈られて茶色くなっていたり。天気は快晴。
わたしが眠くて話がほとんどできなかったこともあってお互い退屈な時間になってしまったが、えみるの里に着いた。階段を登って改札を出る。おお、まーくん(仮名)像だ。おお娘々さんだ。おおキサキチさんだ。
こーれがまーくん像かあ。あたしゃもっと屋外で風雪に耐えた黒っぽい石像を想像していた。現実のまーくんは屋内で馬を駆る白い像であった。この前で写真を撮るのは事前に想像していたのよりもちいと恥ずかしそうだ。
ぽんさんに見所を指摘されてから六日。一日二回ぐらいクレヨン王国を観ている。あの時点ではまだ一回しか観てなかったうえ、ご飯を食べながらテレビを眺めていた。これが敗因だろう。そういうわけで十回ぐらい観た。で、こないだのクレヨン王国の見所はクラウドかプーニャか。何回観てもやはし見所はクラウドなのだ。泣き顔クラウドがもうなんとも。木馬にまたがって遊ぶユックタックも捨てがたいがここはクラウドでしょう。天使の名を叫ぶプーニャが、思い余ってございます口調も忘れてしまうというのもかなり見所なのだけれど。
剣の修行でピーマンを食べさせられたとき以来に見せる涙ですよ。すごろくで負けそうになって涙ですよ。こりゃあいいじゃないですか。ねずみの三姉妹に誘惑されるあたりもいいじゃないですか。
そういやクラウドの部屋に木馬があるというのがまたなんとも。推定十三歳なのに。
数か月前に「ノビノビウェイの森」と聞いてすぐにノルウェイのなんとかの本を開くぐらいに知識にどん欲な人ならもうちょっと楽しめたかもしれない。人魚の森でも子供の森でも可。今日は珍しく朝から起きてクレヨン王国を観ていた。放送が終わってビデオをもう一回観た。
これは古典的というのか、おとぎ話的というのか。古来より人はどういうわけか暗闇に放り出されて森で迷子になって大蛇と戦って悟りを開く。シルバー王女一行が天使に引かれて長老を訪ねる間、プーニャはなぜ迷いの森で遠回りをしなければならなかったのだろう。長老はどうして意志の強さや献身を評価するのだろう。
ノビノビウェイの森にはたきぎ拾いだの鍛冶だので生計をたてる天使たちがいる。そばの町の人間を相手に商売をしている。天使が人間の前に顔を出してたきぎを売ることは世俗の行いの象徴であり、逆に森の資源だけに頼って生きていることは世間離れしたものを表しているともいえる。
いたずら天使シャカチックとユックタックは人間たちの行いの不合理不条理を矢の魔法で指摘してきたように思う。
今電話が掛かってきた。ラッセンとかヒロ・ヤマガタってご存じですかとおっしゃる。んー、どちらかと言えばポスターなんかで見かける、色鮮やかに自然なんかを描く人ですか。ポスターなどでご覧になったことがありますか。ええまあ。
心斎橋とか遊びに行かれたりします? ちょっと最近は行かないですね。いやー、それにしても大人っぽい声してますね、おいくつですか。ええと、二十三です。あはは、学生さんですか。ええ。四年生? 大学の六年生ですわ。え? 大学院の二年です。へえ、頭いいんやねえ。いやそんな、それはわかりませんよ? 大学院では何の勉強してんの、へえCGをねえ。
就職とかすぐ決まったでしょ。すぐってほどでもないですよ。やっぱり学校推薦とか? そうですねえ、行くところは推薦のところですわ。どんなところへ? 電機メーカーですわ。いいところなんでしょうねえ。いやー、それはわかりませんよ。なんか、しゃべり方おっちゃんみたいやねえ。そんなことないですよう。
で、心斎橋とか行かない? ここのところ修士論文とかなんとかでごたごたしてますんで。え? 修士論文とかでごたごたしてまして。あ、そうなの? ごめんなさいね。心斎橋商店街のモスバーガーの近くでアメリカンアートの展示会やってるんで、よかったら来てくださいね。
本当はもっと会話は長いのだけれど、絵なんか買えるはずのないわしとのんびりしゃべっていて商売成り立ってるんだろうか。大丈夫か、アメリカンアート業界は。そしてここに修論を書いていると見せかけて日記を書いている学生が一人。
で、人間たちにせよ天使たちにせよ聖とも俗ともつかないふつーな生き方をするものだ。そういえば灰色の髪の、鍛冶屋の天使は鍛冶屋天使と呼ばれていた。じゃあ、いたずらしかしない天使はいたずら天使か。言わば職業いたずら天使。人間のお見合いを邪魔したり塀の落書きに生命を与えたり。高いところから人間たちの慌てふためくのを見つめているのは天使らしいといえば天使らしいし、悪人といえば悪人。このどっち付かずなものがいたずら天使に関しては純化された使命になっている。
三輪車で、猪で、ホッピングで。不器用で前に進むことしかできないプーニャは、やはりふつーの人間たちと一線を画す存在だったといえる。そういうわけでこの三人だけで話の筋はできているんじゃないかと。そういうわけで、今回の話で三人を特別な存在にするためにいままでプーニャは毎週毎週天使を追いかけないといけなかった。天使は天使で倒れてしまう。一方でプーニャは理不尽に苦労せねばならなかったし、また天使たちの身替わりに時計に閉じ込められてもいいと言わなければならなかった。悲劇の登場人物はたいてい理不尽に苦労する。
古典的というかおとぎ話的というか。天使に関しては分からないことが多い。もうちょ
こないだのクレヨン王国が。これがまた。作画がとても良くてですね。泣きユックタックと倒れシャカチックが。かわいいのですよこれがまた。あーうー。くださいください。メイドさんになってください。時給12ぽぷりで。
羽根もちゃんと描いてあるのですよ。守護神の洞窟で倒れた二人を見ていると、セーラームーンSのみちるとはるかの最期を思い出したりなんかするのでして。あの時は触れ合う指先のせいで妄想が冬季全国大会突入だったわけでして。今回は、その、倒れシャカチックのふとももが。あーうー。
ボスと某先輩がSGIの例のNTマシンを見に行かれたそうで。わたしは連れてってくれなかった。特別な人しか入れないからとおっしゃる。そんな厳重な秘密が隠れてるわけでもないと思うのだけれど、なんかそういうことらしい。先輩がいろいろパンフレットを見せてくれた。今さら秘密な情報とも思えないのでここに書いてしまう。
CPUがPentiumIIなマシンで、最小構成のPII350MHzx1/128MB/0GBで640,000円。まあO2よりは安いと。で、先輩が現地でベンチマークを取ってしまったらしく。ここから先はちと書くのがためらわれるけど、どうせ関係者しか見てないからSGIの売り上げには響くまい。
そのマシンでは、OpenGLの処理ではCobaltチップと高速バスのおかげでラスタな処理は滅茶苦茶速いが、ジオメトリはちょっとアレであると。もともとIntelのMercedを採用してCPUでジオメトリの処理をさせる設計だったはずが、Intelが出荷を遅らせたせいでPentiumIIを使う羽目になってしまい、アレなマシンになってしまったのだ。おそらくは。ふつーのPCのAGPスロットに500,000円ぐらいするボードを挿す構成のマシンと、もろに競争になるのだと。
えーと、ここまでに至る経緯に触れておこう。ちと前にMIPSを買収して以来、R5000だのR10000だのといったMIPSなCPUを使ってきたのに、これを捨ててまでSGIはIntelに移行した。ついでにIRIXという自社製UNIXベースOSを捨ててMicrosoftのWindowsNTを使うことにした。ところがIntelがMercedの出荷を遅らせることまではSGIは予想がつかなかったらしく、使えるのPentiumIIである。こんなことが通るとはなんとも不思議な業界だ。MicrosoftもWindows2000をいつ出すのか怪しい。SGIという名門の貴族の家に生まれた少年が、伝説の剣一本とともに沙漠の国へ修行の旅に出されたように見えてならない。伝説の剣の切れ味が伝説ほどでなかった場合、SGIはかなりみじめな最期を遂げることになる。